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21a イェークの夢

「説明? それはこちらの台詞だ。伯父上に何か言ったらしいな」 「そ、それは」  パーティー会場の廊下で、突き放してしまった時のことだ。イェークとて、そんなつもりなどなかった。けれどどうしても耐えられなくて、言葉で説明することも難しいほど動けなくなってしまって……。イェークがそうなってしまうのは、シグルズだって知っているはずなのに。 「しかも、そのことを俺に報告しなかった」 「それ、は……」  それどころじゃなくなったからだ。怪我の手当てをしなければならなかったし、イェークもシグルズも、二人ともまともな精神状態ではなかった。イェークがシグルズの名前を出して逃げ出したことも、その後それを相談しなかったことも、事実ではあるのだが。 「でも! じゃあスレイプニルの初期起動はどうするんだよ! 俺が乗らないと意味ないだろ、俺の操縦をスレイプニルに登録するんだから」 「俺が操縦する。お前と訓練をしていたんだ。操縦方法は問題なく理解している」 「な……理解してるのと実際にやるのとは違うだろ? まさか、本気で言ってるわけじゃないよな」  シグルズは少しだけ振り向きかけたが、持っていたタブレット端末をイェークに差し出す。 「お前のスレイプニル専属操縦士の件は、白紙撤回だ」 「……え……」  受け取ったタブレットには予定表が表示されていたが、イェークの欄はこの先ずっと空白になっていた。最終変更者は、ヴォルス・ドレッドノート空佐だった。 「分かったか。言うことの聞けない部下はいらん。部隊の規律を乱し、ひいては全体の命取りになる。これ以上俺の足を引っ張るな」 「待てって! あんた、大型機の経験なんかないだろ! もう一週間しかないんだぞ、習得は無理だ!」 「お前には関係ない。俺にとってはもう一度操縦悍を握るチャンスだ。棒には振らん」 「死ぬ気かよふざけるな! いくらシギュンシステムの補助があったって、まだまっさらだ! スレイプニルは、これから飛び方を覚えていくんだぞ」  イェークの言葉など始めから聞く気などなかったのだ。シグルズは迷いのない足取りで出て行ってしまう。 「シグルズ!」  玄関の扉に飛び付いたのだが、タブレットを握っていたのが仇となって間に合わず、閉まってしまった。そして案の定、設定が変更されていて、イェークの指紋では内側からでも開かなくなっていた。 「おい! 開けろ、出せ!」  怒りに任せて握り拳で叩くのだが、この扉が頑丈なのはよく知っている。シグルズの足音どころか、近距離で戦闘機が訓練の離着陸をする音すら聞こえないのだ。こうしてイェークが扉を叩く音すら、向こうに聞こえているか怪しい。 「そんな……嘘だろ……」  扉を見つめる視界は真っ白に染まり、爪先から気力が抜けていく。イェークはしばらくの間、その場にしゃがみ込んでいるしかなかった。  二日過ぎ、三日過ぎ……。無為に時間は流れていく。  決まった時間に食事が運ばれて来て、軍医が傷の様子を見に来る以外は、誰もこの部屋を訪れることはなかった。カーテンを開ける気にもならず、イェークはただベッドに突っ伏していた。 (俺……あいつの、足手まとい……だったの、かな……)  シグルズの言葉を反芻すればするほど、心が掻き乱された。部屋はしんとしているのに、頭の中はノイズでいっぱいだった。  鉄砲が的に当たらなかったこと、自分で運転しようとして呆れられたこと、借りたサングラスを返せなくなったこと、最初に空佐とすれ違った時、背中に庇ってくれたこと……。全部の記憶がランダムによみがえってごちゃ混ぜになっていく。無駄だと分かっているのに、イェークは枕の下に頭を突っ込んで耳を塞いだ。  初めて座った操縦席は、重力よりも何よりも、エンジンの轟音のせいで目が回りそうだった。そこへ後ろから教官の、計器を見ろ、いや前を見ろ、両方見ろ、という声が飛ぶ。離着陸は教官任せで、上空で操縦を代わったらとにかく真っ直ぐ飛ぶだけだと思っていたのに、すぐに風に煽られて違う方へ向かってしまう。何とかしようと焦っているうちに機首が下を向いてしまい、教官に無理矢理戻される。下の森林と空がぐるぐる回って、一人で操縦なんて絶対無理だ! その時はそう思っていた。  けれど、ある日訓練で夕日の沈む真っ赤な海の上を飛んだ時、無理だなどという意識は完全に消え去った。揚力を掴まえ、どんどん上昇して、イェークは鳥になった。計器を気にしつつも、きらきら反射する海を眺めていると、本当にどこまでも飛んでいけそうな気がした。楽しかった。  航空学校の卒業を間近にして、進路相談という名の就職斡旋を受けた時、イェークは「たくさん飛行機に乗れるところがいい」と担当教官に申し出た。教官はかなり給料のいいところにも行けるはずだと言っていたのだが、イェークの苗字がプロシードであることがネックとなったようで、同級生の中ではほとんど最後に行き先が決まった。  そうしてやって来た寂れた地方空港を拠点にして、イェークは希望通り、来る日も来る日も飛行機で乗客と荷物を運び続けた。先輩の操縦士や、操縦士を引退して寮監になったおじさん、同年代の管制官、地上スタッフの仲間たちはみんなイェークに親切にしてくれたし、無事に到着してほっとしているお客さんの顔を見るのも好きだった。給料が出ても、寮費と食事代を先払いして、たまに気が向いて中古の文庫本と飴玉を買ってきたらそれで終わってしまったけれど、空港の資料室に行けば最新の航空専門誌や各国の業界資料を見ることが出来た。勤務の合間の時間潰しは、決まって資料室だった。  休みはあまりなくて、疲れを感じることもままあった。でも狭い部屋に帰ってきて、飴玉を舐めながら月明かりを頼りに中古の文庫本を捲り、そのうちにぐっすり寝入ってしまえば、次の日にはまた頑張れた。そんな毎日だった。そんな毎日に、満足していた。  けれど、あの日……夕日の綺麗な風の強い日、彼が迎えに来て、イェークの生活は一変した。  何度かしか見ることが出来なかったが、その青い瞳は空の色をしていた。いつもずっと遠くを見つめていて、誰よりも高い志を持った、純粋な瞳だ。それが時折陰りを見せると、苦しいほど胸が締め付けられた。いつしかその青色を、自分では見ることも叶わない高貴な色を持ったその人に、寄り添いたいと願っていた。そのために、相応の努力もした。してきたつもりだった。  けれど、最後に見た彼の姿は背中を向いていた。呼んでも、懇願しても、振り返ることはなかった。

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