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21b イェークの夢

 目を覚ますと、白い天井が間接照明に照らされていた。顔の皮膚に違和感を覚えて指で触れると、傷の保護シートごと濡れていた。寝ながら泣いていたのだろう。  洗面所でシートを剥がし、顔を洗ってから鏡でよく見ると、目の下の傷はほぼ塞がっていた。それでも医師は完全に傷が消えるまで貼っているように言っていたので、替えのシートを取り出してきてそこに貼った。  部屋に戻ってくると、テーブルの上でタブレット端末がせわしなく震えたり光ったりしている。全てシグルズ宛ての連絡なのだろうが、おそらく別の端末で確認しているので、この端末は不要なのだろう。イェークと同じ、代えがきくから部屋に残されたのだ。 「くそ……!」  衝動に駆られてタブレットを頭上高くまで振り上げ、床へ向かって叩きつけ……ようとしたのだが、この端末の中には色々なデータが入っていることを思うと踏み止まってしまう。バックアップが中央サーバに残っているかも知れないが、もし無かったらと思うと手が止まってしまったのだ。例えばシグルズの最初で最後の展示飛行や、スレイプニルがこの基地に運ばれて来た時の動画は、残っていてほしかった。あんな奴の動画なんてどうだっていいし、スレイプニルだってもうイェークには関係ないのだから、消えたっていいはずなのだが、本当にそうだとは思えなかった。  割り切れない自分にもだんだん苛立ってきて、破壊が出来ないのなら他の方法で憂さ晴らしをしてやろうと思い付き、その端末でシグルズがいつも利用しているらしい通販サイトに接続する。滅茶苦茶な物を注文して困らせてやればいい。何を注文すれば困るだろうかと、適当にトップページの検索欄に指を置く。すると、過去の検索ワードが一気に表示された。見覚えがある気がして、イェークはふと顔を上げ、窓辺で積まれたまま埃を被っている文庫本を見やった。イェークがここへ連れて来られた時、慌てて鞄に詰めて持ってきた本だ。そこまで興味があった訳ではなく、ここに来てからは開いていないのだが、検索履歴に表示されていたのはそのタイトルと著者名だった。  ひょっとしてと思い、最近買ったものの履歴を見ると、袋入りの飴玉が出て来た。今もテーブルの端に未開封のまま置かれているものだ。本当はサディオでしか売っていないものを、わざわざ取り寄せたのだ。シグルズは甘いものなど口にしない。それなのにどうしてそれを買ったのか、理由は明白だった。 「……っ……ちゃんと言わないと……分かんねえよ……。説明しろよ……!」  シグルズはイェークのことを、足手まといだなんて思っていない。そう確信した。もしそうなのだとしたら、シグルズはとっくにイェークを放り出して別の相手を見つけているはずだ。そうではなくて、今もまだイェークをこうして閉じ込めておいて、自分で操縦するなどと言っているということは、他の相手など考えていないということだ。ならば、どうして自分はこうして無為に閉じ込められているのか。 「ちゃんと、問いたださないと……」  しかし、方法はなかった。通販サイトや検索エンジンなど、当たり障りないサイトには繋がるのに、このワシルトラス基地の専用ネットワークには繋がらないのだ。イェークは基地の中にいるのに、他の人間とやり取りすることが出来ない。  気ばかり焦ったまま、また数日が過ぎてしまった。  本来なら、イェークが初めてスレイプニルに搭乗するはずだった日の朝。これまで通りなら、シグルズの部下の誰かがこの部屋に朝食を運んでくるはずだ。  イェークは扉の前で、フライパンを構えてそれを待った。もうこれしか方法がない。扉が開いた瞬間に飛び出すか、やって来た人物を倒して出るしかない。たまたま命じられてやって来る人には悪いが、シグルズを止めに行くためには、こうする他にない。分厚い扉のせいで外の足音は聞こえないが、電子鍵が開く時の音は聞こえるはずだ。ひたすら耳をすませて待つ。  するとついに電子音が鳴り、扉が開く。イェークはフライパンを振りかぶった。 「え、ちょ、待った待った!」  しかし、聞き覚えのある声につんのめってしまう。朝食を運んで来たのは、黒髪の同僚だった。 「カイ?」 「そうだよ僕だよ! 出来れば、それは下ろしてくれないかな……」  カイが部屋へ入ってきて、扉は閉まってしまった。いくらなんでも、見知った人物、とりわけ色々と恩もある相手を殴り倒すには覚悟が足りていなかった。 「脱出しようとしてた? まあ、そうだよね」  キッチンに朝食を置くと、カイは玄関に立ってイェークを振り返った。イェークは振りかぶっていたフライパンを胸の前まで下ろす。 「僕もイェークのことが気になって、シグルズには内緒で食事係を代わってもらっちゃった。もう腕は良くなったのかな」 「おかげ様で。何せたっぷり静養出来たからな」  カイは困ったように笑った。 「それは……良かったのかな?」 「良い状況だと思うか?」 「だよねぇ」  少なくともカイは、これまでやって来たシグルズの部下たちとは違い、イェークと話をするつもりがあるらしかった。そこから外の情報を探るしかない。

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