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22a 操舵手<ラダー>の気持ち
「シグルズが操縦するって、本当か」
恐らく、今日この日にカイがやって来たのは、そのことに関係しているのだ。少なくともイェークよりは状況を知っているに違いない。
「そうみたいだね。シミュレーターも動かしてるみたいだけど……まあ、間に合わないよね。そもそも、シグルズじゃ今日に間に合わないから、イェークを連れて来たはずだったんだけど」
「空佐が俺を謹慎処分にしたっていうの、あれ嘘だろ。そんな状態のシグルズに、ドレッドノート家の威信をかけた機体を任せられるはずがない」
カイは僅かに視線を揺らした。
「シグルズ、そんなこと言ったの。そうだね……半分は嘘だけど、半分は本当、かな」
「どういうことだ?」
言いづらそうに、カイは言葉を選びながら話した。
「今日の初飛行は、試験官が同乗することになってるから。試験官は、空佐の操舵手〈ラダー〉の一人で、彼女ならきっとどんな機体も飛ばせる。僕たちなんかよりずっとベテランだし、実力は確かだと思う……」
「俺以外を、俺抜きで乗せるってのか?」
やるせなさよりも怒りの方が先に来た。フライパンを持つ手に余計な力が入る。
「あいつ……ふざけるなよ!」
低音の怒鳴り声に、カイが少し首を竦める。けれどイェークの怒りを収める方策がないためか、不快というよりは同情的な表情だ。
「イェークが怒るのも無理ないと思う……今日のために連れて来られたんだもんね。でも、シグルズの気持ちも分かってあげて……」
「どう分かれって? あいつに俺は人生ねじ曲げられてんだよ! もう民間には戻れない! 籍だって完全に軍属だ! それに今日俺が乗らなかったら、スレイプニルの登録データは別人のものになっちまう……そしたら初期化出来るのなんてずっと先じゃないか。それまで乗れなくなるんだぞ! 俺は、この日のために!」
一気に捲し立てたために息切れしてしまい、深く呼吸をして酸素を求める。
「俺の気持ちは、どうなっちまうんだよ!」
肩で息をするイェークが落ち着くのを待ってから、カイは再び口を開いた。
「シグルズだって、イェークがすごく怒ってるのは分かってる。でも、多分イェークは狙われているから……」
「狙われている?」
イェークの目の下の傷が、ぴりっと痛んだ。そこにはまだシートが貼られているし、腕の包帯もまだ取れていない。だがそれはもう十日も前の話で、車で数時間かかる場所での出来事だ。
「イェーク、ひょっとしてこの間襲われたのは、ただの通り魔だったと思ってる? やっぱり、あんまり自覚なかったんだ……。あのね、やっぱり、君が狙われたのには理由があるんだと思う」
「俺は誰かに恨まれるようなことなんか……」
「君には知らされてなかっただろうけど、シグルズの操舵手〈ラダー〉の候補はたくさんいてね……。その全部を蹴って、シグルズは外部から君を呼んだんだ。それだけでも十分恨まれてるはずだよ……。その他にも、スレイプニルのカスタマイズに納得いってない人とか、ドレッドノート家全体を良く思ってない人とか……」
「そんな……でも、そんなこと言ってたらきりないだろ」
「そうだよ、きりがないよ! だからいまだに犯人の目星も付けられない。捕まってないんだ。今も君は大勢に狙われてる、危険なんだ!」
緩く首を振って、イェークはカイの言葉を遮った。
「分かった。あのな、カイ。もし……。もしも、シグルズが大型機の操縦をマスターして、上からの許可も出たっていうんなら、それを喜んでやれない俺は最低だって思ってた。もしそうなら、そんな俺はあいつの副官失格だし、どっかに消えるべきだって思ってた。でもやっぱり、俺があいつとペア解消っていうのは嘘なんだろ。あいつが勝手に言ってるだけなんだな」
「勝手にじゃなくて、君を心配して! こうして安全な場所に保護してるんだよ」
「頼んでない! あいつが勝手に決めたんだ!」
カイは泣きそうな顔になって、イェークの右腕を掴んだ。
「聞いてイェーク。僕はね、君が来てくれて本当に嬉しかったんだよ。僕はこの基地でたった一人の、男の操舵手〈ラダー〉だったから……。僕もシグルズと一緒、君を失いたくない」
腕にすがる手に力が込められる。
「君は天才なんだよ。操縦のセンスがずば抜けてる、のびしろも未知数だ。優秀で、忠実で、真面目で……それにたった一人の、僕の同僚で……。君を失うのは嫌だよ! 今日出てったらきっと狙われる。こないだのは警告だったんだ」
「カイ……」
右腕を掴んで震えるカイの手に、逆の手を乗せた。
「ありがとな。そんなの初めて言われたよ……」
やんわりと手を剥がそうとすると、カイは余計にしがみついて首を振った。
「でもなカイ、ここの地上スタッフはみんな誇りを持って仕事をしてる。例えば機体に細工したりとか、そんな自分の仕事を汚すようなことはしないよ」
「それは、そう信じたいけど……」
「信じないでどうするんだよ。飛行機が操縦士の力だけで飛んでるわけじゃないってこと、カイなら知ってるだろ。もし誰かが何かを企んでるっていうなら、俺は余計にあいつの傍にいてやらなくちゃならない。俺が狙われてるってことは、あいつも危ないんじゃないのか」
「っ、それは……」
イェークはカイの手を上から握りながら、真っ直ぐカイの黒い目を見て言った。
「カイだって同じこと言うだろ。もしシンフィーが危ないなんて知ったら、何を置いてでも出て行くだろ。自分が危なくても、そんなの知ったことじゃない。無茶しようとしてるんなら、止めに行くだろ。……助けに、行くだろ?」
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