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22b 操舵手<ラダー>の気持ち

 カイはイェークの顔から自分の手へ視線を外して、ゆっくりとその手を離した。 「……シンフィーのこと持ち出すなんて、ずるいよ……」 「理屈じゃないんだ、あいつの傍にいたいんだ。どうなっても俺は後悔しない。だから、頼む。行かせてくれないか」  しばらく唇を噛んでいたカイだったが、そっと目元を拭うと、玄関の扉を開けてくれた。 「今なら、走ればまだ間に合うと思う。僕も行くよ、今日はフェンリルでスレイプニルに並走することになってるから。でも、絶対約束して。妙な視線を感じたらすぐに言って。一人にならないで。離陸するまで、気を抜かないで」 「分かった。……ありがとう」  カイは完全には納得していない顔をしていた。けれど、イェークに見せてくれたのはぎこちなくても、笑顔だった。  二人は何も持たずに部屋を飛び出し、走り始めた。宿舎の大きな窓でガラス張りのようになった廊下をひたすら急ぐ。すでに滑走路手前で並び、整備が進められているスレイプニルとフェンリルが見えていた。 「ひょっとして、また俺のせいでシンフィーさんに殴られる……?」 「大丈夫だよ、シンフィーは僕の行動なんかお見通しだと思う。こうなることも予想済みで、むしろ僕を泳がせてたのかも」  宿舎を出て、格納庫を横切る。色々な機体の下を潜りながら、カイはちらりと後ろを付いてくるイェークを見た。 「僕、操舵手〈ラダー〉になるって決まった後も、なかなかご主人様が決まらなかったんだ」 「そうだったのか」 「訓練成績はこれでもかなり良かったんだけど……やっぱり男だったからね、正式な貰い手は決まらなくて、……玩具にされてたんだよ。複数人数から、何回も、検分と称して味見されてた。向こうはもう女の人が付いてるのに、まだ検討中とか何とか理由を付けて、ローテーションみたいにして……毎晩のようにね」 「……」  驚いて絶句しているイェークに、カイは何でもないことのように笑って返した。 「そんなところを救ってくれたのが、シンフィーだった。もっと腕がよくて美人の女の人を指名することだって出来たのに、僕を選んでくれた。それから、ペアは原則として一対一っていうルールを徹底して、僕を他の偉いおじさんたちから守ってくれた。それまではみんな浮気し放題だったから、やっとまともになったって感じだよね。だから僕は、シンフィーに尽くそうって決めたんだ。シンフィーがどう思ってるかは、分かんないけどね」 「そんなことがあったのか……」  どうして先ほどカイが同性の同僚にこだわっていたのか、ようやく理解出来た気がした。全く同じ立場となるイェークになら、本当に心を開けるかも知れない、そんな期待を寄せてくれていたのだろうか。 「ちなみに、僕をシグルズのお相手にっていう話もあったんだけどね。シグルズと僕は決定的にソリが合わないから」 「あれ、そうなのか? 普通に喋ってた気がするけど」  カイはぶんぶんと首を振った。 「ムリムリ! 考え方が根本から違うんだよ。操縦席では喧嘩になっちゃうと思うよ」 「そんなもんか……」  二人は格納庫を抜け、滑走路の端に出た。  視界が開け、紺と銀の洋上迷彩の巨大な戦闘機が現れた。巡航戦艦『フェンリルシリーズ』、一番艦のフェンリルと、四番艦のスレイプニルだ。  その前で打ち合わせをしているのが、数日ぶりに見るシグルズ・ドレッドノート一等空尉、その人だった。見知った整備スタッフと、視察に来たヴォルス空佐、そしてその空佐の二人の操舵手〈ラダー〉が周りを囲んでいる。  真っ先にイェークとカイに気付いたのはシグルズだった。 「何故ここにいる」  イェークはシグルズの前に駆け寄り、正面から向かい合った。 「スレイプニルの初期起動に参加するためだ」 「貴様……」  シグルズの手が、イェークの襟首を掴み上げる。片手であっても、イェークの踵が半分浮いた。 「……っ」  普段は正面から目が合わないようにお互いに工夫していたのだが、今日ばかりはシグルズは真っ直ぐにイェークの瞳を見つめてきた。シグルズの青い目はやはり怖い。途端に心拍数が跳ね上がり、悲鳴を上げて後ずさってしまいたい衝動に駆られる。奥歯をぐっと噛み締めてそれを堪えるが、びくりと身体がこわばってしまう。 「イェーク、僕から言おうか」  カイが隣から助け舟を出してくれようとするのはありがたい。けれどこれは当事者間で乗り越えなくてはならないことだった。 「いや。俺から言う」  その目を無理矢理に睨み返しながら、イェークは続けた。 「間違えるな、シグルズ。俺はあんたのものになったとは言ったが、それはあんたの副官、専属操縦士になったっていう意味だ」 「ならば、上官の命令は聞くものだ」 「そうだよ。あんたが命令を下すなら俺は逆らえない。でも、上官が間違いそうになった時、それを正すのが副官の仕事だ。俺にはその権限と、責任が与えられたはずだ」 「……」  二人の険悪な雰囲気がその場に広がり、ヴォルス・ドレッドノート空佐が歩み寄って来る。シグルズが手を離した。 「どういうことだシグルズ。お前の副官は負傷して身動きが取れぬというから、臨時で予定を変更したはずだが」 「治りました! 俺は操縦できます」 「ふむ……。どうやらそのようだが、準備は全て終わっている。また急に変えるわけにはいかんな?」 「そんな、俺は今日この日のために……!」

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