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24a 守るために
たまらずに振り返る。そこには、血を流し床を転がるシグルズの姿があった。
「シグルズ……!」
まだ巡航高度には達していなかったが、咄嗟に自動操縦に切り替えて操縦席から降り、助け起こす。シグルズは右の脇腹と右肘から滴るほどの出血をしていた。
「なんで、どうして!」
苦悶の表情を浮かべて痛みに耐えているシグルズは、とても答えられる状態ではなかった。上着を脱がせ、それで傷のあたりを縛って止血を試みる。すると、シグルズの左手から拳銃がこぼれ落ちた。
「これは?」
「……排気口、だ……お前の方を、向いて……」
イェークの座る操縦席から見て後ろの天井に、黒い箱のようなものが留めてある。簡易タイマーと、それに接続された部品を見れば、それらがこの拳銃の引き金を自動で引くためのものだったのだと察しがついた。
「なんだよこれ……! しっかりしろ、すぐに基地に戻るからな……」
シグルズのネクタイをほどき、それで右腕もきつく縛る。動かすとまた出血がありそうだったので、床に横たえたままにする。
「管制塔! 非常事態だ、すぐに基地に戻る許可を!」
すぐに救急車を呼んでもらって、いやその前に、着陸のための滑走路と侵入経路を空けてもらって……手配してもらわねばならないことがたくさんある。ところが、管制塔はこちらに答えなかった。マイクとスピーカーが入っていることと、無線の周波数番号が合っていることを確かめて、もう一度問い掛ける。
「管制塔! こちらスレイプニル、非常事態だ! 応答してくれ!」
操作盤から救難信号を発信する。ところが、スピーカーからは誰の声も聞こえてこなかった。
「なんで、どういうことだ……何が、起こってるんだ……」
真下を海、前後左右を空に囲まれ、入り口の頑丈な扉の向こうで鳴るエンジン音と、シグルズの苦しそうな息だけが響く操縦席で、イェークは呆然と呟いていた。
『スレイプニル、応答して! どうして管制塔に応えないの! え、救難信号?』
その時聞こえたのは、よく知った同僚の声だった。レーダーには、後方から追い掛けるようにして近付いてくる大型機が映っていた。スレイプニルの兄弟機であるフェンリルだ。
「カイ! そうか、フェンリルシリーズの専用周波数か」
『イェーク聞こえる? どうしたの、何が起こってるの?』
「シグルズが負傷した! すぐに引き返したい」
『ええっ! ちょっと待って、どういうこと?』
カイはシンフィーに伝言してくれたようだ。微かに話し声が聞こえる。状況を尋ねられ、分かる範囲で応える。
『それって一刻を争うんじゃ……! 分かった、とにかくすぐに管制塔と連絡を取って』
「出来ない! さっきから通じないんだ!」
『……どういうこと? 周波数を読み上げるから、設定を直してみて』
カイの助けを借りて、通信周りの設定を全て確かめた。すると、ほとんどの設定がでたらめに変更されていることが分かった。
「くそ、権限ロックがかかって戻せない! なんでこんなところに幹部の権限がいるんだよ!」
『おかしいよそれ……誰かがわざと変えたとしか……なんで……』
震えるカイの声が、これがシミュレーションではなく現実なのだと物語っていた。イェークは頭を振って、今やるべきことへ集中する。
「フェンリル、管制塔との中継を頼む。空佐の操舵手〈ラダー〉の、アンって人がいるはずなんだ。最初はその人と話してたんだ」
『おっかしいなァ……』
割り込んできたのは、シンフィーの声だった。
『その管制塔と話してるんだが……そのアンって操舵手〈ラダー〉、来てないらしいぞ。スレイプニルはどこと交信してたんだ?』
「……」
カイもイェークも言葉を失い、冷たい汗が背中を伝った。
その衝撃が操縦席にも大きく伝わり、イェークは操縦悍から振り払われないようにしがみついた。すぐさまエンジンの出力を下げ、逆噴射を作動させる。だが、機体は見たことのないスピードで滑走路を駆け抜けてしまう。逆噴射はすでに作動しているのだが、もっとと望むあまりレバーを手離せない。ブレーキを思いきり踏み込み、止まれと念じる。
滑走路の端、草原の始まりが近付いてきてしまう。ブレーキに掛ける足に一層力を込めながら、イェークはひたすら祈った。
どうか、どうかシグルズだけでも助けてほしい。この身が焼けてしまっても構わない。それは自分の技術がトラブルに太刀打ち出来なかっただけのことだ。けれどシグルズは違う。イェークを信じ、見込んで、操縦悍を預けてくれたのだ。そんな彼を、澄んだ目をした彼を、未来ある彼を、どうかこの身ひとつと引き換えに救ってほしい。
ついにスレイプニルは滑走路を端から端まで駆け抜けてしまい、前輪が草原に絡み取られ、機体が大きく右へ振られる。舗装されていない土地を滑る衝撃で機体は轟音と共に大きく揺れ、傾ぐ。地平線が斜めになっていく光景を前に、イェークの身体は操縦席から浮き上がり、投げ出された。耳の近くでがつんという鈍い音が鳴り、その意識は暗闇へと誘われた。
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