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日誌・10 旧家、月杜
「失礼致します、お嬢さま」
スマホの前に掌を立て、写真撮影を遮った初老の男がいた。隙のないスーツ姿。
崩れない、人の好さそうな微笑。
昔から、秀のそばで控えている男だ。確か、名を黒瀬。
「そう言ったことは、ご遠慮願いたく」
「わ、ご、ごめんなさい…っ」
謝りながら、なぜか、雪虎を盾にしている幸恵。その隣で彼氏くんも小さくなっている。
なんとも、可愛い二人だった。そして、健全。
そんな二人を見ていると、雪虎は自分がただれている感じがして気が滅入る。
「お嬢さん、目は大丈夫かぁ?」
さっきから、雪虎に疑惑を向けている警察が、顔をしかめた。
「月杜さんはともかく、この男のどこが…」
雪虎を見上げようと、顔を上げる気配。途中、言葉は不自然に切れた。
どうやら、今はじめて、二度目の視線を雪虎に向けたらしい。彼は目をこすって、雪虎を見直している。
雪虎は、少し安堵した。疑いによる拘束の、終わりが見えたからだ。
初見で目を逸らした相手が、もう一度雪虎を見る気になってくれたなら、解決は早いのだ。
今までの経験からして、たったそれだけで、相手から最初の嫌な印象は払拭される。そうなったら、公平な判断を下してくれるだろう。ただ。
雪虎の場合、その『たったそれだけ』が、どれほど難しいことか。
なんにしろ、その難関さえクリアすれば、こっちのもの。この様子なら解放は間近だ。
思った雪虎は、幸恵を急かした。
「早く帰りな」
すぐ、幸恵はぐるりと状況を見渡し、一度頷く。
「…ちゃんとあとで連絡頂戴ね!」
約束、と、素早く指切りをして、彼女は身を翻した。
彼氏くんの腕を引っ張って、小走りになる。
「でもサチ」
戸惑う彼氏に、
「いいから、行こ」
今度は、幸恵は迷わなかった。
彼女はどちらかと言えば察しが鈍い方だが、本当の危険に対しては動物なみの直感を発揮する。
きっと彼女は、今ここに揃った面子がヤバイことに気付いていた。
そしてそれは、正しい。
「おい、そこの」
いつの間にか、秀の隣にいた無精ひげを生やした刑事が、面倒そうに、雪虎たちの対応をしていた警察官を促す。
「あの子ら、出口まで送ってやれ。ここは任せていいから」
「あ、はい!」
彼は慌てて、幸恵たちを追った。取り残された雪虎は、無言で刑事に頭を下げる。
よくよく見れば、知り合いだった。刑事は、余裕ある笑みを見せる。
「おう、トラ」
中学の頃世話になった相手だ。歳を食った分、貫禄が出ている。笑えば、目尻に深いしわが寄った。
「今度は何やった。悪さはガキの頃全部やり切ったろうが」
「勘弁してください」
雪虎は苦く笑った。
それこそもう、子供ではないのだ。ただ、昔のことを知っている大人には、今となっては申し訳なさやら感謝やらで頭が上がらない。
「悪さはとうの昔に卒業してますよ」
「だなあ? ここのとこ、真面目に働いてるみたいじゃねえか」
「…なら、なぜここにいる?」
言いながら近づいて来たのは、秀しゅうだ。後退、しかけ。ぐっとこらえる雪虎。
別に秀は、雪虎を疑っているわけではない。物事は、公平に見る男だ。証拠に、
「また、誤解でも受けたか」
すぐ、そんなことを言った。雪虎が初見の相手にどのような反応をされるか、秀はよく知っている。
「いや、まあ」
なんとも答え難く、雪虎は言葉を濁す。これは、誰のせいでもない。
「そういう時は、月杜の名を出せと言っているだろう」
思わず、唇を尖らせそうになった。ただ、引き結ぶにとどめる。
(それが嫌なんだよ)
「ああ、そういや」
頭に白いものがはじりはじめた昔なじみの刑事が、思い出したようにあっけらかんと、言ってほしくない言葉を口にする。
「トラの家は、月杜家の遠縁に当たるんだっけな」
すかさず、はい、と頷いたのは黒瀬だ。
「雪虎さまから見て曾祖父の方が、かつて月杜家の」
―――――愛人の子だったのだ。だが月杜とは認められず、分家と言う形で月杜を出た。それが、雪虎の家、八坂家のはじまりだ。
旧家、月杜。
その名も立場も、ひどく重い。
できれば、大人になれば関わりなく、生きていたい。黒瀬の言葉を咄嗟に遮り、
「つまり俺の代では赤の他人ってことですから」
そう、口を挟んだのに、
「トラの名付け親は、私の父親だろう」
物静かな態度で、秀が余計なことを言う。
確かに、先代には可愛がってもらった。だが、
「昔の話でしょう、今、先代は亡く、…あんたが当主だ」
思わず、降参するように両手を挙げる雪虎。
遠縁なのは否定できないし、先代が雪虎の名付け親なのは事実。言うなれば、それだけ。
『それだけ』、で終わらせていたい。なにせ、
(比較、されるのが、ほんっと…)
いやだった。
分かっている。
何もかも違いすぎて、今では逆に誰も秀と雪虎を比較したりしない。だが、遠縁であるという事実は、幼い頃、親戚間では格好の比較対象となった。
もちろん、雪虎が生まれた八坂家をこき下ろし、秀の親におべんちゃらを使うための。
だから秀と遠縁にあたるという事実は、隠しておきたい。
公にしたくない。と言うのに、
「―――――トラに、何か問題があったというのなら」
雪虎の言葉を聞いているのかいないのか。
特に表情を変えることもなく、秀は刑事を見遣った。
「しばらく、彼は月杜で預かる。用があるなら、ウチに連絡を」
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