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日誌・14 事件の解決、そしてはじまり
あの頃は、一日一日が、ひどかった。
妹が自分から命を手放して。
父の罵声と、言うなりに耐える母との生活に一旦、戻った頃。
雪虎の父・辰巳たつみが信じられない行動に出たのだ。
事態は、なにもかも、雪虎の手に負えなかった。
妹は学生の頃、親公認で婚約した相手がいた。社会人だ。妹の就職先も決まり、結婚の時期も迫っていたらしい。それが。
他界する数日前、妹は相手から婚約破棄を申し入れられている。
父は、妹が死んだのは、それが原因だと告げた。
間違いない、と。
確信をもって。
だが。
妹の机にあった遺書は真っ先に父が読み、以後、誰の目にも触れられていない。
燃やしたのかもしれない。…父が。
だから、正直なところ。
妹の自殺の理由は、誰も知らない。
遺書に書かれてあったなら父親は知っているだろうが、彼がなんと言おうと、彼以外が遺書の中身を見ていない以上、本当のところは分からないとしか言いようがなかった。
こうなると、父にとって、不利なことが書かれていた可能性の方が、高い。
雪虎の父は、そういう人間だった。
なんにしろ彼は、こう言った。
―――――妹の元婚約者に非がある。
そうして、相手の家族に、慰謝料を請求した。
応じないとみると。
相手の職場へ出向き、目立つ場所に居座り、大声で怒鳴り散らすという行動に出た。
それで結局、いくばくかの金を受け取ったようだが。
味を占めたのか、その迷惑行為を繰り返し続けた。挙句。
相手が知り合いの弁護士を雇い、警察も巻き込んだ騒動に発展しかけたわけだ。
おろおろとするばかりの母親は、息子の雪虎に縋った。
どうにかしてくれ、と。
―――――お父さんを前科者にしたいの?
母は、そういう人間だった。
自分では何もしようとしないくせに、善人のような言葉を口にして、他人に責任を投げつける。妹の美鶴は、彼女によく似ていた。
なんにしろ、父親がどうなろうと、疲れ切っていた雪虎はどうでもよかった。
それでも、雪虎が重い腰を上げた理由は。
こんな、情けない騒ぎの口実にされた妹が哀れだったからだ。
所詮雪虎だ、妹の美鶴と仲のいい兄妹だったわけではない。とはいえ。
もう、いい。死ねば仏だ。今はただ、そっとしておいて、あげたかった。
雪虎が動いたのは、それだけの、小さな気持ちが、原動力だ。
けれどもすぐ、自身だけではどうにもならないと雪虎は判断―――――悩みに悩んだ挙句、プライドをすべて捨てて、月杜邸を訪れた。
そして、当時既に当主であり、結婚していた秀に、頭を下げたのだ。
事態を鎮めるのに助力してほしい、と。
恥知らずにも、願った。昔、彼に対して何をしたか、はっきり覚えていながら。
その時には、秀は八坂家に起きたすべてを聞き知っていたのだろう。
彼は余計なことは一つも言わず、即座に了承した。
遠縁の八坂家が、これ以上の見苦しさを晒すのは、秀にも耐えがたいものだったのかもしれない。
その代わり、と。
秀は、条件を出した。
雪虎から見れば、首をひねらずにいられない条件を。
―――――すべてが安全の範囲内で収まったら、相談に乗ってくれないかね。
相談。
月杜の当主が。こんな、情けない男に何を言うつもりなのか。
そもそも、雪虎が学生時代にしでかした数々を思い出せば。
相談に適さない相手だと、唾棄されるのが普通だ。
何もかも承知で、雪虎を選ぶ理由は何なのか。
いい推測はひとつも浮かばなかった。
秀にとって、雪虎への報復が前提だったとしても。
…仕方がない、話だ。
すべて身から出た錆。
なんでもしよう、と雪虎は頷いた。自嘲気味に。結果。
秀が動けば、解決は早かった。
どんな手段を使ったのか詳しくは聞いていないが、すべては元のさやに納まり、―――――一番問題だった、父親が大人しくなった。
もちろん、すぐに収まったわけではない。少しずつ少しずつ、…しかし、確実に。
手段がどうだろうと、結果が望み通りなのだ。文句はなかった。
事態が落ち着いて、しばらく後のこと。
雪虎は秀と、この離れで落ち合った。
ソファに座り、向き合い、礼を言った雪虎に、秀は静かに頷く。
…そうして、どれだけの時間が経ったのか。
秀は口を開かなかった。向かいに座った雪虎の膝を見つめ、黙り込んだまま。
相談、と言うのを待っていた雪虎は、内心、やっぱり止すことにしたのだと勝手に判断した。
というか、望んだ。
肩透かしの気分で、同時に、ホッとしながら、立ち上がる。
―――――なら、俺はこれで。
雪虎が立ち去ろうとするなり、秀が放った言葉。
それを思い出して。
雪虎はおもむろに息を止め。
適量たまった湯の中に、勢いよく頭のてっぺんまで沈んだ。
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