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日誌:16 触れてみたい

秀の言葉が嘘か真か。 これはもう。 ―――――試すほかない。 実際の反応を見て、真実を互いに突き付けなければ、話は終わるまい。 決意したものの、やりにくい気分で、雪虎は顔を上げた。秀と、目が合う。 いつもの着物姿。エアコンが効いた室内。 窓側に設置されたソファに座り、レースカーテンに遮られた夏の光を背から浴びた秀は、いつも通り、どこか近寄りがたい。 嫌味なほどの、男前。 もう、お互い大人だ、以前と同じようにふるまえるわけもない。だけでなく、雪虎は秀に大きな借りができたばかり。 曖昧に半笑い、雪虎はソファから立ち上がった。 「…どこへ行く?」 さして興味もなさそうに、秀。このまま雪虎が帰っても、引き留めやしないだろう。 正直言って、帰りたい。 今すぐ駆け出して、玄関から飛び出したい。 すごく。それでも、 「帰りやしませんよ」 表向き平然と、内心必死で走り出したい衝動をこらえながら、告げる。 「ちょっと風呂場へ。すぐ戻ります」 しれっと言い切った雪虎は、自分を褒めてやりたい気分になった。 なんにしろ、この場の話はこの場で終わらせてしまいたい。 引きずるだけ引きずって、自然消滅と言うのは、雪虎の性に合わず、彼にはそこまでの根気がなかった。 雪虎は奥のバスルームへ入る。 並んでいるボディソープなどを順に見ていって、 (あー…、まだあったな) 目的のものが並んでいるのを見て、何とも言えない気分になった。 目的のもの―――――ラブローションと潤滑ゼリー。 実のところ、月杜邸のすべての風呂場では、これらが常備されている。 しかもきちんと管理され、まめに入れ替えもされていた。 やっている使用人たちの胸中はいざ知らず。 子供の頃はそれが何かわからず、思春期でそれを理解し、大人になった現在では、子供も使う場所に堂々と置いてあるのはどうかとつい眉をひそめるが。 ともすると。 ついさっき、秀に聞いたことが本当ならば、先代もそうだった可能性がある。 「…」 なんとなく、眉を寄せた。 未だ半信半疑のまま、雪虎は両方を手に取る。 出ていくとき、洗面台の中にあったバスタオルも一枚取り上げた。 ソファのところへ戻る。 秀のそばへ向かいながら、声をかけた。 「このどっちでもいいから、使って自慰をしてみてください」 いきなりの提案だろうか? これでもきちんと考えた。 本当に無反応かどうか、まずは試してみなければ分からない。 ローションなどを持って行ったのは、体液が出ないなら、刺激は逆に苦痛になるかもしれないと思ったからだ。 「やり方は、わかるでしょう?」 あえてぶっきらぼうに言い放ったのは、秀の反応が分からなかったから。 顔を上げた秀に近寄り、その目の前にある低い机にモノを並べて置こうと身を屈めた。刹那。 「…は?」 腕を掴まれる。ごく自然に、腰を引き寄せられた。 慌てて握りなおしたボトルの内、一つが床の上に落ちる音が足元から上がる。 バスタオルが、指先からはぐれてソファの上へ斜めに引っかかった。 気付けば、秀の胸を背にして、彼の足の間に、雪虎はおさまっている。 手に握りしめているのは、潤滑ゼリーの方だ。 他人事のようにそれを確認しながら、何が起こったか分からず、面食らった耳元で、秀の囁き。 「さっき、言ったね。私のモノを触っても、変化しないと」 聞いた。確かに。 いや、たたない、とは言ったが、触った…というか、この言い方だと、自慰を試そうとしたことがある、ということか。そこは聞いていない。 思う間にも、後ろから回った秀の手が、雪虎のベルトを外そうと動く。 咄嗟に、その手首を掴んで止めた。 「いやいやいや。それでなんで、俺は脱がされようとしてるんですか」 「私と違い、トラは」 たちまち、雪虎は―――――嫌な予感を覚える。 「…変化する、だろう?」 低い、…低い、囁き。 確認する口調でありながら、返事は望まれていなかった。 秀の、言外の言葉。 ―――――だから、分かるね? とたん、雪虎の腹の奥底が。なにか、キュッと疼いた。 せりあがる、弾むような微かな戦慄きに、雪虎は奥歯を食いしばる。 細く、長く息を吐きだした。観念したように、目を閉じる。 そして、どうにか、そろりと秀の手首を掴んだ手から、力を抜いた。 それを律儀に待って。 何事もなかったように、秀は雪虎のベルトを外す。 彼が、ジーンズの前を寛げてしまうのはすぐだった。そういう行いすら。 丁寧で、上品。 (いやこんなのに、品なんてなくていいだろ…っ) 雪虎自身、分からない。 これから起こることに期待があるのか。困惑があるのか。うまく言えない。ひたすら、戸惑いが激しかった。 女のように、まろくはない、固い下腹を秀は掌でゆるり、と撫で。 次いで、下着の縁をなぞり。 やがて、つ、とその指先が下着を潜った。 「…会長」 妙な緊張感が居たたまれず、雪虎は口を開く。 「他人の触るのに抵抗はありませんか」 「トラのは別に」 どういう返事なのか。意図が測りかねた。 「他人のモノの変化が見たいんなら、自分でやります」 ことここに至って、どういう状況かを理解しかねて、雪虎は足掻いた。 「見学したいわけではない」 言う間にも、秀の指が下着の中に進んでいく。身体の輪郭を慎重に確かめるように。 くすぐったいような、むず痒い感覚に、ひくりと雪虎の下腹が痙攣した。 それを、秀が感じ取っていないはずがない。 その感覚を慎重に探るような上の空の態度で、彼は物騒さに似通う低い声で続けた。 「私がやってみたいのだ」 雪虎は内心、毒づいた。 (俺は実験体か。人形か) 他人のモノに触れることで、何かわかることがあるのだろうか。 問題は秀の身体にあるのだ。何かが違う気がする。 同時に、正解のような気もあった。 なんにしろ。 …その手のことで興味が湧く何かがあるのなら、その、興味があることをさせてみるのが一番いいのだろうとも思う。 そして、相手の身体に触れてみたいという―――――能動的な欲望や好奇心は、男性的なものだ。 ひとつ、納得がいかない部分は。 対象が、雪虎の身体と言うこと。 どうせ、ひとまず目の前にあった、あと腐れのない、丁度いい相手が雪虎だったのだろうが。 人身御供の気分だ。

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