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日誌・26 悪意に満ちた陽気さ

「要するに、九条英二は恨みを持ってるのさ。何の落ち度もないのに、地方に飛ばされたってな」 今夜は月が皓々と照っている。 時刻はまだ九時前。 新幹線を降りて、そう時間もかからず目的のホテル前に立った雪虎と、浩介は改めて情報を確認し合う。 「へえ、なかったんですか、落ち度」 興味すらなさそうな口調で、浩介は微笑む。 「本人はそう信じてるみたいだな」 雪虎は肩を竦めた。 「そうやって不満たっぷり、燻ってるところに、サヤが情報を流したんだよ。地元の下請けアマクサ美装の仕事には御子柴の若夫婦の弱点があるって」 とたん、雪虎の眉間にしわが寄った。そこをほぐすように、指をあて、押し揉む。 「そんな突拍子もないこと、良く簡単に信じたもんだよな。いや、サヤの話術ってやつか」 そして実際のところ、公にできない仕事も請け負っているのは事実だ。 「はい、先輩、補足質問です」 前を向いたままのんびり手を挙げ、浩介は尋ねた。 「もしかして、さやか先輩は、わざとバイトくんに目が向くように仕向けたりも?」 人が良さそうな笑みで口にされた言葉に、雪虎は全身を使って大きく嘆息。 「二度目はないからなって釘刺した」 「あー…らしい感じですね。お変わりないようで」 さやかには昔から、そういうところがあった。 正攻法で片付かない面倒ごとは、策を通して罠にかけ、逃げ道のない絡め手で落として容赦なく骨まで砕く。 それを表情一つ変えずやってのけるあたりが―――――怖い女性だ。 表向き、大人びた、クールな才女なのだが、やることがえげつない。 その上、使い勝手がいいのか、それとも、行動が読みやすいのか、暴力が必要なときはよく雪虎を巻き添えにする、という悪い癖も持っていた。いやおそらく。 この世で一番、彼女が信頼できる人間。それが、雪虎なのだ。 アマクサの人間に関わってくれば、身内に甘い雪虎が黙っていないのはさやかからすれば分かり切った話だ。 知っていて、不満を持つ社員に、アマクサに関わるよう持って行った理由は一つ。 雪虎は好戦的な笑みを浮かべた。 「あっちが巻き込んだんだ、俺が潰していいってことだろ、九条ってヤツを。コトの後始末はサヤと御曹司がやるさ」 言い切り、いっさい迷いない足取りで、雪虎はホテルの正面玄関から中へ入った。 「ですね」 彼の少し後ろに続きながら、浩介は頷く。 ロビーの受付を素通り、エレベーターへ。浩介はちらとロビーを一瞥。 だが、受付の人間はこちらへ注意を払った様子もない。他の客の接客に回っていた。ロビーで寛ぐ客はまばら。そして、事前に頭に入れておいた防犯カメラの位置を手早く確認。 すぐ浩介は、雪虎と共にエレベーターへ乗り込んだ。 標的が宿泊している部屋はどこか。 さやかからの情報で、事前に知っている。これから二人でそこへ乗り込む手はずだ。 この部屋のカードキーの手配なら、事前にさやかがすませていた。 エレベーターでやってきた二人に、待機していたホテルマンがすれ違いざま、手渡してくる。 …乗り込んで何をするか? ―――――いつも通りの話だ。 浩介は簡単に、手指を動かし、拳の握り具合を確認。閉ざされた部屋の前に立った。 さて、九条英二の行動はと言えば。 真也を拉致したのち、情報はガセだったと思ったのか。 拉致を依頼した相手に真也に情報を吐かせることと後始末を適当に依頼。 自身は週末を過ごすため、御子柴本社近くにある実家へ戻ることにしたようだ。 ただし新幹線を途中下車。そして、雪虎たちの地元と、御子柴本社の、丁度中間あたりでホテルを取った。その理由は。 「…まあ、金持った男の行動理由なんて、こんなトコだろうなぁ」 鏡台前にある備え付けの椅子に腰かけ、雪虎は呟く。 ドア側で壁にもたれかかり、待機の姿勢を取った浩介は無表情で、ベッドの上で震える半裸の女を見遣る。 確か情報では、九条英二には婚約者がいたはずだ。彼女は、スマホに送られた写真で見た婚約者という女ではなかった。 この状況だけでも、なかなかマズい。 標的の九条英二はと言えば。 甘い快楽の時間に浸ろうとするなり、いきなり部屋へ押し入った男二人に、頭を掴まれ、床へ引き倒され、軽い拳と蹴りを数発食らったのち、横倒しになったまま、丸まってすすり泣いている。抵抗すらしなかった上、やり返す姿勢すら見せなかった。 安全な場所で暴力を他人にふるうのは良くても、自分がされるのは嫌らしい。 室内の照明は落とされていた。薄暗い。残っているのは、ムードのためか、ベッドわきのちいさな明かりだけ。室内で今、視界にはっきりしているのは、ベッドの上で小さくなっている女の横顔だけだ。 椅子の背もたれにかけられていたスーツの上着はもちろん、九条のモノなのだろう。 それを、雪虎はこれまた半裸の九条の上に投げ―――――どちらかと言えば、醜いモノを隠せといった態度―――――ベッドの端に放られていた鞄の中を探り、スマホを取り出した。 操作しながら、雪虎は顎をしゃくる。 「後輩」 「はい、先輩」 それだけで、意志疎通はなった。 浩介は、床の上に倒れた九条の腕を引っ掴む。引っ張る力に、肩が痛んだか、情けない声が上がった。 「止めてくれ、金なら払う、い、いくら、あれば…っ」 雪虎は適当に答える。 「欲しいのは、金じゃないんだよ、悪いな」 浩介がベッドの上に男を放り出せば、伝わった振動に暴力の気配を感じたか、女が身を竦める。 「か、彼が狙いなら、わた、わたしはもう、いいわよね…っ」 美しい光景だ。無論、雪虎は聞き流す。 浩介は、やさしげに微笑んだ。この暗がりでは、浩介の表情など見えもしないだろうが。慰めるように告げる。 「先輩の言うとおりにしてくれるなら、五体満足で解放します」 声のやさしさに、当然、少しの安心も覚えなかったのだろう、 「言う通りにって」 女が悲鳴じみた声を上げるなり、 「おい、お前ら、笑え」 いきなり、スマホを構えた雪虎が無茶な注文を付けた。ベッドの上の男女は、唖然と彼の方を見遣る。 浩介はまた、ドア近くの壁にもたれかかり、待機の状態に戻った。 「聴こえなかったか? 笑え。それから、――――抱き合いな。いつもしてることだろ」 明かりの外から言う雪虎の表情は、二人の目にははっきり見えない。 だからこそ、余計、得体の知れなさが勝ったか、怯えも露に、二人の男女はベッドの上で抱き合った。 無論、甘い雰囲気など欠片もない。恐怖と言う寒さから身を守るように、強く抱き合う。 理由の分からない注文を付ける雪虎より、浩介の方に得体の知れない怯えを抱いて。 「こっちは見なくていい。お互いに見つめあえよ。気がまぎれるだろ?」 勝手なことを、と怒鳴るような度胸もなければ、理由を聞くような根性もなかったらしい。 半裸で見つめ合い、歪んだ笑いを向け合った男女の姿を、九条のスマホで撮る雪虎。 雪虎が、彼の方を見るな、と言ったのは、被写体の瞳に撮影者である自分の姿が映ることを回避するためだ。つまり。 ―――――これから、写真をどこかに送るつもりということで。 九条のスマホが、雪虎の手元でサクサク操作されている様子からして、暗証番号やら、顔認証やらと言った設定はしていなかったようだ。迂闊すぎる。 「一丁上がり、っと。おい」 雪虎は、スマホをベッドの上へ放り出した。画面は、メール送信完了を示している。 「メールの情報が電話帳にあったから、さっきの写真、そっちに送っといた」 「…は?」 九条は一瞬、呆気にとられ、スマホを見下ろし―――――すぐ、蒼白になった。 九条は、真性のバカではない。察したのだろう。 メールの相手が誰かを。 女を放り出すようにして、スマホに飛びついた。だが、送信されたメールは元に戻らない。 「さーて」 雪虎は、伸びをしながら立ち上がり、悪意に満ちた陽気さで、告げる。 「なんて返事をくれるかなぁ? 婚約者のお嬢さまは」

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