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日誌・27 知ったことか
「きさ、ま! いったい、なんのつもりで…いやそもそもどうして、おれの婚約者の名前を知って…っ」
誰が見ても嫌な笑い方で、雪虎は答えた。
「お前が転落するさまを見たいってヤツは大勢いるってこった」
「…雇われ者か?」
その言葉に、ついに雪虎は大きな声で笑い出す。
自分が誰かにした仕打ちを、その誰か側から受けることは想像もしないらしい。
雪虎の反応に、戸惑う九条を横目に、浩介は人の好さそうな笑みを浮かべ、
「先輩、それだけじゃ報復は足りないかと思いますが。どっちか犯します?」
夕飯は何が食べたいですか、と尋ねるノリで訊いた。
獲物に過ぎない二人が、ぎょっと彼の方を振り向き、凝視。
室内の闇の中、浩介の表情は見えないなりに、冗談のようで、冗談ではない匂いを、敏感にかぎ取ったのだろう。
そして、雪虎の返事次第で、浩介がそれを簡単に実行する危険性を感じたに違いない。
「それはやめとこう」
雪虎はさらりと否定。胸をなでおろす二人を見遣り、
「ゴムもってないからな。どっちかが病気持ってたら大変だろ」
侮辱を平然と口にして、雪虎。ベッドの上の二人が顔色を変える前に、別の提案を口にした。
「個人的な屈辱を味わうより、社会的地位を失ってもらおう」
雪虎の笑った気配が、ベッドの上の二人に不気味に伝わった。
「な、なにを、こんな、真似、―――――警察が黙っているはずな」
ようやっと、我に返った九条が口を挟んだ。皆まで言わせず、
「お前、今日の昼から夕方にかけて何したよ」
いきなり感情の抜けた声で雪虎は早口に割り込む。九条が黙り込んだ。
状況に対する理解が、はじめてその顔に広がる。直後、
「よし、決めた」
雪虎は浩介の方を向いた。
「二人を素っ裸で向き合って縛り上げてくれ。そのまま、人通りの多い繁華街のど真ん中に放り出す。これでどうだ?」
非常識な提案を、遊びでも思いついた態度で、雪虎。対して、浩介は平然と頷く。
「ああ、昔何回かやりましたっけね」
「新しさを求めるより、慣れた方法で行動したほうがいいだろ」
二人があまりに平静すぎて、これは普通のことだと言われたら信じてしまいそうになりながら、
「何よそれ!」
女は甲高い声で叫んだ。そう、二人がしようとしていることは、異常だ。
そして冗談ではなく。
この二人は言ったことを確実に、実行しようとしていた。
状況を理解し、被害者意識が芽生えた彼女は必死で訴えた。
「わたしは関係ないでしょ! 報復したいならこのヒトだけに、」
突き放すようにされた九条が目を剥く。
「お、おまえ、いままでおれがどれだけ、金を落としてやったと!」
仲良く言い争いを始める男女をよそに、雪虎と浩介のテンションは変わらない。
「いい感じの縄やビニールテープはなさそうだな。シーツ使うか」
「ベルトやネクタイもありますよ」
男たちをよそに、付き合ってられないとばかりに女がベッドから飛び降りた。服を拾い上げながら、一目散にドアへ向かう。
その腕を、あっさり浩介が掴んだ刹那。
―――――ドアが開いた。次いで。
優しげな声。
「…ああ、よかった、間に合いましたね」
現れたのは。
スーツ姿の、いかにも育ちのよさそうな、端麗な青年。
態度は、上品かつ礼儀正しい。夜にもかかわらずきちんとした格好で、髪にも衣服にも、一筋の乱れすらない。
とはいえ、高貴さを漂わせながらも、雰囲気はどこまでも柔和で、親しみやすそうだ。
ホッとしたように微笑み、室内の混迷にも動じず、落ち着き払った態度で中に入ってきたのは、―――――御子柴大河。
彼の姿に、一番に反応したのは。
「若社長…っ」
九条英二だ。
弱みを握りたい相手であるにもかかわらず、味方が現れたと言わんばかりの態度。
現金さに、雪虎の視線がさらに冷えた。
その目を、救世主然とした態度で入ってきた大河へ向ける。
動じるどころか、微笑みが返った。舌打ちしたい気分で目を細める。
どうするか、と雪虎を見た浩介に、片手を振って、通せ、と告げた。
すぐ、浩介が、大河に道を開けるように壁際へ寄る。
一方で、はじめて大河を見たのか、目の前を通り過ぎる彼から、女は口を開けたまま目を離さない。無理もなかった。大河の容姿は問答無用で人目を奪う。
その何もかもが気に食わない。雪虎は鼻を鳴らした。
どうやら、雪虎たちが地元を出発するのと同時に、大河も本社を出発したようだ。
「こ、こいつらはアンタの差し金か…っ」
示し合わせたタイミングで現れた大河に、さすがに九条も疑念が湧いたらしい。恨みがこもった物言いに、
「いいえ?」
大河は虫でも叩き落す態度で、即座に否定。九条へ親し気に微笑みかけた。声はどこまでも優しいのに、そのくせ、言っている内容は厳しい。
「これは君の自業自得ですよ。残念ながら」
どういう意味か、と口を挟む隙も与えず、大河は続ける。
「なので、ここから先の、このヒトの行動を止めるには、それなりの代償が必要になります」
大河は、ちら、と雪虎を流し見た。
暗がりでも、近くにいれば、顔立ちは分かる。やはり、その刹那は強烈な醜さを感じるのだろう、一度、目を伏せ、―――――再度、彼は雪虎を真っ直ぐ見遣る。
「いかがでしょうか」
「何がだ?」
「彼を見逃して頂けませんか?」
「断る」
即答に、大河は困ったように微笑んだ。
「彼が社会的に抹消されるのは、僕らとしても少し都合が悪いのです」
大河は、僕ら、と言った。それはつまり。―――――さやかの意思も反映されているということ。…だとしても。
は、と雪虎は息だけで笑う。
「知ったことか」
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