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日誌・39 恫喝
知ってか知らずか、青年は能天気に告げる。
「ぼくから言えるのは、…感動した。それだけ。―――――じゃ、ぼくは行くね」
怒涛の勢いで言葉を放ち、すっきりした表情で、青年は部屋を出て行った。
「…大丈夫よ、あれで、口は固いから」
扉が閉まるのを待って、さやかはどうでもよさそうに付け加える。
「彼は真実、場所の提供者、と言うだけ、ですか?」
「そうよ。大体、アイツは金に困ってない」
言って、さやかはノートバソコンの画面を見せる。
ある程度予測していた大河は、冷静に画面を視界に収めた。―――――乱され、悶える大河の姿が、そこに映し出されている。
巧みに、雪虎の姿はあまり映っていないように編集されていた。
「悪いけど、トラちゃんもわたしも知ってるわ」
盗み撮りを、ちっとも悪いとは思っていない態度で、さやか。いや、彼女はおそらく。
今、自身が、薄氷の上にあることを他の誰より一番、自覚しているはずだ。
なにせ、大河は、…知っている類の人間だ。
金と暴力でもって、他者の気持ちを捻じ曲げさせる方法を。
意思を、叩き折る手段を。
大河がある面において、人間としてはクズの類に入ることを、頭のいいさやかが察していないはずがなかった。
それでも、彼女は、…大河に対して、恫喝を実行している。
「あなたが、穏やかに見せかけて、冷酷だってこと」
画面を大河に見せながら、さやかはベッドに近づいた。彼女の細い指が、画像のボリュームを上げていく。
大河の、色のついた声が静かな室内に響き渡った。
「だから、ここまでさせてもらったの。でなきゃ、黙らせられないでしょ」
とはいえ、恫喝なら、御子柴にとっての十八番だ。される側となるのは滅多にないが、慣れ切った状況に大河は取り乱すこともない。
冷静に画面から目を離し、さやかを見遣る。
「わたしが画像に残していること、トラちゃんは知らないわ。カメラの存在さえ知らないもの。自分のケータイに挿入時のあなたの写真を何枚か撮ったくらいかしらね」
ある程度の距離を置いて立ち止まり、さやかは最初から変わらず、熱のない声で言った。
「わたしは最初、事情を話すのは反対だった。それでも、ここまで話した理由は」
分かるわよね、と優位な立場に立ちつつも、勝者の傲慢もない冷静な態度で、さやか。
「あなたにも協力してほしいからよ、御子柴くん」
それどころか、緊張とも取れる真面目さで、さやかは告げた。
そうまで言われても、大河には理解できない。さやかがこのような行動に出た理由が。
単に大河の協力が欲しいなら、まっとうに正面から頼めば済む話だ。ここまでする必要はなかった。なにせ、
「協力する事情なら、こちらにもあることを、お聞きでしょう? トラさんから」
大河に協力を求めるなら、ここまでする必要などない。
大体、大河を恫喝するなど、昨夜の雪虎の台詞ではないが、危ない橋だ。
基本的に御子柴の人間は、気が長くできている。
そう簡単にキレたりはしない。
だが一旦我を失えば、最後だ。
気に食わないものすべて、叩き潰すだろう。それが単なる破壊ならまだましだったかもしれない。
御子柴家のように、金と暴力の使い方を知っている人間は、もっとろくでもないやり方で人間を壊す。
さやかはそういう男を目の前にしているわけだ。知った上で、彼女はこういった行動に出た。
―――――理由がほかにもあるのは、自明の理。
目の端に映る画像の中で、だらだらと涎を垂らす陰茎を恥ずかしげもなくさらし、昨夜の大河が泣きそうな声を上げて身もだえている。全身、たまらなく気持ちがいい、とそのすべてで語っていた。
それを見ても、他人事を映す目で、大河。
「…こうまでして、優位に立とうとする理由は、何です?」
「そうね…どこから話したらいいかしら」
さやかは肩を竦める。少し、悩むように視線を横へ流した。次いで。
言葉を探るように、ゆっくりさやかは口を開く。
「御子柴くんが、ここに関わろうとした時、…わたし、やめた方がいいって言ったわよね」
動画の中の、情熱的な大河とは正反対に、室内で対峙する二人は芯まで冷めていた。
「常識的な判断かと」
大河は頷いたが、
「…本音は違った?」
すぐ、思い直し、そんな風に、尋ねた。さやかは無表情で頷く。
「正直言って、わたしは浮かれたわ。―――――だって、大体、流れが読めたもの」
さやかの怜悧な美貌に、次第に笑みが広がった。
「御子柴くんが、ここへ来たらどうなるか。でもここにはトラちゃんがいるから、トラちゃんが見過ごすわけもないってことも。…それから、トラちゃんがどう行動するか」
だんだんと、大河の中で、さやかへの評価が変わっていく。
厳格で冷静な女性と思っていた。だが、それだけではない。もっと、何か、―――――えぐいような、容赦なさを持っている。
なんだ、と大河は拍子抜けした気分で思った。
さやかには、どこか高潔な雰囲気があるから誤解していたが、彼女は、…違う。
どちらかと言えば、御子柴に近い性質を持った女だ。
次第に、親近感が増していく。
さやかは淡々と告げた。
「付き合いの短い人は分からないみたいだけど、トラちゃんて性欲が強いのよ。できあがった御子柴くんになにするかは大体、予測がついたわ。カメラで状況を撮れるかどうかは賭けだったけど、トラちゃんはやっぱり、この部屋に来た」
大河は一瞬、遠い目になった。確かに、雪虎の性欲は予想外だ。しかも彼が、男と身体をつなげることに忌避感がない相手だとは。
いつもの雪虎から、どうやって想像できるだろう。
なんにせよ、さやかはそのすべてを予測していた。
その上で大河を送り出した、と言うことは。
「水川さんは、―――――端から、僕を脅迫する材料を作るのが目的だったんですか」
さやかは、とうとう、にっこりと微笑んだ。
大輪の花が綻んだような微笑が、大河には猛毒に見える。しかしその方が、大河には寛げた。
「目的を、お聞かせ願っても?」
どこにカメラが仕込んであったのか。
動画の中で、二人の結合部分がアップで映しだされている。男同士で、しかも大河が受け入れる側であることは、誤魔化しようもない。
「話が早くて助かるわ。そうね、この画像を公表されたくなかったら」
さやかは嫣然と微笑んだ。だが、目が笑っていない。
「わたしたち、結婚しましょう」
―――――………………。
一度、大河の脳が思考を停止した。
なにせ、飛び出した言葉と、場がこれっぽっちもそぐわない。
どこの世界に、男に犯されたことを公表されたくなかったら、自分と結婚しろと男に迫る女がいるのだろうか。
「ああ、安心して。わたしはあなたを愛せないし、愛してほしいとも思わないから」
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