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日誌・50 きらきら

× × × 雪虎は思い出す。 三十分前。 車から降りる寸前、恭也が言った言葉を。 ―――――いいね、トラさん。 かつてない緊迫した雰囲気で、恭也。 ―――――車から降りて、一言でもしゃべったら、命の保証はできないよ? 雪虎は神妙に頷いたものだ。 (なのにこれはどういうことだ) 今。 雪虎は、高価そうな店の奥の更衣室で一人、値札を取ってもらった服を身に着けている。 鏡に映った自分の姿を見て、普段選びもしない服を着てるな、と他人事のように思った。値段は考えたくない。 さて、この状況をどう見るべきか。 昨夜、恭也たちと合流して、ずっと雪虎は車の後部座席で横たわっていた。 クスリの影響か、しばらくは座ることもできずにいたからだ。 乗っている車がずっと移動しているのは気付いていたが、雪虎は何も聞かなかった。 家に送るつもりで動いているのだと勝手に思っていたからだ。 結論から言うと、―――――浅はかだった。 スマホが手元にあったのは幸いだ。 起き上がれないなりに、会社に連絡を入れることはできていた。軽く事情を説明―――――と言っても、事情ははっきりしないが恭也と一緒にいる、と伝えただけだが―――――達者でな、という専務の返事を聞いて、通話を切った後も、頭が重くて動けなかった。 起き上がれない間も、恭也と黒百合は車での移動を続け。 そして、現在。 時計は午前10時30分を回っている。 服を着こんだ雪虎は、大きく深呼吸。思い切ってカーテンを開ければ。 腕を組んで外で待っていた恭也と目が合った。 恭也はサングラスをかけていたから、そんな気がした、というだけだが。 しばし、無言で見つめ合い―――――雪虎はたまりかねて尋ねた。 「これはどういう状況だ」 パジャマにサンダルという格好で、いきなり知らないテナントビルに引っ張り込まれたのは、つい先ほどの話。 きらきらしい今時の商品を並べた、高そうな店舗が複数入った店内を、恭也と黒百合が雪虎の手を引いて歩く。 正直、戦々恐々としていた小心者の雪虎には、周囲の状況などきっちり見えていなかったわけだが。 きっとおそろしく目立っていただろう。 この建物の中で、一番きらきらしているのは、目の前の男と、離れた場所で会計している娘だ。 考えただけで頭痛がする。 その状態で、入った店で、雪虎は無言のまま売り物の服を押し付けられ、着替えて来い、と恭也に更衣室を示された―――――正直、死刑台に立て、と言われるような得体の知れないプレッシャーがあった―――――わけだが。 いや、そもそも。 不思議なのは、恭也だ。 この、周囲に破滅の嵐をもたらす男が、普通に、こんな町中に立っているのが、一番の謎である。 そして、周囲は平和なまま。いつもの、阿鼻叫喚の地獄が起こる気配はひとつもない。 その戸惑いもあって、今まで沈黙していたわけだが。 「あっはははは!」 恭也が、楽し気な笑いを上げた。 明るい中で見れば、冗談かと思うくらい、スタイルがいい男だ。 身体のラインが、いちいちおそろしいほど魅惑的である。 触れて、撫でてみたい、という欲求を抱かずにいられる人間は少ないだろう。 そして、嫌味なくらい、サングラスが似合っていた。 (やっぱり、日本人の骨格じゃないよな) その向こう側では、雪虎が着る服の値札を取ってくれた店員に、黒百合が会計を済ませているのが見える。 ああ、会計…買ってもらうというのは落ち着かないが、パジャマでうろうろするわけにもいかない。 そしてきっと、…勘に過ぎないが、雪虎がこういう状態になっている原因は、恭也たちにある。 買ってもらおう。 どうしても気になるなら、あとで別の形で返せばいい。 黒百合はなぜか、古式ゆかしいメイド服姿だ。 ふと、月杜家の使用人を思い出し、小さく頭を横に振った。 もう、なにからどう聞けばいいのかわからない。 悩む雪虎に、恭也が楽しそうに声を弾ませた。 「いつまで黙ってるのかなって思ってたよ。そう、ここには、単にショッピングを楽しみに来ただけ。なんの危険もないよ。今はね」 今は。 含みがある物言いだ。 恭也が、ひょいと顔を覗き込んでくる。 そのまま、サングラスを顔の下へずらした。紺碧の瞳が覗く。上目遣いに、雪虎を見て、 「ただ、今日、町に出て、何も起こらないかどうかは、ぼくにも賭けだった」 「賭けって…周囲の安全を、どっちに傾くか分からない天秤に乗せたのか?」 絶対、恭也は知っているはずだ。雪虎が、その鮮烈な青色に心底弱いことを。 なおかつ、上目遣いと来た。 もともと年下の甘えに弱い性質も相まって、ここまで好き勝手をされても、どうしても怒りが湧かない。 「いいじゃない。結果が、こうなんだから」 「こう、ね」 雪虎は、周囲を視線だけで見渡した。…平和だ。少し眠たくなるくらいには。 だがその光景の中に恭也が立っているのは、違和感が強い。 「どうなってる?」 「説明した方がいい?」 「気になる」 雪虎は素直に答えた。 意外だったか、恭也は一瞬、唇を生真面目に弾き結ぶ。すぐ、嬉しそうに微笑んだ。…嬉しい? なんで。 「そう? じゃ、話すけど、まずはどっかに座ろうか。…あ、終わったみたいだ」 恭也が見遣った先で、会計を終えた黒百合が振り向く。 彼女を手招き、一方で、恭也は雪虎の手を引いて歩き出した。 空きスペースに設置してある机と椅子に向かう。自然に手を引かれて続いたが、 「…おい」 刹那に、ドン引きするくらい、人目が集中したのに気付いた。 思わず、恭也の手を振りほどく。 ―――――今までどうして気付かなかったのか。自分の間抜けさに舌打ちした。 恭也と黒百合は目立ちすぎる。 彼らに向かう憧れと感嘆の視線から逃れるように、雪虎は上着についたパーカーを引っ張り、目深に被った。 彼らと一緒にいるのは心地が悪い。 二人と違って、雪虎が目立つのは、悪い意味でに決まっているからだ。 先に椅子を引き、どっかと腰掛ける。 「ちなみに―――――ソレだけどさ」 恭也が座った雪虎に手を伸ばし、パーカーの端を引っ張った。 今、恭也が言った、『ソレ』というのは、雪虎が、周囲にとびきり醜悪に見える、あの現象のことだろう。 「もしかすると、治せるかもしれないよ?」 「あ?」 雪虎は顔をしかめた。 最近、似たような台詞を聞いたことを思い出したからだ。 言ったのは、―――――月杜秀。 「…どうだっていい」 低く抑えた声で吐き捨て、雪虎は大きく息を吐きだした。 「俺はともかく、あんたらは本当に目立つな」 雪虎に続いて、恭也と黒百合が座ると、視線の集中豪雨だ。痛い。 あまり長く一緒にいたくはなかった。が、恭也がここにいて、周囲で何も起きないのが、本当に気になる。

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