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日誌・55 不慣れな(R15)
ズボンのボタンが外される。と思うなり。
あっという間に、下着ごとずり降ろされた。
「ちょ」
さすがに、雪虎は抗議する。
「いきなり、なんだ」
「いきなりじゃない」
思わぬほど強い断言が返るなり、
「…ぅ、」
また掌で口元を塞がれた。同時に、内腿に、何かを押し付けられる。熱い。濡れている。
それが、何か―――――など、言われるまでもない。
「ぼくがこんなになったのは」
予想外の事態に、雪虎の身体が強張った。
「トラさんが悪いよ」
耳朶にあたる恭也の息が、弾んでいる。
「一晩中、後部座席で」
その。息を、強く抑え込んだ、…恭也の声は。
「苦しそうな表情浮かべて、汗ばんでぐったりしてさ…目の毒」
苦し気で、掠れ気味だ。聞いていると、妙な気分になってくる。
慌てて理性にしがみつくべく、雪虎は懸命に記憶をたどった。
―――――昨夜。
そう、昨夜は。
車の中で、雪虎はクスリのせいで、最悪の気分の悪さを抱えたまま、後部座席で死んだように横たわっていた。
寝ては覚め、覚めては寝ての繰り返し。
夜中にさらわれた挙句、どんな安物の薬物を嗅がされたのか知らないが、体調は最悪だったのだ。仕方がないだろう。雪虎の責任ではない。
それに。
死んだ魚のようだった雪虎のどこに、恭也は色気を感じたのか。
それに普通は、苦しんでいる相手がいれば、興奮するより心配するはず。
湧いた疑問に、余計、状況の理解が追い付かなくなる。にもかかわらず。
恭也は早口で囁いた。
「あの状態で襲わなかったんだから、褒めてほしいくらいだよ?」
褒めるも何も、弱り切った雪虎にいたしていたら、鬼畜の所業だ。
勝手なことを、と腹が立ってくる。逃れようと一瞬、もがいた。とたん。
恭也が、腰を突き上げるように動かす。
内腿の上をすべる感触に、雪虎は咄嗟に動きを止めた。なにせ。
「…んっ、腿の内側、気持ちいい。日本人らしい、肌がきめ細やかなだよね」
後ろから足の間を滑った恭也のイチモツが、裏側から袋をつついてくる。
雪虎は思わず両足を強く閉じた。
(う、動くな…って)
「は…っ、いいよ、ちゃんと―――――閉じてて」
感じ入った恭也の声に、耳を塞ぎたくなる。
一瞬、流されそうになるが、…素股などしている余裕などあるのだろうか。
いや、恭也がこういう行為に出る、ということは。
思い切って、雪虎は手を引っぺがした。何か言われる前に、低い声で尋ねる。
「おいコラ。…確認だが、追手は逃げたのか」
「え、今までわかってなかったの?」
「だったらさっさと移動を…って、だからっ、動くな…っ」
恭也が、大きく腰を引いた。足の間からぎりぎりまで引き抜き、また突き込んでくる。だが。
「…、…?」
雪虎は、内心、首を傾げた。
うまいこと狙いが定まらない、というか。
動きながら、恭也が、苦しいような息を吐きだす。
その動きには、不器用で、不慣れな雰囲気があった。
気持ちばかり先走って、身体がついて行っていない、そんな、ちぐはぐな感じが。
おかしい。
いつも受け身の恭也は、遊び慣れた娼婦の様にも振る舞う。
なのに、この状況はどういうことだ。
「お、い」
なんとなく心配になって、雪虎はつい、手伝ってやった方がいいだろうかという気持ちになった。思うなり、ばかなことを、と自分に呆れる。
だが、気遣うように揺れた雪虎の声に、何を思ったか。
く、と息を詰め、恭也が動きを止めた。雪虎の肩口に顎を乗せる。
雪虎を深く抱きしめ、身体の前を覗き込むような姿勢になったかと思えば。
雪虎の顔を横目に流し見る。
「ごめん、トラさん」
眉を寄せ、キツそうに、…もどかしげに、恭也は口を開いた。
「いつもなら、もっと…きちんと、できるんだけど」
赤い目元。潤んだ目。そこから容赦なく匂い立つ、官能の琴線をかきむしるような色気とは裏腹に。
恭也の表情には、思春期真っ最中の十代めいた朴訥な必死さが浮かんでいる。
そう、まさに思春期の子供だ。こんなのは、まったく、恭也には似つかわしくない言葉のはずなのに。
今の、彼には。
好きな女の子をはじめて抱く時のような、張り詰めた緊張感と初々しい一生懸命さ、…しかない。
なんてことだ、と雪虎は内心唖然となる。
そんな顔は雪虎に見せていいものではない。おかげで。
見てしまった、ただそれだけのことに、見当違いな罪悪感など抱いてしまう。
不器用な動きになるのは、必死過ぎるからだ。
極限の飢えにある獣のような。
雪虎が、ほしくてほしくてたまらないような。
雪虎が、少しでも目を逸らせば死んでしまうと訴えてくるような。
そう、雪虎がすぐさま、目を逸らし、知らないふりでもすれば、きっと恭也は動揺する。
もし雪虎が、悪い女だった、なら。
わざと顔を背け、怒った態度でも取るかもしれない。
普段、誰より強く優位な立場にいる男の動揺を愉しみたい、と駆け引きの態度を取る女たちの気持ちが、…今の雪虎には、何とはなしに理解できた。
(ああ、これは、――――そうだな)
心の底に生まれた、いたずら心を、ねじ伏せるのに、雪虎は内心苦労する。
(わざと揺さぶって、困らせて、もっと縋らせたいって気持ちになる)
これだけ整った顔立ちに、あなたがすべてと言いたげな表情を浮かべられたら、…もう。
それだけで、相当な誘惑だ。
思うなり、はたと我に返る。
おかしい。
これではまるで、雪虎の方が恭也に対して、圧倒的に優位に立っているようではないか。
…その表情と、言動のせいで。
拙い動きにも、かかわらず。
雪虎の身体にも、妙な疼きが灯る。
…まったくもって、風見恭也は、卑怯な男だ。
普段、上から見下ろすような大人びた余裕を見せるくせに、時に、今のような年下相応の、危ういような無垢さを見せる。
だが正直、それは。
やさしいお姉さんか、可愛らしい女の子に見せるべき表情だ。
雪虎のような、スレた人間にではない。
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