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日誌・100 操り人形

× × × 「はい、見てます見てます。なんっでしょうね、これ」 双眼鏡から、空港裏の空き地で起きた一部始終を見ていた男が、煙草の煙をまずそうに吐きだしながら、呟く。 暗いから、詳細までは分からないが、ある程度の動きは把握できていた。 連なる護送車は、御子柴が運営する警備会社のものだろう。 「円満解決、みたいになってますよ。御子柴にとっては。よかったですね?」 そうとしか言いようがなく、言ってみれば、案の定、ケータイの向こう側からは、怒りの声が返ってきた。 「あんた方だって、御子柴でしょうに…はいはい、あー、オレもでした、そうでした」 『―――――『魔女』が関わって、コトが無事に済むか。ふん、ヤツらもたいしたことのない』 「それ、連中の前では絶対言ったらだめですからね。今回が特殊ですよたぶん」 男は、車に乗り込む何人かを双眼鏡で追う。 「なんかイレギュラーな参加者がいるっぽいですね。あの帽子の人誰だろ…なんで御子柴大河と一緒に車に乗りこんでるの?」 『知るか。くそ、では今回は、未熟な若造の経歴に傷がつくどころか、名を上げるのに協力しただけということか』 「そう仰らないでください。傷つくなあ」 なにせ『魔女』を引き込んだのは、この男だからだ。 色々な情報を手にした時、一方だけを見ずに、全体を俯瞰してみれば、意外なことが発見できることがある。 その一つが、今回の出来事だ。 ごく普通のおばあさんと『魔女』に接点が発生する予兆があった。 しかも、その老女は御子柴が粛清したがっている組織に関わっていた男に恨みを持っていた。 (あのおばあさんと『魔女』をつなげたらどうなるかなって、ほんの出来心だったんだけど) 親切を装って唆せば、あの老婆はうまく動いてくれた。 ついでに、恨みを買っていた男の方にも、親切めいた助言をすれば、事態が妙にややこしくなってしまったが、それはそれで楽しかった。 そう、すべて、楽しければいいのだ。 電話口の向こうで、渋い声が呟く。 『我々御子柴の古株は、大吾さん…今のCEOには逆らえん。代替わりの今が、機会なのだ』 「確かに、御子柴の影響力は魅力ですけどね」 とはいえ、大吾の実力もさながら、御子柴大河も、侮れない人間だ。 下手を打てば、手痛いしっぺ返しが待っている。 知っているが、危なくなれば逃げればいい。 ただ男は、面白い方につくだけだ。 「御子柴大河を追い出すつもりですか? けどもし成功しても、今の御子柴ってグループは分裂するのが関の山でしょ」 御子柴の古株は実力こそあれ、御子柴大吾・大河親子ほどの、求心力を持つ存在はいない。 『追い出しはしない』 果たして、相手は言った。 『操り人形になってもらう』 利口な選択だ。しかも。 それは楽しそうだな、と男は心の内で笑う。 御子柴家が持つ、あの体質。他者を心酔させる、魅了の力。篭絡の手腕。 あれを好きにできるなら。 知らず、笑みが深まった。 …正直、男にとって、御子柴家は退屈だな、というのが本音だ。 あれだけ破格の魅力を持っているのに、結局、世間のルールを頑なに守って、道から外れるようなことをしないからだ。一見、無茶をやっているようにもみえるが、彼らは決して野心を抱かない。 だからこそ、その血脈は長く続いたのだろう。 何度か絶える危険はあったものの、権力者や野心の深い者が、まず、彼らを手放さなかった。結果、―――――木乃伊取りが木乃伊になった可能性も高い。 そして、今。 御子柴は未だ権勢を誇っている。欲にまみれた視線を一身に浴びながら。 「へえ? でもさやかっていう厄介な嫁さんももらってますし、一筋縄じゃ行きませんよ」 御子柴さやか。 調べたところ、驚くべきことに、身元から経歴まで、なにひとつ嘘はなかった。 ただひとつ。 秘されていたことがある。 彼女の義理の兄が、―――――あの月杜家の傍系と言うことだ。 そう、傍系―――――だが月杜からはなぜか非常に尊重されているという。 大河に関わることでは、これが一番の厄介ごとだ。 『あの女か…いずれ、御子柴から出て行ってもらうさ。御子柴の子は二人もいるのだ』 電話向こうの声が苦いのは、やはり、さやかの背後に月杜を見るからだろう。 「仲がいいみたいだから、引き離すのは難しそうですよ」 混ぜ返せば、不機嫌な声が返った。 『聞いた話では、寝室はもう別々らしい』 「…ふぅん、意外」 まあ、他人の夫婦仲などどうでもいい話だ。 「なんにしたって、今回はここまでですね。それじゃ、オレはもう帰ります。お疲れ様でした」 相手の返事も待たずに、男は通話を切った。 双眼鏡の向こうでは、もう大半の車が引き上げたところだった。 × × × 先に入っていてくれ、と言われた雪虎が足を踏み入れた部屋は、整然と片付けられていた。 埃も積もっていなければ、ゴミが落ちているわけでもなく、着替えが放ったらかしということもない。 中に入って振り向けば、ドアに神経質なくらい、複数の鍵がつけられていた。 今は中に雪虎がいるから、外を警戒しての施錠したりはしないが。 (そう言えば、外からも鍵がかけられるようになってたな) …外、と言っても、御子柴の屋敷の中なのだが。 つまり、家政婦も家族も誰も、この部屋へは入らないということだ。室内はすべて、大河が管理している。 ―――――そうするだけの理由が、大河にはある、…わけで。 なんとなく、室内を見渡す雪虎。とたん。 一瞥しただけでもなんとなく察せる位置で、監視カメラが回っていた。 「…」 自身の靴を手に、遠い目になる雪虎。 ―――――あ、これは間違いない。 大河は、侵入、されたことがあるのだ。かつて、自室に。 そして、おそらく。 カメラや盗聴器を設置された経験がある、のだろう。 それもおそらく、一度や二度、ではなく。 あの監視カメラは、部屋の主がいないときに回っている。万が一、侵入したものがいて、何かを仕掛けられたらすぐにわかるように。 (お姫さんと、早々に寝室が離れた理由ってまさか) 理由は聞かなかったが、というか、聞かないで、とさやかに苦い顔で言われたから聞かなかったわけだが。 …夫婦の寝室に、カメラが仕掛けられていた、のだろうか。 さやかの反応を思い出すに、あり得そうだ。 ―――――ちょっと、血の気が引く。 風呂もトイレも寝室も、果ては簡易キッチンまで、この部屋には設置されているようだ。よくよく見れば、洗面台のそばに洗濯機まである。 一つの家の中の一室だというのに、独り暮らしをしていると言われても、不思議はない部屋だった。 (御曹司は機械に強いから、自分のスマホとかに画像が回るような仕組みになってそうだな…) 迂闊に誰かを信用できない状況って、怖い。

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