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日誌・101 のぞき見

首を横に振って、雪虎は一旦靴をベランダへ放り出す。 とはいえ、まず窓を開けるのに苦労する羽目になった。妙なところに鍵がついているのだ。 しかも、解除の順序があった。失敗すれば、一からやり直し。 (パズルかよ!) 正直、そういうもので脳みそを絞る状況に陥るくらいなら、近所を全力疾走してきた方がましだと思うのが雪虎である。ちょっと泣きそうになった。 ようやっと靴を放り出した時には、もうへとへとになっている。 (なんだこれ。いったいどうしたってんだ…昔は、ここまでじゃなかったろ) 雪虎は、うなされたような表情で、大学生の頃を思い出した。 御子柴大河は、皆の中心で、誰からも好かれ、愛される存在だったはずだ。 一部、歪んだ好意を持つ相手はいたが、そういった者も大河はうまくあしらっていた。 もちろん、大河はとても、善人などではない。 が、世渡り上手で、変に敵を作ることもなく上手に過ごしていた。というのに。 ―――――学生の頃と、社会に出た後では、また状況が変わったのだろうか? この部屋を見る限り、相手から向けられる執着も、ひどいくらいに度を越し始めている気がした。 (怖ぇし、何よりキモい) もし雪虎が、自分の部屋にカメラや盗聴器を仕掛けられたらと想像してみた。 それだけで、すぐに引っ越したくなる。 だが当然ながら、大河は家族から離れたくなかったのだろう。この状況は、苦肉の策か。 大丈夫なのかと心配になるが、大河は一人前の社会人の男である。 雪虎のような半端な男に、変に案じられるのは業腹だろう。 雪虎はため息をつく。なら、半端な人間はまず何をすべきか? …自分の状況を案じるべきだ。 一つ頷き、雪虎は部屋を見渡した。 荷物はさやかがあとで送ってくれる手筈になっているから、取りに行く必要はないだろう。むしろ取りに行けば、逆に不自然だ。 もう帰ると連絡を入れて、靴をこちらに放り出した現在、ここに雪虎がいることを知る者はほとんどいない。 今、大河は、事前連絡をして用意してもらった部屋へ、悠太を案内しているところだ。 都会の一等地に立つこの邸は広い。しばらく、戻って来ないだろう。 つまるところ、今は雪虎にとって、束の間の自由時間。 だからこそ、監視カメラは止めたいところである。 繋がってカメラを管理しているパソコンなど、ないのだろうか。 思いながら、執務机に回り込み、椅子に座り込んだ。とたん。 腰から溶け落ちそうになった。…いい椅子である。もうこのままここで寝込んでいいかもしれない。そんな気分で、背もたれにもたれかかり。寸前で、堪えた。身を起こす。 この椅子、高価いんだろうなあ、と場違いに考えながら、手前に並ぶ、電源が落ちたディスプレイをざっと見渡した後。 すぐ分かる場所にはないだろう、と適当に引き出しを開けてみる。と。 ひとつだけ、鍵がかかっている引き出しがあった。 だがそれも、一番上の引き出しに入っていた小さな鍵で開けることができた。中には。 「…うわ」 小型のノートパソコンが開いたまま置いてあり、四つほどに区切られた画面内の画像には、室内のそれぞれの場所の現在が映し出されている。 もちろん、執務机で座っている雪虎の姿も。 (この部屋と、…寝室、風呂場、…―――――なんでトイレまで??) しかも、四つに区切られているうち、それぞれの中に、アングルが違う画像が細かに並んでいた。 そのパソコンの背には、長いコードがついている。 どこかとつながっているようだが、それがどこか分からなくても、幸い、長さ的に引き出しから取り出すのに問題はなかった。 机の上に置いて、しげしげ眺める。これは止めてもいいものだろうか? というか、それ以前に、止め方が分からないことを自覚する。それに。 (なんか、俺のこうした動きも全部、御曹司には伝わってそうだよなぁ) 何をしても掌の上、というか、そんな気がした。 下手に触ってあとで怒られないだろうか。…今更か。 黙って眺めているのも退屈だな、と思う端から、そう言えば、と思い立ったことがある。 昨夜、家族団欒の食事会だったわけだが、最後は男たちだけの飲み会になった。 御子柴の義父はいい酒をしこたま持っていて、 「持っているだけでは意味がないからね」 と穏やかに笑って開けてくれたが、値段を考えると少し怖い。 とはいえ、雪虎では、名前を言われても価値がすぐ分からない。情けないが、そこは救いだ。 最初に義父が眠そうになった頃、迎えに来た義母に預け、次に眠気が来たらしい大河を雪虎が部屋まで送った、わけだが。 双方とも、結構、酒が回っていた気がする。 雪虎は、どちらかと言えばつまみの用意に洗い物に、と立ち働いていたせいか、あまり回らなかったのだが。 部屋に戻るとき、大河に、少し袖を引かれた気がしたが―――――そんなわけはないだろう。 皆、朝はしゃんとしていたが、…大河などは、この部屋で一人だったのか、と思えば。 少し、心配になった。 それだけだ。 ―――――だから。 昨夜の大河の様子を見てみようと思ったのは、心配から生まれた気紛れで、他意はない。 (あー…っと、昨夜の映像、…って、どうやって探すんだ。ん、これか?) 何時頃だったか、と思い出しながら、その時間帯を指定する。 部屋に入れば、きちんとした大河のことだ。録画など止めてしまうだろう。 彼には自分を撮る趣味などあるまい。 入った時の様子だけでも確認できればいい。 そう、…軽く考えた、わけだが。 今日一日の疲労を鎧のように重く感じ始めた身体を椅子に沈め、雪虎が画面を眺めていると。 やがて、大河が入ってきた。 人の気配を感知したか、自然に、室内に薄い明かりが灯る。 部屋を横切る大河の頬も耳も、首も、酒のせいだろう、ほのかに色づいていた。 疲れたような息を長く吐きだし、熱いのか、襟元を緩めながら、―――――真っ直ぐ寝室へ。 その時点で、ん? と首を傾げる雪虎。寝室を見遣る。 執務室にあるこのパソコンが監視カメラを管理する大本だろうと見当をつけたわけだが、違うのだろうか。 これがそうなら、大河は部屋へ入ってまず、まっすぐ、ここへやってくるはずだ。 だが、大河は素通りし、寝室へ向かった。 (…もしかして、あっちにあるのか? カメラを管理してるパソコンが) 雪虎がそちらを気にしているうちに、寝室に仕掛けられている監視カメラの視界に大河が入ってくる。 執務室側の明かりが消えた。代わりに、寝室の方で、薄い明りがつく。 着替えようというのか、大河が、ゆっくりネクタイを襟から抜いた。次いで、ベルトを。両方、ベッドの足元に放り出す。 ―――――次第に、雪虎は居たたまれなくなる。 なんというか、のぞき見している心地になったのだ。 これは、おそらく。 (カメラ、止めるの忘れてるだろ、御曹司…っ) とうとう、雪虎は確信した。 察するなり、慌てる。これ以上は見てはいけない。 焦りのまま、パソコンに手を伸ばす。止めようと思ったのだ。 「あ、いやでも、だから、止めるってどうやって…」 呟いた時には。 指が、パソコンのキーボードのどこかを、変に押した気がする。 画面がいきなり切り替わった。 はじめは、いくつか区切られた画像の内、それぞれに映し出されている部屋が違っていた。 だが、今画面に残っているのは、寝室の数か所に設置されたらしいカメラがとらえた画像だ。 (…な、んで、寝室にこんなにカメラが…って) その多さに唖然となった刹那。 そのすべてにあますところなく映し出された光景に、雪虎は動きを止める。 言葉をなくした。

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