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日誌・103 何をお望みです?

× × × それは、御子柴に、ということだったろう。正直、驚いた。なにせ。 さやかと違って、雪虎には特筆すべき能力などない。頭脳は平凡以下で、容姿にも問題がある。雪虎が御子柴に来ることは、御子柴に傷をつけかねない。 だからこそ、御子柴の両親は、最初、雪虎によそよそしかったのだ。そう、彼らは。 当初、これっぽっちも、雪虎を受け入れる姿勢を見せなかった。 それは、どの程度の間だったろうか。 さやかの兄代わりとして挨拶に行き、二人が結婚して、子供たちが生まれてからも、しばらくは、だ。 親しく話せるようになったのは、ここ最近の話である。 それは当たり前の話だ。 雪虎はただ、さやかの兄代わりであり、月杜家の傍系にあたる者、ということでかろうじで無視されなかっただけだった。 いや、月杜に連なるものだからこそ、警戒があったのだろうか。それとも。 月杜から縁を切ったような半端者だから、距離を置かれたのか。 もちろん、だから恨んでいる、とか、苦手意識がある、とか言うような話ではない。 ただ雪虎は雪虎らしくあるだけだ。 それ以外には、もうなりようがなかった。 雪虎は雪虎で、彼らは彼らで、確固たる姿勢を持っているからこそ、それは必要な距離だったのだろう。 というのに。 彼らの態度が変わったのは、いつだったろうか? いつだって、雪虎は雪虎であったから、明快に、『コレ』というものは思い当たらないが。 おそらくはあの時かな、と思うことはある。 まだ、子供たちが今よりもっと小さかった頃―――――つまりは、本当に、最近の話になるが。 大河が体調を崩した。 確か、正月で、親戚の集まりの席だったように思う。 滅多にないが、崩すとなると、大河はいっきに不調が出る。 そのまま、ぶっ倒れてしばらく動けなくなるタイプだ。 平気な顔をしていたが、雪虎から見れば、無理をしているのが一目瞭然だった。 ただ、もう、二児の父親という責任感やメンツもあったのだろう。 大河はまったく、弱味を見せなかった。 これは完全に、あとで昏倒するパターンだ。 察した雪虎は呆れたが、大河の気持ちも分かる。なにより彼は、大企業の後継者だ。 例え倒れそうでも、倒れてはいけない。トップとはそういうものだ。 裏方に回った雪虎は、親戚のおばちゃんたちと料理で交流を深めながら、やきもきしながら解散まで待った。 ウチの妹をよろしくお願いします、ともう反射になった売り込みも忘れない。 解散後に、ようやく大河をつかまえたものの、今度は、控室へ連れて行くまでが一苦労だった。 体調など悪くない。熱などない。 そうやって、平気な顔をして、ごねる、ごねる。 心得たさやかが、子供たちをそっと別室に連れて行ったところで、いい加減ぷっつんきた雪虎が一喝したところで、ようやく大人しくなった。 おそらく、大河も相当気分が悪かったはずだ。体調もきつかったろう。逆らう気力があっただけでも、大した精神力と言える。 黙り込んだ隙に乗じて、雪虎は大河を控室へ放り込んだ。 鷹揚に構えて見守っていた義母に、大河の水分補給と看護を頼み、雪虎は後片付けに戻ったのだが。 あんまり雪虎の剣幕がひどかったのか、妻と見守っていた大吾などはおろおろと、 「そのね、あまり厳しい言い方はね、」 と言いさしたのも「黙っていてください」とあしらったのだから、「無礼で失礼な男」と思われても仕方なかったと思う。 それがどうだろう。 ―――――御子柴家ってのは、変わり者が多いのか? 振り返れば、その頃から、御子柴の両親の態度が変わった。 微笑が、冷ややかではなく、温かくなった。 雪虎としては、自分がやりたいように動いているだけなので、暴挙を許してくれただけでもありがたい話だ。 そのため、御子柴は、雪虎にとって、居心地の良い場所なのだが。 「ありがたいお話ですが、俺では御子柴の傷になります」 器用な言い方などできず、正直に応じれば、大吾は苦笑した。 「そんなことはない。鳥飼君をはじめ、君を慕う人間は多い」 なぜそんなに自信がないのか分からないよ、と言った大吾の声は柔らかかった。 「無理強いをすれば、月杜が黙っていないだろうからね。とりあえず、考えてみてくれないか」 何を思って、大吾がそのようなことを言い出したのか、雪虎には読めない。 実際、雪虎程度では、御子柴の仕事に役立たないはずだ。 だからまた、ばか正直に言った。 「つまり、義父さんは、俺に仕事をさせたいわけではないでしょう?」 言葉を飾らない雪虎に、大吾は困った態度で微笑む。 その目を真っ直ぐ見ながら、雪虎は尋ねた。 「では、何をお望みです?」 大吾は、ふ、と息を吐きだし、そのときばかりは真摯な表情で、答える。 「―――――大河の支えがほしい」 雪虎は、咄嗟に息を呑む。 目を瞠り、困惑に身を浸した。 大河の支え。 あの、大河の支え。 …彼から、どちらかというと、嫌悪されている、この、雪虎が。 胸の内で、雪虎は即断。 ないな。 なにより。 …実のところ。 義父はともかく、義母は、…おそらく、察しているのではないか、と感じていた。 何をか? ずるずる続く、大河と雪虎の関係を、だ。 なにせ彼女は、御子柴の直系である夫と、添い続け、息子ごと守ってきた女傑だ。勘もいい。 にもかかわらず、大河と雪虎の関係を肯定しているような態度も、よく分からない。嫌悪されないだけ、まだましだが。 もしかすると、察しているのだろうか。目の前にいる、大吾も。 黙り込んだ雪虎に、大吾は穏やかな声音で続けた。 「腹芸なく、正直に話すのは苦手だから、うまく説明できるかどうか、分からないのだが」 品よくグラスを傾け、唇を湿らせ、大吾は雪虎に微笑む。 「承知の通り、今、御子柴は過渡期だ。私から息子へ、代替わりの準備期間にある」 さやかの様子から、それが何やら大変そうなことは、雪虎でさえ察していた。 「御子柴の代替わりは、代々、大変でね。私が父から譲り受けるときもそうだったのだが」 何を思い出したか、常に穏やかで余裕ある大吾の顔に、ふ、と残酷さが過る。 「乗っ取ろうと動き出す、浅はかな者が大勢出てくる」 「え、無理では」 雪虎は冷静な態度でつい突っ込んだ。 「万が一できたとしても、企業は空中分解しますよ」 この御子柴親子ほどの求心力を持つ存在が、他にいるだろうか。 なんにしろ、彼らの隙をつけるものが存在するなら、むしろ見てみたい気もする。 大吾も大河も一見、穏やかで優しげだが、本能的に怖いと感じるのは、雪虎にとって、初対面の時から変わらない。無意識に警戒が働く。 大吾は楽しげに笑った。 「絡め手で来る連中の中には、我らの血統を潰すのではなく、利用しよう、…操り人形にしようとする者がいるんだ。―――――正直、気持ち悪いけれど、いい考えだね」 雪虎はつい、眉をひそめる。 「まるで道具扱いですね。…でも、あなた方に、通用する絡め手なんて、存在するんですか」 心底、不思議に思って首を傾げれば、大吾は黙って笑みを深めた。 それを見て、雪虎はなんとなく、唇をきゅっとへの字にする。 「…方法を思いつけない俺に、呆れてますね?」 「違う、好ましい人柄だと思っているんだよ」 そうだろうか、不審の目を向ける雪虎から、ふ、と視線を外し、大吾は広い部屋の中、廊下へ通じるドアを見遣った。 そろそろ、大河が戻ってくるのだろうか。 思った雪虎は空になった大河のグラスに氷を入れた。 「さやかくんがダメだと言っているんじゃない。彼女も絶対、大河に必要な人間だ。ただ、さやかくんは、大河にとって戦友なんだ。そしておそらく、さやかくんにとっての大河も」

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