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日誌・107 シーソー遊び(未遂)(R18)
「…そうですか」
大河は強く自分の意見を主張することをしなかった。
雪虎を見ようとして、寸前で、前を見たまま目を伏せてしまう。
その態度の不自然さに、雪虎は大河の横顔を近くから覗き込んだ。一方で。
両手で、首筋から肩口、わきの下まで泡で拭うようにした。
敏感な部分なのだろう、大河がわずかに顎を引き、息を呑んだ。
それを感じながら、正直に聞いてみることにする。
「さっきから、なんで、こっち見ないんだ?」
雪虎の素朴な疑問に、大河はなぜか、小さく唸る。
「見たいです」
なんだって?
「見たいのか」
いつも見てるじゃないか。なんで、見たいのに見ないんだ?
言おうとして、雪虎はやめた。
代わりに、大河を胡乱な眼差しで凝視。
その視線に、何か諦めたように、大河はやけっぱちめいた口調で言葉を続けた。
「ですが、見ないようにしているんです」
(だからなんでだよ)
それ以上の説明はないのだろうか、と、じっと見つめれば。
前を向いて動かない大河の耳が、真っ赤に熟れているのが目に入る。
気付くなり。
いたずら心で、雪虎は、両手を反対側の左肩へ伸ばした。
子供をあやすように、軽く、抱きしめるように、して。
「美味そう」
声なく笑いながら呟き、大河の耳を甘噛みした。とたん。
びくんっ、と大河の肩が跳ねる。
激しい反応に、今度は、雪虎の方が驚いた。
今は、ベッドの上での行いのような、逃れられない快楽の渦の中に落とし込まれているというわけでもないのに。
これは、言ってみれば、単なるいたずらだ。
びっくりした雪虎が唇を放せば、表情を隠すように大河は顔を背ける。
「…どうした?」
嫌だ、というわけでもなさそうだ、と思いながら離れれば、
「っ、その」
振り向いた大河が、真っ直ぐ目を合わせて、切実な声で言った。
「続けて、ください」
衝動的に言うなり、恥ずかしそうに目を伏せる。
どうやら、身を離したことで、もうやめると思われたらしい。
「いや、右腕はもう終わるわ。次は左腕な。終わったら一旦、泡を流すぞ」
「…はい」
また、ボディソープを出して、雪虎は両手で泡立てる。
次は雪虎が言わなくても、大河は右腕を下げ、左腕をわずかに上げた。
「お利口さん」
言いながらそちらをまたぐように、して。
また、身体を使って、丁寧に、泡立てていく。
両手で肩口を撫でれば、少し冷えているように感じた。
大河は、と言えば。
愚直に腕を上げているだけで、何かを仕掛けてくることはない。
好きなように、雪虎から腰を押し付けられる。
(避ける様子はないから、イイ、んだろうけど)
素直すぎて、逆に戸惑う。
それならそれで、と雪虎は、ゆっくり腰を動かして泡立てながら、快楽を拾った。
一方で、指を動かして、肩口から首筋を撫で上げる。
(首のあたりは、熱い、…ような)
首の横を、上下に、確かめるように撫でれば、心地よさを堪えるような息が、大河の唇からこぼれる。
それを確認し、くるりと、両手で覆うように喉仏のあたりとなだらかな首の後ろを泡で包み込んだ。とたん。
ふ、と大河が眉をひそめる。
「ああ、悪いな、これは嫌か」
見とがめた雪虎が言えば、
「あ、…いいえ。そうでなく、…ちょっと、思い出したことがあるだけです」
掌の下で、大河の喉仏が動く。
それを感じながら、何とはなしに、雪虎は自分の手の位置を改めて確認。
―――――首を絞めているようだ。
極力何でもない風に、雪虎はすぐ、手を放す。
そんなつもりはなかったのだが。
…そう、見えなくもない。
そこに、大河が反応したのなら。
(…デリケートな問題だな)
迂闊には何も尋ねられない。
…時折。
返ってくる反応によって、予測される大河の経験には、寒気を覚えるものがある。
今回も、そうだ。
おそらく、大河は以前。
「いいですよ、トラさんなら」
雪虎の思考を断ち切るように、大河はいきなり、そんな風に言った。
日頃は素っ気ないくせに、こんなときは、ひどく穏やかに。
「…俺にそんな趣味はない」
他人の首を絞めて興奮する趣味など。
想像をすることすら苦しい。
泡を湯で流そうと離れれば、大河は微笑んだ。
「残念ですね」
雪虎の反応をどう思ったのかは、態度からはうかがい知れない。
(何考えてるんだか)
無言で、雪虎は洗面器に湯を掬う。
大河の背から丁寧にと、その湯をかけた。泡を流す。
一旦自分にもかけて、顎から滴る汗をぬぐった。
「寒くないか、御曹司」
まだ湯には一度も浸かっていないが、湿気だけで、雪虎は結構熱い。動いているせいもあるのだろうが。
されるがままになりながら、大河は一度唇を引き結んだ。
複雑な視線を雪虎に…意識してか、雪虎の顔だけに向け、身体の方は見ないようにして、呟くように答えた。
「…暑いくらいです」
「マジか」
咄嗟に、無遠慮な動きで、雪虎は大河の背中にぴたっと掌を当てる。
また、びく、と今度は小さく大河の身が震えた。
「あ、悪い。びっくりしたか」
「いえ、大丈夫、です」
「確かに、体温上がってる気もするな。まだのぼせるなよ? 全部洗ってないんだから」
「ぜんぶ…ですか」
そう、と頷き、雪虎はまたボディソープを注ぎ足し、きちんと泡立ててから大河の腿の上に塗った。
浴室の椅子は低い。
大河の右腿の上を跨ぎ、雪虎は腰を落としたが、バランスがとりにくかった。
大河はと言えば、真正面に陣取った雪虎をやはり、真っ直ぐ見られないのか、視線を横へ流してしまった。
「お前ね…」
雪虎の動きは、そんなにみっともないだろうか。
だから見たくない、と?
どちらかと言えば根暗の雪虎は、つい、そんな風に考えてしまう。
それでも、大河が嫌がっていないのは、なんとなくわかる。ならば続けるだけだ。
片方の膝をつき、もう一方の膝を立て、腰を前後に動かそうと、して。
肌の上で、きちんと滑るが、それが逆に動きをぎこちなくさせるのに、
「あー…、やっぱり、ちょっとやりにくいから」
雪虎は自分の腰に巻いたタオルを取っ払う。
「トラさ」
とたん、大河が責めるような声を上げるのに声を重ね、
「御曹司も協力してくれないか」
雪虎はタオルを持った手を、背後の大河の膝につき、もう一方の手で目の前の大河の肩を掴んだ。
これでどうにか、バランスが取れる。
「…協力、ですか」
大河は、目を閉じ、ため息をつく。
嫌がっている、というよりも、困ったと言った態度だ。構わず、雪虎。
「ああ、子供をシーソーで遊ばせるみたいにさ」
動きを想像しながら、雪虎はふ、と腰を前へ突き出すようにして、背中をわずかに後ろへ下げた。
そうすれば、尻の間で、大河の腿の上を滑るようになる。
大河が協力してくれるなら、こちらの方が動きやすいだろう。
「膝を上下させてくれよ。…ゆっくりな?」
ああ、これは、本当に子供の遊びだ。
「わかりました」
言うなり、大河は言われたとおり、慎重に膝を下げていく。
ずり落ちないように、と後ろについた手でしっかり身体を支えようとするなり。
―――――どうやら、加減を間違ったらしい。
「う、わ…っ」
雪虎の手が滑った。
「トラさん!」
身体が滑り、背中から床へ倒れそうになる。
その腰を。
咄嗟に伸ばした大河の両手が掴んだ。
「あ」
互いの瞠った目が、互いの目の中に映り込む。
一時、互いの動きが止まる。
落ちた沈黙は、雪虎の、驚きで跳ねた心臓の動きが平静に戻るまで続いた。
大河の顔が、驚きから、真剣なものに変わっていく。
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