109 / 197

日誌・108 いじめたくなる(R15)

これはお叱りがくるかな、と雪虎が身構えた、そのとき。 ―――――ぴちゃん。 湯船の中に、一滴の雫が落ちた。 それっぽっちの音に、驚いたように大河は息を呑んだ。 その視線が、雪虎の目から、鼻筋、唇、首、胸、腹、…と落ちていき。 「っもう、いいです」 きっぱりと固い声で言い切り、大河は雪虎を立ち上がらせながら、自分も立ち上がった。 振り切るように顔を背け、シャワーを掴んだ。 しばらく明後日の方へ水を出し、温かくなるのを待って、シャワーの湯を雪虎の身体にかけてくる。 「なんだ? 怒ったか?」 その割には、気遣いめいたものを感じる雪虎は、大河に真っ直ぐ尋ねた。 素直に答えは返らないとは思っていたが、案の定、大河は無言。 珍しく、怒ったような顔をしていた。 (なんだよ) 「泡は流しましたので、あついならのぼせる前に、出てください。僕は一人で入ります」 雪虎の肩を扉の方へ押しやり、シャワーをフックにかける。 いきなりどうしたのか。 さきほどまでは、確かに、悪い雰囲気ではなかったのに。 首を傾げた雪虎は、手にしたタオルを見下ろし、 「ああ」 合点がいった。 タオルを外したから、今は、なにもかも丸見えだった。 「やっぱり、女の子の方がいいよな」 たちまち、大河が眉をひそめる。 「そうでなく」 「いや別にそれが普通…」 「―――――これ以上誘惑は止めてください」 ゆうわく。 意味が分からない。雪虎は難しい顔になる。 いや、言葉の意味は分かる。 だがそれが、どうやっても現状とつながらない。 しかし、大河がそれ以上何かを言い出す気配もなければ、説明してくれる様子もない。 雪虎は、大きく息を吸った。 吐きだす。 分からないことを考えたところで仕方ない。 ので、…とにかく今分かることをすることにした。 「それよりお前、自分もちゃんとしろよ」 「いえ僕は」 大河が言いさすのも構わず、湯を雨のように落としてくるシャワーを取り上げた。 大河の身体にかけて、泡を流す。 「これでいい。ほら、湯船に浸かれよ」 「…もう、暑いので。僕もそろそろ出ます」 確かに、大河の全身はほんのり色づいていた。 それを横目に、雪虎はシャワーを止める。 大河が吐きだした息は気怠げ。 見下ろせば、大河の腰のモノも雪虎と同じく、まだ勃ち上がったままだ。 様子を窺うように大河の顔を見遣れば、いつもとは、どこか様子が違う気もするが。 …いや、いつもと同じだ。同じ、なら。 ―――――まだ、足りないだろう。 目を逸らした大河の目に、雪虎が唇に浮かべた不穏な笑みは映らない。 「じゃ、あと少しだけご奉仕したら、俺はあがる」 『奉仕』の部分を聞き逃したか、 「ぜひそうしてくだ、さ」 言いさした大河の肩に手をかけ、身体の向きを変えさせた。 大河は、壁と向き合う格好になる。 「…今度は、何を」 呆れた声を出す大河の背、その輪郭を。 雪虎は、肩甲骨のあたりから、すぅ、と両掌で確かめるように撫でおろした。 あがる湯気の中で、大河が息を呑む。 その腰から。 雪虎は、タオルを解いた。 露になった、大河の身体の輪郭に、雪虎は目を細める。いつ見ても、眼福だ。 素直に、賞賛を目に浮かべる雪虎。 手にしていたもう一枚ごと、タオルを湯船の縁に引っかけて―――――おとなしくなった大河に命令。 「壁に、手をつけ」 雪虎が、こういう態度に、なった時。 大河は、決して、勝てない。 いや、普段から、勝とうなどとは思っていない。 ただ、素直になる方法が分からないだけだ。そういう、大河にとって。 強引に出て、命令すら下す態度の雪虎は、むしろ、従いやすかった。 それでも、すぐには動けない。 惑いながら、大河は壁に両手をついた。 黙って待っていた雪虎が、すぐ、次のやるべきことを示す。 「それから、腰を後ろへ…そうだ」 本当に、嫌ならば。 そんなことをする必要はない、と。 言い放って、振り払えばいい。 そうすれば、雪虎は無理強いしない。 絶対に、逃げ道を塞いだりしない人だ。―――――そう、知っているからこそ。 …大河は、唇を噛んだ。 (逆らえない) 逃がそうとするから、逃げられない。 逆に、縋ってしまう。 放さないでほしい。 縛ってほしい。 いやむしろ、捕らえていてほしいからこそ、大河は雪虎を閉じ込めてしまいたくて、たまらない。 だから今回、大河は雪虎を引き留めた。 部屋へ呼んだ。 この行いは、大半の、雪虎にまつわる者の目から彼を隠しているはずだ。 ほとんどの者が、今現在、雪虎がどこにいるか、正確には把握できていまい。 その事実は、大河に暗い満足を抱かせた。 これはきっと、愛情ではない。 おそらく、単なる執着だ。 だがどうして、ここまで雪虎に執着してしまうのか、その理由を尋ねられたなら、大河は答えられなかった。それとも、その理由こそが、愛情なのだろうか。 ―――――愛しているんです。 ―――――好きです、だから。 ―――――こうしてしまうのは、誘惑するあなたがいけない。 繰り返され、愛だの、好きだの、一方的に与えられる…いや、押し付け、投げつけられるものに、大河はもううんざりしている。 そして結局まだ、彼の望みは叶えられないままだ。 ―――――何かを、愛したい。心から。 もちろん、家族のことは愛している。 だが大河が求めるものは、静かで穏やかなそれとは違う、もっと別の輝かしい何かだ。 幼い子供が遠い月に憧れるように、おとぎ話の中でしかないようなそれを、未だ求めてしまっている自分が、時に憐れだと思う。 もう、心のどこかで諦めてはいた。 ―――――そんなもの、この世のどこにもないんだろう。万が一、あったとしても。 …自分の中には、ないのだ。 きれいなもの、なんて。 「いーもん、置いてあるよな」 言いつつ、雪虎はローションを手に取った。 何に使うか、は。 大体、想像はつく。 録画された、あの映像を見た以上は。 だがそれは素知らぬ振りで、雪虎は蓋を開けた。 容器を逆さにして、大河の背中に中身を垂らす。 「…ぁっ」 大河が上げた、泣きそうな声が、浴室に響く。 ぬるり、大河の肌の上を伝い落ちるそれに、雪虎は両手を浸して、一旦離した後、 「お前、なんかここ、…柔らかくなったよな?」 言いつつ、大河の尻肉を下から持ちあげるように揉み上げた。 もちろん、女性ほどのやわらかさはない。大きくもない。 紛れもなく、小さく引き締まった、男の臀部だ。 だが、最初の頃より、…明らかに。 持ち上げ、中途半端な位置で、手を放せば。 ぷるんっ、と若い実が弾けるように、肉が揺れた。 引き締まっているのに、なんとも魅惑的な弾み方である。 また叩いて、虐めたくなって、困った。 (なんにしたって、…しすぎたか?) いや、それほど頻繁に身体を重ねたわけでもない。 会う機会さえ、二人は少ない方だ。 ただ。 はじめれば、気絶するまで付き合わせてしまうが、そのせいか。 それとも、毎回、…揉みすぎているのか。 つまりは、雪虎がつい繰り返してしまう、エロ親父的行為のせい、なのだろう。 (…なんか、つい) 「そん、な、わけ」 応じようとする大河の、息が弾んだ。 大河の、そんな悔し気な声には、なぜかいつも、意地悪をしたくなる。 「…ないよな?」

ともだちにシェアしよう!