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日誌・114 月杜に宿るモノ

その上で、相手が何かを考える暇も与えず、大河は畳みかけた。 「性格はともかく、腕は惜しい。こちらにつくかあちらにつくか、今すぐ決めろ」 『あ、それって、あれだよね…』 関係ないのに、元来お喋りらしい翔平が、口を挟んだ。 『今、生きるか死ぬか、って聞いてるよね』 それは、改めて尋ねる必要のあることだろうか? 大河は黙殺。代わりに、遼が淡々と答えた。 『今すぐここで死体ができても、溶かせば何もなかったことになります』 「ひとがいいな」 億劫そうに大河。 「生きたままやればいい」 『悲鳴が耳障りかと』 『ソレ脅しでしょっ?』 男が引きつった声を上げて割り込んだ。 『つまり、こっちにつくって選択肢しかないってことですね』 なんだ、生きたいのか、と大河はいっきに退屈な気分になる。 姑息な手段を使った割に、結果を受け入れる覚悟もないとは。 それとも、あそこまでやったところで、どうにかなると舐めていたのか。あまりに浅はかと言いたいが、それだけの実力を持っている相手でもあった。 では。 この状況、その鼻柱を折ったことになるというわけだ。 確実に、相手のプライドは傷ついたはず。胸はすくが、恨みを買ったろう。 『あー、いや、しかしですね。…こっちにつきますって言ったとして、信用できるんですか、おれを』 飄然とした声が、若干の緊張で揺れる。 『裏切るかも、とか、思わないんですか』 試す物言いに、つい、笑い出したくなった。 ―――――裏切りたいなら、裏切ればいい。それこそ、望むところだ。 最初から、信頼などするわけがない。向こうとつながった状態で、死ぬまで踊ってくれたらそれはそれで好都合だ。 なにより、そちらの方が。 (楽しそうじゃないか) 少しは使えそうな道具だから、拾う。それだけだ。 笑みの消えない口元で、大河は冷酷に告げた。 「せいぜい、楽しませろ」 皆、気付いたろう。大河が笑っていることに。 『あ、あ、でも、アレだよね!』 こんな場合に、無駄に雰囲気を和ませようというのか、翔平がまた割り込んできた。 『今回、一番すごいことしたの、トラだよね!』 『八坂さんですか』 単純に、雪虎の名前が無視できなかったのだろう、遼が不思議そうに言ったのを逃がさず、 『そうだよ!』 翔平は力説。 何を言い出すのか、と大河も口を閉ざした。 それを、翔平が意識している気配を察したが、だからと言って、何か問題があるわけでもない。 『今回、たぶん、どんな情報屋もトラの動向を掴んでなかった』 その言葉に、大河は納得。翔平の言うとおりだ。だから、結果として雪虎は今回、だれも予測できない台風の目となった。 『っていうか、気にしてなかったんだ。トラが自分から地元を出るなんて、皆、きっと思ってもなかったはずだ。本来なら、真っ先に情報掴んでなきゃならないヤツなのに。なにしろ、月杜だよアイツ』 『―――――月杜っ?』 はじめて、情報屋の男が泡を食った声を上げる。 『まさか、八坂雪虎―――――御子柴さやかの義理の、兄? そいつが、こっちに?』 『やっぱりね! ほら、気付いてなかったでしょ、キミもっ』 翔平が、賑やかに手を叩いた。 『オレだって、雪虎の顔を実際見ても、嘘だろここにいるわけないってしばらく信じられなかったくらいだし』 男は、翔平の言葉など聞いていなかった。緊張に満ちた声で尋ねる。 『いつ…どこにいた?』 『空港裏の騒動見てたんでしょ?』 面白がる態度で、翔平。 『そこに、帽子の男が、いなかった? 事態を引っ掻き回してたヤツ』 アイツだよ。 翔平の明るい声に、覚えがあったか、情報屋の男は沈黙した。 今までで一番、動揺している風でもある。 遼が冷静に口を挟んだ。 『ただ、死神の情報屋はトラさんの動向を知っていたようでしたが。黒百合、でしたか』 『でもトラがここにいて事態に関わってるって知ったのは、オレが動き出してからだよね』 翔平が言うのに、確かに、と言った風に遼が声をこぼす。 『なるほど』 『あっとそれから、…御子柴サン?』 軽く踊るようだった翔平の声が、いっきに、緊張で固まった。 『若林悠太。あの諸悪の根源、無事、そっちにたどり着いてます?』 「はい、戻るなり、部屋まで送り届けました。…ああ、要件は手短に願えますか?」 大河の声が低くなるなり、翔平は兎が跳ねるように返事。 『はいっ。実は暇潰しに調べてみたら、アイツ、母親の方がとんでもない家の出身です』 お利口のお返事だったが、翔平の言葉を頭から信用してかかるのは問題だ。 「そうですか。では、その情報はさやかさんへ送って頂けますか」 翔平とさやかには、同級生としてのつながりがある。 さやかならば、翔平のことを知り尽くしているだろう。大河では見抜けないところも見抜いてくれるはずだ。 『分かりました、姫に送っておきます』 なんだか少し残念そうな翔平の声は無視して、大河。 「鳥飼」 『はい』 「あとは手筈通りに。舟木さんは解放して差し上げろ」 『承知しました』 「お疲れ様」 手短に告げ、大河は通話を切る。 スマホを持って、ドアを開けた。 そう言えば、結局、雪虎と一緒に眠ることになっている。 それが嫌でもない自分に戸惑いながら、大河は顔を上げて。 ―――――足を止めた。 暗い、室内。 もっと暗い、…漆黒の何かが、ベッドの上で蟠っていた。正確には、雪虎の、頭上。 黒い雲に似ている。だが、質が完全に異なるモノだ。 …あれは、――――――…アレ、は。 立ち止まった大河の内に潜む、原始的な何かが、戸惑う前に、逃げろとばかりに答えを叩き出した。 ―――――祟りだ。 その、本性が、今。 …漏れ出していた。 とはいえ、あれは、おそらく、その、一部に過ぎないだろう。 月杜の血統が、その血に宿すもの。 知らず、大河の血の気が下がった。 全身が、末端から冷えていく。 原初の恐怖。 そうとしか言えないものが掻き立てられ、知らず、全身が震えだす。 なぜ。どうして。いったい、なにが。 いや、それよりも。 大河は奥歯を食いしばった。 雪虎だ。雪虎を、起こさなければ。 闇の塊から剥がれない視線を、ようやっと引きはがし、ベッドの上の雪虎を、大河は見遣る。 その時に、なって。 「…ぇ」 大河は目を瞬かせた。

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