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日誌・123 会いたい人
「いたのがグレースの方で良かったよ。イザベラだったら最悪」
オリビアたちにとっては、恭也たちの存在が最悪ではないだろうか。
幸い、それを指摘して混ぜ返す人間は、この場にいなかった。
一拍置いて、何かを飲み込んだオリビアがため息をつく。
「そんな風に言わないの」
元来、オリビアは人が好いのだろう。
お姉さん的口調になった彼女には、警戒はほとんど残っていないように見えた。
恭也は面白がる態度で肩を竦める。
「オリビアだってそう思ってるくせに」
「同意を求めないでよ」
弱り切った顔で、オリビア。構わず、恭也は歯に衣着せぬ勢いで言う。
「グレースと双子の姉妹なのに性格全然違うんだから」
雪虎は、グレースを一瞥。
彼女は恭也を見つめ、青ざめたまま黙りこくっていた。一見、大人しそうではある。
だが、何も話さないため、本当のところどうなのかは初見の雪虎では分からない。
オリビアは、彼女を恭也の視線から守るように立ちはだかる。
「おとなしいグレースがここにいる以上、彼女もいるのよ。迂闊な発言はしないこと」
「いるの? …だろうね。ふうん、だったら」
何を考えたか、恭也は顎を撫で、雪虎を見遣った。
「トラさんは魔女に会いたいって言ったけど、つまりは話があるんだよね」
聞かれ、雪虎は首をひねる。そこで、はじめて気づいた。
「そう言えば、会いたい理由を言ってなかったな」
雪虎はもう言ったつもりでいた。
よくそれで連れて行こうと思ったものだ。
今気づく雪虎も雪虎だが、恭也もとんでもない。
「…大体、わかるからね。聞かなくっても」
言った恭也は、不思議な微笑を浮かべた。儚いような、…頼りない微笑だ。
他人を振り回すことを得意とするこの男にしては、珍しい表情。
だが他人の目があるここで、恭也を問い詰めることも、自分の理由を話すことも憚られた。
雪虎も大体の事情を察してしまう。
恭也が、魔女と話をしていないわけがない。―――――彼の中の、悪魔について。
雪虎の要件も、要はそれと同じだと、恭也は気付いているのだろう。
…けれど彼の中の悪魔は、今も目の前に存在している。―――――となれば。
雪虎は暗い気持ちで、目を伏せた。
「話がしたいというより、…質問に答えてほしい」
ただで答えてくれる、とも。
正しい情報を教えてもらえるとも、思えない。
それに、恭也の状態を考えれば、聞いたところでどうにかなるものではないのかもしれない、そんな確信が強まるばかりだ。
それでも。
何もしないより、ましだろう。
「誰でもいい?」
気遣うような恭也の言葉に、ああそうか、と雪虎は自分があまり深く考えていなかったことに気付く。
魔女と言っても、ただ一人を指して言っているわけではない。何人もいる。
そしておそらく、正確も千差万別。その辺りをよく考えていなかった。
「…だな」
雪虎は、オリビアを見遣る。
彼女はなぜか、恭也を見上げ、若干、引いた態度だ。
雪虎も恭也を見上げた。
「誰でもいいけど、実力のあるなしより、できれば知識の豊富な人がありがたい」
「なら決まりだ」
恭也はとびきりの笑みを浮かべる。
対照的に、オリビアはいっきに胡散臭そうな態度になった。
ただ、彼女の背後に隠れるようにしているグレースは、なぜか赤くなっている。
「城に入る前に、オリビアに会えてよかった」
恭也はマイペースに、印象的な紺碧の瞳をオリビアへ向けた。
皆、恭也の碧眼には弱いのだろう。ランタンの明かりの中でも鮮やかなそれに、気圧された態度でオリビアは鼻白む。
「オリビアは魔女って言っても、薬学に特化した薬師でね」
「悪かったわね」
なぜか、拗ねた態度でオリビアは唇を尖らせた。
「本の虫になったのは、実技の成績が底辺だからよ」
明るそうな彼女が、ふっとのぞかせた劣等感に、雪虎はなんだか親近感がわく。
「何か一つでも胸を張れる実力があるのは、素晴らしいことだと思います」
慰める、というより、力づけるつもりで、雪虎は気付けばそう言っていた。
「そ、そうかしら」
雪虎の言葉に、オリビアは落ち着かな気な態度で、豊かな髪を忙しなく指で梳いた。
「トラさん、魔女を甘やかしてもいいことないから。それにオリビアは既婚者」
「ああ、それっぽいよな。幸せそうな雰囲気がある…もしかして、新婚ですか?」
「あら、分かります?」
雪虎の言葉に、目を丸くするオリビア。恭也も驚いた。
「え、なんでわかるの、そういうの。…あ、ほら、脱線しかけてる」
我に返った恭也が、話を元に戻す。
「オリビアは、あらゆる症状に対する治療に詳しい。知識も豊富。…聞くなら、まず彼女を選ぶのは賢い選択と思う」
なんとなく話の流れが読めたオリビアは、改めて雪虎を見遣った。
温かみを感じさせる緑の瞳に映る、雪虎は。
不機嫌で。
気難し気で。
だが、…真っ直ぐで、奇麗な目をしていた。
真っ当だ。あまりにも。
「…魔女に関わりたがる方とは思えませんが、どんな質問を?」
「関わろうというのではないんです」
なんとはなしに、真面目そうな彼女に申し訳ない気分になって、雪虎。
「ただ、聞きたいことがあります。教えてくれたらありがたい」
「つまり、何か事を起こしたい、という依頼ではなく、…悩み相談、ですか」
オリビアは、安心したように微笑んだ。
…コトを起こす? 物騒だな、と他人事のように雪虎は思った。
だが、つまり、そういう話を持って来る輩の方が多いということだ。
「―――――ぼくとしても、オリビアなら安心だ。一時でも、トラさんを任せるに足りる」
「え」
オリビアが目を丸くした。恭也が、雪虎を置いて城へと歩き出したからだ。
確かに、入り口はもう目の前にある。いつまでも立ち話もなんだろう。
「ここまで来たからには、ぼくはお遊戯に参加しないとね」
お遊戯。
雪虎は城を見遣った。中で何が始まるかは分からないが、確かに、何も知らない雪虎がついて行くのは、邪魔にしかならないだろう。なにより。
雪虎がそばにいない方が、恭也は無敵だ。
「なら俺は、ここで待ってればいいか?」
「それがいいね。頼んだよ、オリビア」
何かを言わせる隙を与えず、恭也はオリビアに片手を挙げた。
「トラさんに、ちょっとでも傷を負わせたりしたら許さないからね」
「何を勝手な…っ」
オリビアがやさしそうな眦を吊り上げた時には、恭也の姿は城の中へ消えている。
確かに自分勝手だよな、と雪虎は申し訳なさでいっぱいになった。
「…すみません。一方的で」
「あ、いえ、悪いのはあなたでは」
「いえ、こうなった原因は俺ですから」
おそらく、雪虎が魔女に会いたいと言い出さなければ、恭也は今日ここに現れなかったのではないだろうか。
色々気になることは多いが、雪虎はひとまず、初志貫徹することにする。
「…あなたも魔女、ですか」
いまいち実感が持てず、尋ねれば、苦笑気味の返事が返った。
「…そうなりますね」
ではそちらの方も、とグレースに目を向けようとした、寸前。
「ねえ」
今日、この場では聞いたことがない女性の声がして、雪虎は手首を掴まれた。
掴んだ、繊手の持ち主は。
「あなた魔女に会うのは、はじめて?」
小柄なオリビアの背後に隠れていた長身の魔女。グレース。
だが、なぜ。
「…日本語、話せるんですか」
先ほど、オリビアたちは言っていなかっただろうか。
グレースは日本語が話せない。
戸惑いの目を雪虎がオリビアに向けるなり。
彼女は、まん丸に瞠った目を、グレースに向けていた。
「あなた…っまさか!」
何に気付いたか、焦った様子で、オリビアは雪虎の手首を掴むグレースの腕に手を伸ばす。
寸前、グレースの唇が、笑みの弧を描いた。
「遅いわよ、オリビア―――――この偽善者」
なにがあったか、触れる直前、オリビアは痺れたように動きを止める。
弾かれたように二人から距離を取った。
「嘘でしょ…イザベラ…―――――グレースに成りすましてるなんて一体何のつもり!」
「あなたにちょっと悪戯しようかなって思ってたんだけど」
先ほどとは別人のような表情で、雪虎の顔を覗き込むグレース――――いや、イザベラ。
「それより彼の方が面白そう」
「待ちなさい、死神の連れに何をしようって」
「ねえ、あなた、日本は今『お盆』よね。あの世から家に戻ってくる祖霊を迎える行事っていうけど」
嫌な予感がした。
それ以前に、彼女の行動が気に食わない。
別人のふりをして、誰かを騙そうとしていた。
何をするつもりだったか知らないが、それだけで雪虎の癇に障る。
雪虎の表情に、激しい拒絶が浮かんだ。
彼女から距離を取ろうとした、刹那。
「あなたには、死んだ肉親で、会いたいひとはいないかしら」
イザベラは、蛇のように鋭く素早く、距離を詰めた。
とたん。
雪虎の脳裏に閃いたのは。
―――――妹の姿。
(美鶴)
その反射の反応は、咄嗟に止めることはできず。
「つかまえた」
雪虎の身体にしなだれかかったイザベラの顔が、醜い笑みで歪んだ。
「いけない…っ」
「おやすみなさい―――――永遠に」
二人の声が、遠くなる。
「しっかりしなさい、八坂さん!」
最後に聞いたのは、オリビアの叱りつける声。それをかき消したのは。
懐かしくも、心底嫌っていた声。
―――――全部、お兄ちゃんのせいよ。
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