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日誌・126 真相・2

相談相手に、せめて友人を選ぶことはできなかったのだろうか。 いや、美鶴は結婚を明るく順風満帆と語っていたから、見栄も手伝って、友人にこのような相談はできなかったに違いない。 人生がうまく回っているときはともかく、影が差した時も見捨てず、手を差し伸べてくれる友人は、ともすると、…いなかったのかもしれなかった。 だが、美鶴だって知っていたはずだ。 父親の性格を。 いくら父が美鶴には甘かったと言えど、支配的で、傲慢で、自己中心的な性格はずっと目の当たりにしてきたはず。 途中で祖母の元へ出た雪虎と違い、彼女はずっと八坂家で過ごしたのだ。雪虎が祖母の元へ出た後、母が責め抜かれる状況を見続けていた。 …それとも、自分は大丈夫、とでも思っていたのだろうか? 父は、美鶴だけは傷つけない、と? ―――――そんなわけがない。 それこそ、大学まで、美鶴の経歴には瑕一つなかったから、父親は文句をつけなかったのだ。 だが、…挫折したら? 少しでも、問題を起こしたら? 父のことだ、やることは決まっている。 雪虎の思った通り、父親は白っぽい顔でこう言った。 ―――――それでいったい、どうするんだ? もし、家族の食事会の後、式の延期の話があったなら。 式場の予約もしている、ウェディングドレスだって、準備は済んでいたはずだ。 なんにしろ、その状態で、延期を申し入れた側にも問題はあるが、あの時点では、まだどうにか調整が取れることだったのだろう。 美鶴の婚約者は、ぎりぎりで話を持ち出したのだ。 だが、さらに数日置いたことで、状況はのっぴきならないことになっていた。 父に相談を持ち掛けた時には、既に招待状がばらまかれた後だったのだ。 そうなるまで放っておいたのも、事情がある。 美鶴はつまり―――――縋ってほしかったのだ。婚約者に。僕が悪かった、と。そして、絶対そうなると、彼女は確信を持っていたようだ。 しかし、そうはならなかった。 ―――――ここまでしておいて、いい恥さらしだ。 淡々と言って、父は美鶴に背を向けた。 ―――――自分で自分の責任を取れ。オレは知らんぞ。 言い置いて、父は部屋から出て行った。 …この時の、美鶴から見れば。 頼れるのは、父だけだったはずだ。 なにより、ずっと絶対者として支配者として君臨していた父のそばに、美鶴はいた。 そんな彼に―――――見放された。 その感覚は、彼女に何をもたらしたのか。 気付けば、部屋の中で、美鶴は蹲って。 やがて、…ふらふらと立ち上がる。 どれだけ場面が飛んだのか分からないが、先ほどとは服が違った。 その手には手紙らしきものが握られている。 (遺書…?) 察するなり、嫌なことに気付いた。そうだ、今目の前で美鶴が着ている服は。 ―――――自殺、した時にあの子が身に着けていた。 思い出すなり、雪虎は、その光景を心の中で断ち切ろうとした。 (これ以上、知る必要はない) ―――――逃げるの? とたん、美鶴に言われた気がした。 そう、昔から、雪虎の妹はこうだった。 嫌なものを目の前に突き付けてくるから、目を逸らせば、わたしの贈り物は気に入らないのね、と涙ぐむ。 しかもやり方が巧妙で、必ず雪虎が悪く言われる方向へ持って行った。 まともに相手をすれば、蟻地獄へ引きずり込まれるように、逃げられなくなる。 (逃げる? いいや、…必要ない、本当に、それだけだ) 今見たことが、知ったことが、事実なら。 美鶴の身に起きたことは―――――自業自得で、愚かとしか言いようがない。 …そして、背を押したのは。 ―――――本人にとっては、真剣だったのだろうが。 その上で、彼女が選んだ結果に、雪虎はどっと疲れを覚えた。 ひどい兄、だろうか。 もし、この時、美鶴が。 相談相手に母を選んでいれば。 愚痴を装ってでも、友人に仄めかしていれば。 それに、…あのようなことをする覚悟があるのなら。 思い切って、婚約者ともう一度話し合えばよかったのだ。 なぜ短絡な選択をしたのか、雪虎には理解できない。 雪虎は、美鶴が嫌いだ。 だから、美鶴の幸せを心から祈ってやるなんてことはできない。 そこまで人間できていなかった。ただ。 不幸になってしまえ、死んでしまえ、と願ったことは一度だってない。 そんなことを言えば、美鶴はまた、この偽善者、と罵るのだろうが。 (それでも死ぬことはなかった。俺は、生きていてほしかったよ) 雪虎はすっと目を開けた。とたん、 「―――――きゃぁ!」 目の前で、悲鳴。 ぎょっと目を瞠った雪虎は、何が起こったのか分からず、呆気にとられる。 誰かに思い切り突き飛ばされたように、イザベラが数歩向こうで尻もちをついていた。 何か小声で罵りながら、イザベラは勝気な表情で、雪虎を見上げる。 切り付けるような視線が、…いきなり、なぜか、怯んだ。彼女は蒼白になる。 「…え…」 「…あ、なた…八坂、さん…?」 すぐ近くにいたオリビアまで、震える声を上げた。 彼女を見遣れば、とたん、視線に押されたように半歩後退する。 顔色は土気色だ。 「こ、こんなの…っ」 イザベラが、喘ぐように声を絞った。 尻もちをついたまま、ずるずると後退。 雪虎から、逃げるように。 「かないっこない…無理、むり、ムリよぅ…!」 最後の方は、声に涙がにじんでいる。 彼女たちの様子に、雪虎は気付く。 今、近くに恭也がいない。 ということは、恭也がもたらす破滅の影響が周囲に波及し始めるように、抱えた祟りにより生じる雪虎の醜さもまた、露になっているはず。 ただ、それ『だけ』にしては、彼女たちの反応はおかしい。 思うなり、すぐ、違和感の正体に気付いた。 オリビアたちの顔に浮かぶのは、単なる嫌悪感ではない。 ―――――恐怖だ。 先日の、顔も分からない魔女の反応と同じ。 雪虎は咄嗟に言った。 「逃げないでください」 ただのお願いだったそれが、彼女たちを、どれだけの影響力で縛ったのか。 動けば劇薬を飲んでもらう、とでも言われたように、震えながらも全身を強張らせた彼女たちは、魔女と言うより、ただのか弱い少女のようだった。 それを、自分のために、脅して引き留めている男。それが、雪虎だ。 嫌な構図に、雪虎はうんざりする。 せめて必要以上に怯えさせないよう、雪虎もその場に立ち尽くし、慎重に距離を置いて、できるだけ優しげに尋ねた。 「今、あなたたちは震えていますが…、分かるんですね? 俺の中に何があるか」 声も出せないのか、オリビアたちは、震えながらがくがくと頷く。 雪虎は、自分の中へ意識を向けた。 だが、自分自身と違う何かがそこに隠れているようには思えない。 (つまりは俺自身が『そう』…だったりしたら、立ち直れないな) 嫌な気分を振り払うように首を横に振れば、それだけで。 ―――――ドサリ。 何が起きたのか、視線を向ければ、イザベラがその場で昏倒している。 オリビアはかろうじで意識を保っていたが、腰が抜けたか、座り込んでいた。

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