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日誌・135 へそ曲がりに誇る態度

「…なあ、殺し屋」 視線は窓の外に向けたまま、雪虎は半ば独り言の気分で尋ねた。 「お前も、思ったことがあるのか?」 この体質が消えてなくなればいいのに、と。 口に出すなり、思う。 なんて今更だろう。 知り合って、何年になる。なにより。 ―――――そんなことを訊くのが、今がはじめてだなんて、…薄情極まる。 後ろめたくなった。言葉は中途半端に止まってしまう。 そもそも、今更こんな質問をする羽目になったのは、関係が気楽なはじまりでなかったのが、原因の一つだろう。最初は薄氷を踏むような間柄だったはずだ。 それがいつからか、…気を抜くようになった、というか、――――慣れた、のだろうか。 こんな、プライベートの質問をしても、気紛れで殺されたりはしない、と確信が持てる程度には距離が近くなった、ということだろう。 最初は。 恭也はいっさいを余裕で受け入れているようにも見えた。 実際、自身のその体質をむしろ逆手にとって、彼は利用…いや活用すら、している。 一見、恭也は、どこにも瑕の入りようがない強さを持っていた。だから。 ―――――恭也が自身の存在を持て余す、そんなことは想像の範疇外にあった。 …いや、薄々、彼がままならない状況にうんざりしていることには気づいている。 それでも。 救いを、求めているようで。 とっくの昔に、諦めはついているような。 …そう、雪虎のように。 ゆえに、ある意味で、雪虎は恭也に同族意識を持っていた。 「なにを?」 聞き返してきた恭也の声は、不思議そうだ。 雪虎の言葉の意図を、本気で理解していないのか。 分かっていて、尋ねているのか。 この男は分かりにくい。 言いにくい気分で雪虎は言葉を続けた。 「自分が、周囲にもたらす影響が、…なくなればいいのにって、さ」 「ああ」 着替えの衣擦れの音の向こうから、他人事のように、恭也。 「思ったことなら、あるよ。子供の頃に、一時、心から願った」 こうやって、と恭也はわざとらしく幼い声を出した。 ―――――『悪魔を殺して』。 次いで、何の感情もこもらない口調で、恭也は言う。 「母が死んだときに、…ちょっとね」 雪虎は思わず目を上げた。 なにせ、恭也がこうもあからさまに誤魔化すことは珍しい。 言いたくないことがあるなら、決して『言いたくないこと』の気配など欠片もにおわせず、キレイに嘘をついてみせるのに。 「だから魔女の存在を知った時、藁にも縋る思いで頼った」 ふと、恭也は退屈そうな表情を浮かべた。 「何の役にも立たなかったけど」 のんびりとした口調と、今までにない恭也の態度に、雪虎は、ことここに至って、はじめてあることに気付いた。 そう言えば。 今まで、恭也との邂逅は、とにかく忙しなく、状況に流されるだけだった。それが。 今日は、どうだ。 雪虎が、恭也と、これほどゆったりと過ごす時間など、今まで果たしてあっただろうか。 気付くなり、不安がわき起こった。 それはどこか、警戒に似ている。 なぜか、恭也と出会ったばかりの頃のような緊張感が、雪虎の全身をじわり、とこわばらせた。 きちんと上までボタンを留めた恭也は、 「でもね」 雪虎と目を合わせ、バツが悪そうな顔になる。 ―――――余談だが、先ほど雪虎は今恭也が着ているパジャマに腕を通して、大きさの違いから、自分用でないことを察して元に戻したものだ。 「ある日、悪魔より、もっと悪いことにも気づいたんだ」 「…もっと、悪いこと?」 つい、雪虎は深刻に呟いた。 望まず生まれ持ったモノ、押し付けられた運命に似たコレより悪いものがあるというのか。 こんなもの、できるなら、外れクジのように、ぽいっと捨てられたらよかったのに。 雪虎の顔を見つめ、一拍置いて、恭也は肩を竦めた。 気楽な態度で、何を言うのかと思えば、 「もし悪魔が消えたとしても、ぼく自身は変わらない。なにも」 雪虎から見れば、ただ、当たり前としか思えないことを告げた。それに。 雪虎は内心、首を傾げる。 …それは悪いこと、なのだろうか? 面食らった雪虎を見遣り、恭也は意外そうな顔を浮かべる。 「え、分からない? …まさかぼくが、トラさんにとっていいひと…なわけ、ないよね」 恭也が、いいひと。 で、ないことなど、雪虎は心底思い知っている。 他人からならともかく、自身の性格・本質からは、誰だって逃げられない。 だがそれでも、恭也が何を言っているのか、雪虎にはすぐには理解できなかった。 「この血に流れる、悪魔とのはじまりが、どう言ったものだったのかは知らないけど」 恭也は自分の胸をおさえた。 不敵に笑って、汚いものを、立派だろう、とへそ曲がりに誇る態度で。 「ぼく自身は『悪魔』がいようといまいと、『こう』なのだと」 そこまで言われて、雪虎は。…ようやく、気付いた。 そうやって恭也は、受け容れたのだ。 恭也の言葉を。 ―――――そんなわけがない、と。 否定することは、簡単だ。だが、それは何か違う気がした。 恭也の顔には、諦めなどない。たまに、己が持つ異質さに疲れることはあっても、…彼は。 「ああ…そうか」 納得した雪虎は、小さく呟く。 「お前は根っからの、戦士なんだな」 受け容れながらも、戦っている。そんな、気がした。 そういったところは、雪虎と恭也は、根っこから異なっている。 眩しいものを見る気分で、雪虎は目を細めた。 とたん、恭也は何かを言いさし、―――――…結局止めてしまう。 代わりに、どこか慎重な態度で、雪虎に近づいてきた。 「ぼくも聞いていい?」 「なんだ」 「ぼくが知る限り」 椅子に座る雪虎の前で、恭也は足を止める。 「トラさんは、自分のことを受け入れてたよね」 雪虎は、黙って恭也を見上げた。 肯定も否定もしない。 恭也は淡々と続けた。 「諦めてたって言うんじゃない。もうそういうものなんだって、割り切ってた」 恭也は、雪虎が座る椅子の背もたれに手をかけた。 雪虎の上に、覆いかぶさるように、して。 「なのに」 呟くなり、恭也の顔から、表情が抜けた。 「なんでいきなり、『そのこと』について、調べよう…知りたい、なんて思ったの?」

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