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日誌・136 乗り越え切ったこと

「なんでいきなり、『そのこと』について、調べよう…知りたい、なんて思ったの?」 雪虎は、目を瞠る。 間近にある、非現実的なくらいに整った顔立ちをまじまじ見上げた。 この問いかけも、意外だった。 恭也は興味がないと思っていたからだ。 雪虎の行動が、どういう思考の結果によって生じるか、などには。 要するに、雪虎の気持ちになど恭也は関心を示さないと決めつけていた。 咄嗟には答えもまとまらない。なにより、ある意味、雪虎の考えは正しい。 雪虎が何をどう考えようと、感じようと、恭也は自分が思ったとおりにしか行動しない。 だから、こんなことになったのだ。 つまり―――――順番があべこべなのである。 雪虎の望みに、既に恭也は最後まで付き合った。 ここに至って、ようやく、雪虎に「どうしてそうしたのか」と訊くなど。 もし知りたかったなら、それは、一番に訊くべきことだ。 全てが終わった今ではない。 まず雪虎が疑ったことは、恭也が本当にそれを知りたいのか、ということだ。 (…どんな気紛れが働いた?) 尋ねるように、上目遣いに見上げた。 少し待ったが、恭也が答える様子もなければ、間近から覗き込む姿勢を解く気配はない。 雪虎はため息をついた。 …よろしい、隠すことでもない。ならば正直に答えるだけだ。 少し言葉を、頭の中で整理して、雪虎はゆっくりと口を開いた。 「俺の体質が、『祟り』って伝承に当て嵌められることを知った以上」 ―――――知らなかったなら、どうにかしようという気は起こらなかっただろう。 仕方がないのだと受け入れ続けた。だが、今は。 「…これ以上、それに振り回されるのは、ウンザリだ」 正直なところは、この一言に尽きる。 原因がはっきりしているなら、対処法もきっとあるはず。 「だから、知りたいんだ。できれば、対処法を」 そう思って、告げれば。 「―――――ちょっと待って?」 ぎゅっと眉根を寄せ、恭也が珍しく、深刻な声で尋ねてきた。 「まさか、トラさんは知らなかったの?」 「なにをだ」 雪虎は面食らう。 何か今、恭也がそのような態度を取ることを言っただろうか。 「そりゃ体質体質って、トラさんは単純に繰り返してたけど…」 恭也はわずかに喉の奥で唸るようにして、言葉を続けた。 「それが、月杜の伝承にまつわるモノだって、知った上でのことじゃなかったの? 誰からもそれを教えてもらってなかったの?」 …聞いていた。さやかを通して。だが。 「まさか、それが本当のことだと思うわけないだろ?」 恭也は無言で身を起こした。 雪虎を一度、信じられないものを見る目で見下ろして。 おもむろに目を閉じる。 眉間あたりに右の拳を押し当てた。 短い呻きを漏らす。 「じゃ、トラさんは、理由も知らないまま、それでずっと生活してたわけ?」 なぜそんなに、重い声で尋ねられるのか。意味が分からない。 雪虎は、きょとん。 「そうする他ないだろうが」 「何かのせいにもできずに、生まれつきこうだから仕方ないって?」 「実際、仕方ないことだったしな」 乗り越えるときは辛かったが、もう乗り越え切ったことだ。 しれっと頷けば、信じられない、と言った目で見下ろされた。 「それでよくひねくれなかったね? どうやったらそんな真っ直ぐなまんまでいられたの」 「いやもう十分、スレてるだろーが」 思わず素で突っ込んだ。 いい歳のおっさんを捕まえて、真っ直ぐも何もない。 呆れた目になった雪虎を見下ろし、恭也は雪虎以上にもっと呆れた目になり、――――…次いで、ふ、と微笑んだ。 とたん、恭也の目尻辺りに、優しいような艶がにじみ、雪虎は一瞬、呆気にとられる。 恭也がそういう、おとなびた表情を浮かべるのは、はじめてだった。 しかし、次の言葉を耳にした刹那、我に返る。 「トラさんらしいや。―――――…尊敬する」 それは。 丁寧な言葉に変えて、この間抜け、と罵っていないか? 雪虎は、胡乱な目で恭也を見上げた。 彼の微笑は崩れない。 そのまま、恭也は話を元の流れに戻してしまう。 「で、対処法を知りたいのは、自分のため?」 それもある。 ただ、それだけではない。 せめて、秀だけでも解放できれば、と思うが。―――――実際のところ、それは。 雪虎自身のためにしか過ぎない気もしていた。なにせ。 「そうだ」 ついこの間の話だ。 秀が、それを通して雪虎を見ていると知ったのは。だからこそ、彼は雪虎に甘い。 即ち、秀が雪虎に見せる態度は、雪虎本人に対するものではない。 雪虎が抱える、月杜の祟りに対するものだ。 そんなのは。…そんなのは。正直。 ―――――つらい。 『祟り』こそが雪虎の本体で、雪虎はただの器だったなら。 ただの容れモノになど誰も用はないだろう。 いきなり足場が脆くなって、つま先立ちでも歩きかねている心地で、落ち着かない。 時間が経てばたつほど、自分の弱さを、目の前に突き付けられた気分だ。 みっともなくて、情けなくて、そんな気持ちが渦となって、近頃、よく眠れない。 「なあ、殺し屋」 ふと、思った。 (コイツはどうなんだ) 「お前は、月杜の祟りを省いて、俺を見られるか」 恭也は一度、目を瞠る。 「…ああ」 何かを納得した態度で呟き、一度視線を横へ流した。すぐ、戻して、 「ならトラさんは」 質問に質問で返してくる。 「ぼくを『悪魔』抜きで見られるの」 今度は、雪虎が目を瞠った。 問われて、気付く。 ああ、そういうことか。 ―――――雪虎にとっては、恭也は端からソレ込みの相手だ。けれど。 『悪魔』がいなくなったらいなくなった時の話だし、それがいようがいまいが、雪虎にとって恭也は恭也だ。それだけの話。 ふ、と雪虎の肩から力が抜ける。自然と、笑っていた。に、と悪戯小僧めいた表情で。 「そうだな。…お前は、お前だな」 感じたままに、言った。それだけ、なのだが。 恭也はやりにくそうに顎を引いた。 予想と違う反応、と言いたげな態度だ。 雪虎が怒りだすか、折れるか、もしくは戸惑いに打ちひしがれることを望んでいたかのような、…つまりは、雪虎の気持ちが負に傾くことを期待していた態度。 そして結局、恭也は答えなかった。雪虎の質問には。 だがそれでいい。 どうしたところで、今はすべて仮定の話だ。 実際その場に立ってみなければ、自分がどうするかなど、分からない。

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