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日誌・142 逃げられない首輪(R15)
先端を爪先でえぐるように動かせば、雪虎の身が竦む。がくがくと足が震えた。
「知ってるでしょ。ぼくが」
内緒話のように、ひそやかな声で恭也は告げる。
「コレを舐めるのが好きだって」
雪虎は答えない。構わず、恭也は続けた。
「ぼくの口の中で、痙攣して、舌の上で震える先端からトロッと体液がこぼれる感触とか…思い出すだけでもたまらないんだから」
空腹時に美味しいごちそうでも目の前にした気分で、口の中に唾液が湧く。
今すぐ口に入れたいが、それ以上に、今は優先することがあった。
それでもひとまず、強請っておく。
「ね、あとで、舐めていい?」
今まで、飽きるまでやってみたことはないから、できれば飽きがくる瞬間まで味わいたいのだが、いいだろうか。
抱き合うための時間なら、今日はたっぷりあった。
ただ、雪虎に関して、飽きる、ことがあるかどうか、恭也は自分でも分からない。
「好きに、しろ」
雪虎の返事は、投げやり、というのではない。
どこか、噛み締めるような物言いは、なんだろうと受け止めてやる、と言われているようで。
つい、恭也は責めるようにこぼした。
「煽らないでよ」
抵抗してくれないと、加減の仕方が分からない。
(…どこまでしたら、抵抗されるだろう? どこまでなら、許される?)
探りながら、恭也は。雪虎の入り口に、ローションでぬめる指の腹を添えるなり。
ぐぅっといっきに押し入れた。
「煽って、な…っ」
雪虎の言葉が、途中で途切れる。
恭也の眼下の背中が戦慄いた。
「痛い? ほら、ね、トラさん。いやなら、抵抗しなきゃ」
言いながら、恭也の声には、どこか夢現の気配が漂っている。
雪虎の、反応の細かなところまで、我知らず、没頭し始めていた。
「ぼくに自制心なんて、期待はしないで」
「…んな、期待、なんざ…してねえよ」
雪虎の言動は。
意地を張っているようで、それでいて。
相手の全部を受け容れているような。
たまに、そう言った、相反するものを同時に抱えているような不思議な印象を、恭也に与える。
なんにしろ、彼の態度と、素直な身体の反応は、双方揃うと、ひどくそそられた。
「中指、根元まで入った…やっぱり、きつ…」
わざと、目に映る光景を口に出せば、
「言わなくていい」
指が体内に納まっている違和感にか、息を微かに乱しながら、雪虎がきっぱり告げた。
かと思えば、意識をそこから逃がすためにか、先ほどの話の続きを、無理やり持ってくる。
「それで…黒百合は、なに、してるんだ?」
隠すことでもなかった。
どこから言うべきか、考えながら、恭也は口を開く。
「…魔女たちには、工房があって、各地で拠点になってるんだけど…」
言いながら、恭也は慎重に雪虎の中で指を回した。
指を締め上げる中の粘膜が、指の動きに捻られる。
痛みにか快感にか、雪虎の身体が痙攣した。
それを見下ろす恭也の目はどこまでも冷静だ。
一方、度を越えた興奮で、彼の前は痛いくらい張り詰め、下着を湿らせている。
(早く、ねじ込みたい。…はやく、)
何度も衝動が湧くたびに、恭也はぐっと凶暴に暴れ出す欲望を抑え込んだ。
いいや、まだだ。
雪虎を、傷つけるわけにはいかない。…長く楽しみたいのなら。
「…ふ、ぅ」
興奮を吐息で逃がすように、して。恭也は言葉を続けた。
「それらのいくつかを破壊する準備を、ね…」
「破壊…そ、いや…黒百合が、扱いが得意なのは爆弾、だったか…」
「そう。綿密な情報操作を効果的な場所で効果的な時間に行うと、結構思うままに世間は操れるものだし、やりようは色々あるんだ」
「そこに反応したってことは、魔女にとって、工房ってのは、大事なモノって…こと、か。それを事前におさえてたって…いい性格だな」
「お褒めに預かり、光栄だね。ま、要するにそれを止めるのと引き換えに誓約を勝ち取ったってわけ」
指をいささか乱暴に引き抜く拍子に、肉の縁を引っかけて行けば、
「あ…っ、ふ」
雪虎は一度、仰け反って。
気が抜けたような、安心したような声を出す。
「…はは、そ…っか。お前らが、対策、考えてないわけない、もんな」
雪虎などより、ずっと深い場所で、ずっと長く、こちら側の世界にいるのだ。
「お前が、自分を犠牲にする、とかじゃないなら、…いいんだ」
「犠牲って?」
雪虎の言葉に、また指を押し込みながら、恭也は夢見心地に応じる。
対する雪虎もうわごとめいた口調で言った。
「ん…っ、だから、さっき、みたいな…っ、暴力で、身体、張るような…のは」
ぱちり、恭也は目を瞬かせる。雪虎の頭を見遣った。
「え、まさか」
驚きに、恭也は呆然とした声を上げる。
「これって…心配、とか?」
雪虎が言いたいのは、先ほど行われたような、恭也が血塗れになるような行為が取引の材料にされたのではないか、ということだろう。
そうでなかったことに、今、雪虎は。
―――――安心、している。
いや、だが、まさか雪虎が、しかも恭也に対して。
あるのだろうか、心配、など。
他の者が言ったなら、恭也の力を侮っている、と取るところだが。
相手は、八坂雪虎だ。
果たして、雪虎は不貞腐れたように言った。
「悪いか」
実のところ、恭也にとっては、今日のようなことは、暴力性を発散できると言う面で、望むところではあった。
壊して、粉々に叩き潰す。
遠慮なくそうできるのは、実に爽快だ。
力で優劣をつける方法は、非常にわかりやすい。
だが、なるほど、雪虎のような人間には、忌避すべき行いなのだ。
理解した恭也は、雪虎に対してはお利口に従順な態度を取った。
「しないよ、そんなの」
そう、しない。今後、雪虎の目につく範囲では、絶対に。
ある意味本当で、ある意味大嘘だ。
雪虎が、騙されてくれたかどうかは、分からない。ただ。
―――――あとから思えば、雪虎の方が一枚上手だったかもしれない。
「…ああ、そうしてくれ」
なにせ雪虎は、―――――…こう、告げたのだ。
「俺はお前が…誰かに傷つけられるのは、許容できない」
恭也の仕事が仕事だからそれは仕方がないと、雪虎は知った上で、言っているのだろうが。
元より雪虎は、自分が嫌だから、恭也にそれはするな、という傾向にある。
その、釘の刺し方は、心臓を射止めるようで。
毎回、致命的な傷を負わされているような心地になる。
中でも、今回のそれは最たるものだった。
言われた時は、よく意味が分からないまま頷くだけだが。
恭也はよく、後になって気づく。
雪虎の言葉が、どれだけ深い意味を持つのか。
いや、深い意味を持つのは、彼が真心から言葉を口にしているからだ。
逆らえやしない。
その場凌ぎの恭也などでは、到底かなわない。
絶対に逃げられない首輪をかけられた心地になる。
そしてその感覚は、正しい。
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