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日誌・151 昼ご飯
× × ×
「はー、やっと昼ご飯だ!」
作業中も盛大に腹の音を鳴らしていたバイトの真也が、車に戻るなり、荷物から取り出したのはコンビニの袋だ。中には総菜パンがぎっしり詰まっている。
「おい、ちゃんと手は洗ったか」
あまりのがっつきぶりに、つい雪虎が横から口を挟めば、
「洗ってるッス。うがいもしてるッス」
顔も上げず、真也はパンの袋を破いた。笑っているが、勢いはまさに飢えた獣である。
それを横目に、浩介も弁当箱を取り出した。
山盛りの総菜パンを映した目には、驚きも困惑もない。単純にどうでもよさそうだ。それでも一言、声をかけている。
「今週はパンの週なのか」
そう言えば、と雪虎も弁当箱を引っ張り出しながら言った。
「先週はカップラーメンだったな」
世の中、これだけカップラーメンの種類があるのかと感心したものだが…総菜パンも負けてはいない。
「まあ、気分ッスね。今週は、パンな気分なんで」
とはいえ、一週間、続けて同じというのはどうなのか。昼だけならいいのか?
「せめて日替わりにしろ」
余計なおせっかいと分かっているが、栄養面がどうしても気になる。雪虎の言葉に、
「言われると思ったんで、種類だけは豊富に用意してるッス」
胸を張る真也。…まあいい…。
真也はパンにかぶりつきながら、浩介の弁当箱を横目にした。
「オレはコウさんみたいにお弁当まで作ってくれる彼女と同棲してるわけじゃないんで」
つられて、雪虎も浩介の手元に目をやる。
浩介の彼女は、今時珍しいタイプだ。
なんでも買える世の中だ、貴重な時間が割かれることを考えれば、夫婦でもお弁当を作るなんてせず買って行けというパターンが多いのに、毎日ではないとはいえ、恋人に弁当をもたせるなんて。
「マメだよな、彼女」
しみじみ言えば、浩介は苦笑。
「忙しいだろうからいいって言ってるんですけどね。気分転換にいいからって」
ちなみに、彼女も社会人だ。しっかり者のようだ。
「ところで、バイト?」
黙々と口を動かしている真也に目を向ければ、
「はい、なんッスか」
「お前は、弟妹がいるだろ。みんな、昼はお前みたいに買ってるのか」
真也は一度口の動きを止め、雪虎を上目遣いに見上げた。
「オレだって作ってやりたいッスけど…さすがに、余裕がなくて」
少し悔しそうに、真也。
あえて雪虎に話題を振らないのは、そのせいか。
ただ、真也に親はいない。
その上、大学の勉強もあって、バイトの掛け持ちもしているのだ。
「いや責めてるんじゃない。ただ買うにしたって、お前が手本になってやれよ?」
偉そうな言い方だから言わないが、五人の弟妹を抱えて、むしろ真也は立派にやっていると思う。
どのように家計のやりくりをしているかは知らないが…以前は、大学を辞めようかと真剣に悩んでいたそうだが、親の遺志を尊重し、卒業する決意は固めているようだ。
だがさすがに、カ〇リーメイトを何箱も食べてそれが昼飯代わりと言い出した時は殴って止めた。もちろん、カ〇リーメイトに罪はない。ただ、度を越すのはいい手本とは言えない。
「むぅ…ぁ痛っ、分かってるッス!」
むくれた真也は、真横から浩介に頭を叩かれ、やけっぱちに返事をした。
そのまままた、頬一杯に食べ物を詰め込んで行く。
やれやれ。
肩を竦め、雪虎は立ち上がった。手にした自分の弁当箱を、自分の弁当箱をまだ開けていない浩介の弁当箱の上に置いて、踵を返す。
「やる。二人で食っといて」
「…え、トラ先輩は」
珍しく戸惑いに揺れた浩介の声を背中で受け、雪虎は片手を振った。
「近くで、人と会う約束がある。休憩時間内に戻るから」
パンを頬張りながら、真也が力いっぱい挙手する。
「もしかして、彼女ッスか!」
…幸恵といい、真也といい、いったいなんなのか。そしてどういうわけか、この手の話題となると、連中は元気が出る。
「男だよ。都築大晴っていう、昔の知り合い」
なんだ、と真也は気抜けたようだが。
刹那、太平楽にゆるんだ表情が引き締まる。
原因は、浩介だ。彼から、形容しがたい鬼気が立ち上っている。表情は一つも変わっていないのに。
おそるおそる、真也は声をかけた。
「…その、コウさん?」
「ああ、悪い」
真也の様子に、物騒な気配を、頭一振りで消し去り、
「…トラ先輩、そいつは…」
ふと、浩介が深刻な低い声を放った。あえて気楽に、雪虎は言う。
「あいつが底抜けの善人だってのは、知ってるだろ」
「どこで会うんですか」
「『あの店』」
素直に答えれば、浩介が追ってくる気配はなかった。
大通りに出た雪虎は、車が途切れたところを見計らって、道を横切る。
―――――今、お時間よろしいですかっ?
朝、駅前で会った時、意を決したように言葉を放ったのは、大晴の方だ。
家に一旦戻る方にばかり頭が向いていた雪虎は、
―――――ああ、悪いな、今は無理だ。
サラリ、断った。
だが、目の前で深く項垂れた大晴を見ればさすがに気の毒になる。
仕方なく、妥協案を出した。
―――――昼なら時間が取れると思うぞ。
とはいえ、どうせなら、朝、あの場所で用事を済ませたほうが賢かったかもしれない。
家へは、弁当を取りに戻る予定であったのだ。
取りに帰ったところで、昼に外で待ち合わせとなれば、外食の流れになるに決まっている。
結局、わざわざ取りに帰った弁当は、人にやる羽目になった。
この、要領の悪い流れは、雪虎も、思わぬ相手との再会に、気が動転していた証拠だ。
(まあ、折角の弁当を捨てる羽目にならなかったのは救いか)
顔を上げれば、目指す店が見えた。
あたりには、小雨が降っている。
(雨男め)
雪虎は意図的に、この辺りを回るのを午前中の最後にまわした。
要するにこの近くに今、大晴が勤める会社があるわけだ。雪虎は少し、苦い顔になる。
雪虎の父、辰己が乗り込んでいった時に勤めていた会社は、つまり、辞めたわけだ。場所が違った。
なるほど、前の会社は居づらくなったのだろう。
雪虎は大きく息を吐きだし、ぐっと腹の底に力を籠める。
『あの店』の看板がかかった店の暖簾をくぐった。
最初、大晴はおしゃれそうなカフェを提案してきた。
だが、男同士でそれもアレだし、なにより雪虎は格好が格好である。
それこそ、居辛い気がした。
だからこそ、格式張っていない態の定食屋にしたのだが。
「いらっしゃいませー」
間延びした店員の声を聴きながら、店内に視線を巡らせた。と。
「あ、義兄さん、こっち、こっちです!」
扉が開いた音にだろう、弾かれたように顔を向けてきた男が、カウンター席で中腰になる。
まさか、引き戸の扉が開くたびに、あの反応だったのだろうか。
大きな声を上げ、ぶんぶん手を振ってくるのに、雪虎は意識して帽子のつばに手をかけ、顔を隠して、足早に近づいた。
すぐ隣に座りながら、小声で鋭く言う。
「聴こえる。分かる。周りに迷惑だ。ひとまず座れ」
「…すっ、すみません…!」
大晴は素直に座りなおした。鯱張った様子で、背筋を伸ばす。顔に隠せない緊張感があった。
お冷と手拭いを持ってきた店員に、さっさと注文をしたあとで気付く。
「お前、今朝、パン買ってたのって昼飯用じゃなかったか」
「はい、そうなんですけど…同僚に譲りました」
―――――お互い何をやっているのか。
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