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日誌・155 星読みの一族
飼い主を見つけた犬のように寄って来た少年は、一度、グッと言葉に詰まった。
「お、おいしそうだなって思ったわけじゃ…きっと、教授がいるに違いないって思ってっ」
言い訳する少年を、胡乱な眼差しで見上げる少女。
即ち、彼女こそ。
教授。
…教授??
彼女の向こうで、細かいことにこだわらない大晴が、要点だけ取り上げて明るい声を上げる。
「お連れさんと無事に会えてよかったね」
いや、もっとこだわれ。
内心、思ったものの、大晴の反応はある意味、利口だ。
そう、好奇心は猫をも殺す。
「…ああ、ありがとう。親切な若者たち」
椅子に腰かけたままだが、少女は深々と頭を下げてきた。
口調といい。
教授と呼ばれたことといい。
正直、違和感しかない。だが、雪虎にとって、大切なのはそこではなかった。
引き留めたいわけでもないのなら、突っ込むのは止そう、と雪虎は割り切る。
だが、この二人だけではまだ心もとなかった。
連れはもう一人、四十代半ばの男がいたはずだ。
彼がいれば、見た目に安心できるのだが。
「で、もう一人の連れは?」
少年を横目に、雪虎が言えば、
「一緒だろう?」
少女が少年を見上げて、首を傾げる。
「え、一緒じゃなかったんですか?」
首を横に振って、少年が驚きの声を上げた。直後。
「…ああ、本当にいた」
スマホを耳に当てた40代半ばの男が、店に入ってくるところだった。
ようやくまともな客が来た、と言いたげな店員の、いらっしゃいませー、を聞きながら、彼は少女と少年に微笑む。
とたん、少年がキャンッと吠えた。
「どこ行ってたんですか、ふらっと古本屋に入っていくから追っかけたら、あっという間にいなくなってるし!」
少年の言葉に、雪虎と大晴は目を見交わした。
どうやら、彼ら二人の保護者然としたこの男が、一番のトラブルメーカーらしい。
女の子がこめかみ付近を押さえて小さく唸った。
「…古本屋にはあとできちんと立ち寄ると言ったのを、聞いていたかね?」
「聞いた気もしますが、目の前に見えたもので、つい」
悪びれもなく、男は言って、ふと巡らせた目を雪虎に止めた。
「困ったな。こちらも本当にいた…分かってますよ。教授の居場所を教えてくれた礼はします」
言葉通り、いかにも困ったような笑みを浮かべ、誰と話していたのか、男はスマホを切る。
なにか妙な空気は感じたが、まず、雪虎は椅子から降りようとした女の子に手を貸した。
雪虎の手を借りて床に足を下ろした彼女は複雑そうに雪虎を見上げ、
「…ありがとう、察しのいい若者」
律儀に礼を言う。
子供が気にすんな、と言いさし、雪虎はその言葉を飲み込んだ。
代わりに短く、いいって、と言うにとどめる。
座ったままの大晴が身を乗り出し、
「なんにしたって、月杜に行くのなら、ここで義兄さんに会ったのは縁かもだね」
「? どういう意味かね」
不思議そうに、少女が顔を上げた。内緒話でもする態度で、大晴。
「あのね、義兄さんは月杜の」
「おい、雨男」
咄嗟に遮った、その時。
「ちょっと待った、教授の居場所教えてくれたのって、穂高家なんですかっ? しかも向こうから見計らったかのようにかかってきたって…ヤバくないです?」
いったい、あとからやってきた男とどんな話をしたものか、突っ立っていた少年の頓狂な声が上がった。
彼の言葉に、いきなり、女の子の眦がつり上がる。
「なんだと? あの星読みの一族に、まさか自分の番号を教えたのかね。電車で乗り合わせたとはいえ、オトモダチになるような一族ではないのだぞ」
彼女は、顔を上げ、鋭い声を放った。
その時には。
連れ二人が見せた対応にも平気な顔で、男は雪虎たちのすぐ近くにいた。
「あ~、すみませんね、そっちのツナギの人」
二人の態度には委細構わず、男は雪虎に声をかけてくる。
「教授の居場所を教えてくれた方が、教える代わりに、キミを外に連れてきてくれって言ったんだ。…ついてきてくれません?」
彼が店内に入ってきてから、まだ一分も経っていない。
正直に言おう。
その短い間でのやり取りで、これっぽっちも信用できる要素がない。雪虎はきっぱり断った。
「悪いが、仕事がある。こいつとの話もまだ終わってなくてな」
大晴も雪虎と同じ判断なのだろう、笑顔のまま、頷いた。
「久しぶりに会ったので、積もる話があるんですよ」
しかしなぜ、雪虎なのか。
少女たちの様子から、彼らは雪虎を月杜とは関連付けて考えていないように見える。
つまり彼らは、雪虎と月杜家の関係は知らないはずだ。だが。
雪虎は、立ったまま、足元の女の子を見下ろした。
(―――――この子の居場所を教えた相手ってのは、それを知っているのか?)
雪虎を連れて来いと言った相手は何者なのか。目的は何なのか。
知りもしないのに、ついて行くわけにはいかない。
少女が、雪虎を庇うように一歩前へ出ながら、胡乱な目になる。男に向かって言った。
「何を言っているのかね。あの気位の高い穂高家が、一般人の若者を呼び出すなどあるわけが」
「あ、おれはそんな事情に興味はありません。ただ言われたとおりに動くだけです」
にこり、人の好さそうな笑みを浮かべ、クズのような発言を男は続けた。
「断られたらこうしろって言われてることがあるから、そうしますね」
言うなり。
ぽん、と気安く肩を叩いた。大晴の、肩を。―――――刹那。
「…っ?」
大晴が目を瞠る。
唇を戦慄かせ、戸惑ったように、喉へ手をやった。
妙な反応に雪虎が眉を寄せると同時に、
「何やってんですか!」
少年が、遊びのない声を張った。
「一般人に術をかけるなんて…っ」
「術」
じろり、睨む雪虎に気付く様子もなく、少年は蒼白になっている。
同時に足元から、氷柱めいた声が上がる。
「―――――よせ」
「やだな。怒らないでくださいよ。教授を捜してもらう代償にしては安いくらいでしょう? 人ひとりの、呼吸を止めることなんて」
男の軽い口調に、雪虎はすぐさま大晴へ視線を転じた。
問うように目を細めれば、次第に顔を赤く染めていく大晴が、もがくように頷く。
「それに、こんな悪戯、すぐやめますよ」
微笑んだまま、男が視線を雪虎に向けた。
「彼が言うとおりに行動してくれるなら」
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