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日誌・174 不意打ちの、
× × ×
「まあ、まあ、まあ」
木格子の向こう―――――外に立つ、月杜家に仕える双子は、中にいる雪虎に向かって、宥めるように声を揃えた。
そっくりの顔に浮かんでいるのは、困り切った表情と、面白がっている表情だ。
二人は確か、現役高校生のはずだ。が、どこの学校に通っているかまでは、雪虎は知らない。
名は、右近と左近。姓は鈴原。名の方は、本名でなく、通称かもしれないが、二人のそれ以外の名を雪虎は聞いたことがない。
今は月杜家の庭師をしている双子のじいさまの兄の方の孫たちであり、月杜家の守護に関しては信用が置けるが、やり過ぎることが多々ある。
雪虎の前では今、きちんと正座して行儀良くしているが、決して大人しい二人ではない。
対して、木格子の中にいる雪虎は、仁王立ちで腕を組み、二人を睨みつけている。火のような怒りで、表情は彩られていた。
そして、先ほどから繰り返し続けている言葉を再度口にする。
「出 せ」
そう、雪虎が今いるここは、月杜家の地下牢だ。しかも中。
目覚めたら、ここにいた。
ご丁寧に、ふかふかの布団の中で。
スマホも腕時計もないから分からないが、おそらく今は、朝のはず。
地下だから、周囲の明るさなどの状況を見て、時間を読むということができない。
そもそも、雪虎は、昨夜は布団に潜って就寝した覚えがなかった。
寝間着に着替えた覚えもなく、実際、今の雪虎は、ツナギ姿のままだ。
どうなっているのかは分からないが、雪虎には仕事がある。昨日迷惑をかけた分、キッチリ働かなければならない。
意気込む雪虎を見上げ、正座した、まだ十代の少年の双子たちは、相談する目をして顔を見合わせた。それでも。
結果、弱り切った表情を、雪虎に向けながら、断固として声を揃える。
「できません」
ふう。
雪虎は、怒りを逃がすように、大きく息を吐きだした。
たとえ普通の子供でないとはいえ、高校生相手に怒鳴り散らすわけにもいかない。
なにより、彼らは命令されてそこにいるわけで。
雪虎を閉じ込めているのは、別の者の意志による。
つまりは。
月杜秀。
怒った顔のまま、どっか、とその場に腰を落とす。
木格子越しに双子と向かい合う形で、胡坐をかいた。目を閉じる。
ひとまず。
ここで目覚める前までのことを、思い出そうと、雪虎は必死に頭を回転させた。
そう、確か。
騒動が一段落した後、秀は雪虎を病院の入り口まで送ってくれた。
病院の入り口、と言っても。
見た目は普通の一軒家である。
ただ中から地下へ降りた先で、大きな病院顔負けの最新の医療施設が整っているという点が普通とは程遠い。
そこが、月杜家に代々仕える医師たちが常住している場所だ。
今回連れて行かれたのは、ごく普通の住宅街の一角に居を構える一軒家だったわけだが、その一軒家は入り口の一つに過ぎない。
別の場所にも数か所、入り口は存在する。
ただし、どこから入ろうと、たどり着く場所は一つである。
その入り口を利用するのは、雪虎は初めてだった。
(そう、…俺は病院の入り口まで送られたんだよな)
だが、そこで一旦、秀は別の急ぎの要件があるからと場を離れようとした。
その後ろ姿に―――――雪虎は察した。
本当の荒事は、これからなのだと。
だから、引き留めようとした―――――それができなければ、一緒に行こうと思った。
ここまで関わって、中途半端に放り出されるのは居心地が悪い。
成り行きをきちんと知って、最後まで見届けたかったのだ。だが。
(ああそうだ、あの野郎…)
ふ、と自分の唇を意識した。
秀は、雪虎の顔から視線を外さず―――――何を考えているのか、唐突に、口づけた。
表情一つ変わらなかったから、その行動は、…読めなかった。
完全に、不意打ちである。
その、時になって。
(くそ)
雪虎は内心、吐き捨てるように悪態をついた。
あの刹那、いきなり、雪虎は秀に心を根こそぎ持って行かれた。
秀が『鬼』であり。雪虎が、『祟り憑き』である、…その、弊害として。
―――――どうしようもなく、惹かれる。相手に引き寄せられる。
真っ先に、身体が反応した。
触れられた、それだけで、雪虎の身体から力が抜けた。どうしようもなかった。
立っていられず、座り込みそうになった雪虎を、咄嗟に秀は支えてくれたが。
その接触が、さらに良くないのは、自明の理。
雪虎は、秀の身体を咄嗟に押しやり、顔を背けた。
―――――離せ。
言えば、秀の腕は、素直に離れた。なのに。
指先だけが、名残惜し気に雪虎の肌の上をなぞっていったのが、…もう、本当に。
よろめくように距離をとり、雪虎は根性で踏ん張った。
そうやって、雪虎を黙らせるためだけに、そうしたのかと思うほど、秀はすんなりと雪虎の横を通り過ぎ、車に乗り込んで立ち去った。
忌々しいことだ。
受け継ぐ月杜の血に、雪虎はこうまで振り回されているのに、秀ときたら平気な顔だ。それに、
(結局、何も言わないんだな)
かつて、罰として、雪虎は蔵の掃除を言い渡されているが、まだひとつも手をつけていない。
調べるだけは調べているが、どうにも月杜家の敷居は高いのだ。
そのことに対して、秀は何も言わなかった。
彼にとっては、罰など方便で、そう言っておけば雪虎の気も済むだろうと考えての台詞だったのだろう。
雪虎がどう行動しようと、秀にとってはどうでもいいのだ。
ふと、雪虎は薄く笑う。不敵に。
(そうかよ、そっちがその気なら)
雪虎は決意した。
次の休みの日から、勝手に来て、勝手にやってやろうじゃないか。
まごついていた気分は吹っ飛んだ。
そこまで考えて、はたと我に返る。首を横に振った。…いや、待て、違う。今は拗ねて意地になっている場合ではない。
そうだ、ああやって別れたのに、なぜまた雪虎は、月杜家の地下牢の中にいるのか。
秀と別れた後、雪虎は月杜家の若手連中の幾人かに付き添われ、幾重ものセキュリティの門の先にある地下の病院へ向かい、医師の元で診察を受けた。
月杜家は普段、老人の域にさしかかった人間が立ち働いている光景が多いわけだが、いざ荒事となると、若手が集う。
普段、いったいどこで何をしているのか雪虎も知らない。
目の前の右近と左近にしてもそうだ。
いや、この双子の場合は、ちゃんと学校へ通っているのだろうが。
それはともかく。
月杜の医師たちをまとめているのは、巌のような体格の五十代の、猟師のような男なのだが、雪虎を診るのは、小柄でいつも怒った態度の壮年の医師だ。
その様子が、真っ赤なトサカを振り回して怒り狂う雄鶏に似ているから、子供の頃にニワトリ先生と言って以来、ずっと定着している。
―――――喧嘩はガキの内に卒業しろと言ったろう!
案の定、顔を見るなり、怒られた。
子供の頃から診てくれているのだ、言葉を交わさずとも雪虎の状態を一瞥するだけで、答えは明白だったのだろう。
それでもほれぼれする手際で、診療開始。
あっちで横になれ、こっちで座れ、と複数の精密検査を瞬く間に行い、ふん、と荒い鼻息を吐いて、太鼓判を押してくれた。
―――――異常なし。まったく、チビの頃から、無駄な頑丈さだけが取り柄だな!
ぷりぷりしながら言って、帰り際に、
―――――おら、土産だ、ウチの畑でとれた。持って帰れ、ちゃんと食え!
がさがさと音を立てる重い袋を押し付け、スリッパをぺたぺた鳴らしながら立ち去った。
怒涛のような人物である。
何をくれたのかと思えば、里芋だった。
この位の大きさのが一番美味しいんだよな、と一つ取り出して眺めれば、あとで気付いたが、全部がその大きさだった。
わざわざ選って渡してくれたのが明白である。
口は悪いが、昔から、いいひとなのだ。
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