189 / 197

日誌・188 罰掃除

秀と二人きりの気まずい食事という苦行を終え、離れでシャワーを浴びた雪虎は、 「よし」 気合を入れた。 用意してくれた服に着替え、蔵へ向かう。 掃除に取り掛かろうとしたのだ。 と言っても、まずはしばし呆然と入り口に立ち尽くす。 明るい場所で改めて眺めればなおさら、時間がかかることを実感したからだ。 棚は設置されているものの、あまりにも統一性がない。 適当にモノを放り込んだ結果、こうなった感がある。 正直、途方に暮れた。 が、ぼんやりしていても何もはじまらない。 罰掃除を、早くも投げ出したいのをぐっとこらえ、大きく深呼吸。 (…そうだ、似たようなのを集めるところからはじめるか…) 全ての道は一歩から、だ。 気を取り直して、まだ扱いがやさしそうな書物から手に取って―――――すぐ元に戻す。 最初に、どこに何があったかを書き残しておいた方が、きっといい。 そうなるとまた作業量が増えるわけだが、何かなくしてしまったら問題だ。 紙かペンはなかったかな、と離れに戻りかけ―――――いや待て、とポケットを探る。 スマホで撮影すればいいと思ったからだ。 そうしておいて、着替えたことを思い出す。 その上でさらに前日自分の身に起きたことが脳裏で再生された。 動きが一時停止。 その時から、雪虎はスマホをちゃんと身に着けていたのだろうか? 記憶がない。 首をひねる。 そう言えば、ツナギを脱いだ時、スマホの重さを感じなかった気がした。 もしかすると、結城家で取り上げられたのだろうか。 一旦、離れに立ち寄り、確認。やはり、ない。となれば。 (月杜で困ったときは、黒瀬だな) なに、彼の居場所から、他の使用人たちに聞いて歩けばすぐ分かる。 黒瀬を捜し、たどり着いた先は応接間だ。 「これは、雪虎さん」 聞けば、どうも客人のもてなしのために動いているらしい。 「ああ、でも、会長が寝て起きたらすぐ対応するんだろ?」 雪虎の言葉に、黒瀬は曖昧に微笑んだ。首を傾げたものの深くは聞かず、 「ところで、知ってたらでいいんだけど。俺のスマホ知らないか?」 「…旦那さまからお聞きになっていらっしゃらないのですか?」 「会長から何を?」 雪虎の態度に、黒瀬はしばし沈黙。分かりました、とすぐに頷き、 「では、こちらへ」 雪虎を案内するように、前へ立って歩き出した。 ついて行くうち、なんとなくどこへ向かっているかを理解する。 「書斎へ向かってるか?」 「はい」 「そこに俺のスマホがある?」 「仰る通りです。ちなみに、スマホで何をされるご予定でしょう?」 「会長から聞いてないか?」 話題を逸らされた気がしたが、特にこだわることなく罰掃除のことを答えれば、 「ふむ、では、蔵の目録などもあれば便利かと」 予想外の答えが返った。一瞬呆気にとられた後、 「そんなのあるのか」 雪虎は顔を輝かせ、身を乗り出す。 「おそらく、書斎のどこかにあったと記憶しております」 それを先に言ってくれと思ったが、 (まあ誰にも聞いてないし、俺が毛嫌いしてる月杜家内の蔵掃除なんて月杜の人間なら想像もしないよな) そもそも、秀から雪虎にそんな提案があること自体、青天の霹靂だろう。言ってみれば罰なのだが。 「分かった。会長なら所在を知ってるか?」 「ご存知でしょう」 だが秀からそんな話を聞いた覚えはない。 …つまりは秀も、雪虎が真面目にコトに取り組むとは思っていなかったわけだ。 雪虎の複雑な気分を置き去りに、 「鍵は開いております」 月杜家にしては珍しい、観音開きの飴色の扉の前で立ち止まり、黒瀬は脇へ身を引いた。 「どうぞ」 「ありがとな」 書斎なら書斎と言ってくれたら、一人で勝手に取りに来たのだが、昔から、雪虎が何か行動を起こそうとすると、なぜか月杜家内ではこうして誰かしらがついてくる。 信用がないということか。 面倒だなと思いながらも、受け容れるしかないのだろう。 用事を早く済ませようと書斎に入った雪虎は、そこではじめて疑問に思った。 「…そういや、なんで俺のスマホが書斎にあるんだ?」 やはり結城家で一度取り上げられていたのだろうか。 それを取り戻してくれた秀が預かってくれていた、とか? 雪虎のスマホは、重厚な黒檀の机の上に置いてあった。 おそらくはここで、秀は日頃月杜の仕事をこなしているのだろう。 パソコンが何台か設置してあった。 首をひねりながら取り上げ、黒瀬を振り向けば、彼は中に入らず、外で待機していた。 「なんでそこにいるんだ? 入らないのか?」 「旦那さまの許可なく入れません」 予想外の答え。驚く雪虎。 どちらかと言えば、黒瀬は雪虎が余計なことをしないかどうかの見張りだろうと思っていたからだ。 「俺は勝手に入ってるけど、いいのかよ」 止めなくて。 思わず言えば、黒瀬はにこり。 「雪虎さんは我らとは違いますので」 ―――――月杜の血を引いているから、ということだろうか? 納得できなかったものの、いつまでも黒瀬の答えを待ってもいられない。 スマホを見下ろせば、電源が落ちていた。 電源を入れるなり、 「…トラ?」 入り口から、呼びかける声。 それこそ予期していなかった声に、雪虎は目を瞠る。 次いで、背筋に、覚えのある、ぞくりとした感覚が走った。それを無理やりねじ伏せ、顔を上げる。 そこには―――――和装に身を改めた秀が静かな表情で立っている。 控えていた黒瀬は、当たり前のように頭を下げ、一歩下がった。 「それでは、失礼致します」 まるで最初からいなかったかのように退場する黒瀬に頷き、秀は中へ。 「は? 会長まさか、これから仕事するんですか」 「今から寝たら、夜が眠れない」 目を瞠った雪虎へ、秀は難なく答え、黒檀の机を回りこみ、上等の椅子に身を沈める。 「そうですけどね…。だったらまず、教授たちに会ってあげたらどうです。客でしょうが」 いいのか、放置で。 言えば、静かな横顔を見せたまま、秀は答えた。 「しばらく会う気はない」 「なんで」 「滞在するなら、十分もてなすよう、伝えてある」 「いやそっちの方が面倒でしょうが。なんで会わないんです」

ともだちにシェアしよう!