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日誌・189 いじらせて(R15)
秀は顔を上げる。
雪虎を見遣り、その手元に目を止めた。眉をひそめる。
「誰かと連絡を?」
雪虎の質問には答える気はないらしい。
半ば予想していた雪虎は、肩を竦めて答えた。
「写真を撮りたくて」
「なんのだ」
「蔵掃除するつったでしょ。どこに何があるか、写真でも残しといたらいいかなと思ったんですよ。だめならやめますが」
雪虎の答えに、秀は少し考えるように口を閉ざした。
すぐ、いつもと変わらない表情で言う。
「構わない。写真に撮れるなら、そうするといい」
「?」
不思議な物言いだ。まるで、撮れない、と言っているようだが。
(誰に邪魔されるわけでもないのに、撮れないわけあるか?)
「…そうですか? あ、蔵の中のものの目録もあるって聞いたんですが、どこにあるかご存知ですか」
「―――――アレか…分かった、用意しよう。他に何かあるか」
「いまのところはありません」
「分かった。では、こちらからも一つ」
秀は、雪虎の手元にあるスマホへ目を向けた。
「月杜にいる間、外部と連絡を取ることは禁止する」
雪虎は目を瞠る。…有無を言わさない、これは。
―――――命令だ。
反発や怒りを感じるより先に、雪虎は、呆気にとられた。それが、すぐに。
じわじわと理解が広がっていくにつれて。
「…ハッ」
つい、皮肉に笑う。
秀が目を上げた。彼は、雪虎の顔をその瞳に映した刹那。
「…トラ?」
戸惑ったように、揺れる声を上げる。
―――――雪虎は、笑っていた。ただし。…心底、楽しそうに。子供の頃に戻ったように、無邪気に。
…それだけで。
刹那、秀の頭からすべての思考が抜け落ちる。
「いいですね、それ」
知ってか知らずか、弾む声で言いながら、雪虎は扉へ向かった。
「心底一方的で、自分勝手で、―――――ワガママな感じ」
怒って出て行く、と言った態度ではない。
今の雪虎はどう見ても、機嫌が良かった。
どうするつもりか。
見守る秀の視線の先で、雪虎は開きっぱなしだった扉を閉めた。
「最初っから、そうしとけばいいのに」
言いながら、雪虎は扉に、―――――カギをかける。
秀はさらに困惑した。
雪虎がどういうつもりかが、読めない。
彼がどんな考えで、愛していると告げた男と、自ら密室で二人きりになったかなど、理解できるはずもなかった。
秀とて、重々承知している。
雪虎は、秀を何とも思っていない。
「なら、さ、会長は」
くるっと扉の前から踵を返し、雪虎はいつもの身軽な足取りで、秀の方へ戻ってきた。
スマホで自分の口元を隠すようにして、雪虎。
「俺が従う代わりに、何をしてくれる?」
「…なんだと?」
一瞬、秀は雪虎が何を言い出したのか理解できなかった。
だが、聞き返した直後に理解する。
―――――これは、取引だ。雪虎は、月杜秀に取引を持ち掛けている。
もしこれが雪虎以外なら、論外だ。考えるまでもない。
他の誰であろうと、秀と対等に立てはしないのだから。
だが今の相手は、八坂雪虎。秀はどうしても昔から、彼にだけは敵わない。
彼が秀と取引をしたいというのなら、秀は従うほかなかった。
「…」
だが、すぐには何も思いつかず、秀は言い淀んだ。
喘ぐような息をこぼす。
こればかりは分からない。
雪虎が、何を好むかなど。何をしたって、今まですべて、裏目に出てきたのだから、当然だ。
だから、言った。絞り出すような声で。
「…トラの、望むことを」
どこまでも強気に、雪虎は黒檀の机を回り込んできた。
彼を、上目遣いに見上げた秀に、雪虎はいっきに退屈した目になる。すぐ、唇を尖らせて、
「ん、もういつも通りに戻ったのか?」
秀にとっては訳の分からないことを言った。
まあいいや、と何を思ったか、雪虎は悪戯気に笑う。
秀の警戒心がいっきに跳ね上がったが、雪虎を前にした秀は、彼のすべてを受け入れる他に何もできない。
「そうか、それなら」
雪虎はスマホを机の上に置いた。
一方で、秀の肩に手をかける。
「俺の好きにさせてもらいます」
―――――ぎし、と小さく椅子が鳴った。
秀の腿の上を跨いだ雪虎が、彼に上半身を預けてきたからだ。
さすがに、秀は一瞬、絶句した。
雪虎を見上げ、
「…ト、」
呼ぼうとすれば、
「しー…」
秀に抱きついた雪虎が頬を摺り寄せ、耳元で囁いてくる。
位置的な問題もあるが、『その気』になった雪虎というのは、暴力的なほどの色気があって、秀は手も足も出ない。
秀は早くも、意識がぐらつくのを感じていた。
大体、近くにいるだけで、雪虎がほしくてならないのだ。
受け止めるだけでは足りない。
手を伸ばしかけた刹那。
「今から会長は、動いたらダメですよ」
耳元で、雪虎が囁く。
それだけで、秀を拘束するには十分だ。
命令というなら、雪虎のこういった発言こそが命令だった。
秀はぐっと拳を握り締め、動きを止めた。
「そうそう」
その動きを感じたか、雪虎は満足そうに笑う。
「今日は俺が、」
雪虎が、跨いだ秀の腿の上に腰を落とした。
その頭の位置が下がり、秀の首筋に鼻先を押し付け、囁く。
「会長を好きにいじらせてもらいます」
何をするつもりか、すぐには、秀は想像もできなかった。直後。
雪虎は、秀の胸倉を掴むように、して―――――思い切り、左右に引く。
呆気にとられた秀を置き去りに、
「あ、やっぱり、ちゃんと着てますね。なかなか着崩れないな」
「…トラ、何を…」
秀の声に、ちらと視線を彼に向け、雪虎はすぐ、もう一度似たような動きをした。
そうしているうちに、次第に秀の胸元が露になってくる。
秀にとっては、こんな大きな男の上半身を剝いて何が楽しいのか分からない。が、
「会長は仕事してくれてていいですよ」
言いながら雪虎は秀の頬に、宥めるようにキスをして、
「俺は勝手に遊ぶんで。…あんたの身体で」
雪虎の頭の位置が下がる。
今度は、…目についたのか、秀の喉仏に唇が落ちた。
秀は、つい、息を呑む。
それで、喉が動いた。
どう思ったか、雪虎はひそやかに含み笑う。
「このライン」
そこを生温かい舌で舐め上げながら、雪虎は内緒話の態度で言った。
「好きなんですよね。会長のって、はっきりくっきりしてて、エロいなって思います」
とたん、吐きだされた雪虎の吐息がたまらなくて、秀は顔を背けて、強く目を閉じる。
馴染んだ感覚が、ぞわりと背筋を這いあがってくるのを感じた。
(…これは、―――――ダメだな)
一瞬で、腰砕けになるのを感じながら、観念する。
逃げるどころか、もっと、と渇望してしまうような、中毒性のある快楽が、次第に、秀の全身を痺れさせてくる。
それを堪えるように、ぐっと眉根を寄せた。
とたん、雪虎が薄く笑った。
「犯されるって観念するみたいな、…そういう表情も最高」
うっとりと言った雪虎の指先が、そのとき、不意に。
「…っく」
秀の乳首を摘まんだ。
それをじっくりと押し揉みながら、雪虎。
「なあ、会長ってここも感じる? 昔はここ、触らなかったから…」
言葉を途中で止め、雪虎は指の腹でそこを執拗に転がした。
雪虎の目には、もう明らかなはずだ。
今は着物の下にある秀自身は、もうすっかり、自己主張している。
雪虎は、それには素知らぬ振りで、胸元に吸い付いた。
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