191 / 197
日誌・190 だれも見捨てられない(R15)
「…、トラ」
「なんです?」
「………もう」
知らず、秀は身じろぐ。もう、触れたい。自分で自分を慰めたい。
秀の訴えに、雪虎は舌先で秀の胸元の肉粒を転がし、叱るように噛んだ後。
「だめです」
震えた秀の身体に、薄く笑って、首を横に振った。…そう、言われたら。
秀は耐えるほかない。
細く長く息を吐きながら、秀は胸元の雪虎を見下ろした。
―――――雪虎がどういうつもりで、こんなことを始めたのか。
彼の性欲が強いことは承知だし、月杜の鬼である秀とはどうしても惹かれ合うのだから、そういった衝動を抑え込むつもりは、雪虎にはないだろう。
だが、秀は伝えるつもりもなかった気持ちを白状してしまった。
その上で、雪虎はあえてこういった行動に出た。
…雪虎のことだ、できることなら、そういった気持ちに対しては、真摯に向き合いたいと考えるだろう。
しかし、今の状況を考えれば、むしろ。
(こんな奴が好きなのか、さっさと嫌いになれ、と…言われているような)
事実、雪虎にはそういう気持ちがあるだろう。
早く幻滅してくれ、と。
そう、思っている。
残念だが、それだけは無理だ。
たとえ、雪虎が秀と何とも思っていないとしても、秀は想い続けるだろう。
正直なところ。
雪虎が、秀をどうとも思っていないことは、幸いだ。なにせ。
―――――もし雪虎が振り向いてくれたなら。
(何をするか分からない)
雪虎が、何とも思っていないから、秀は耐えられる。
我慢できる。
気持ちが重なっていない相手に、無理強いなど、もってのほかだ。
そんなキレイ事もまた、いつまで保つか分からないが。
「ふ…、ぅ」
無意識に、雪虎の身体の下で、秀の足が小さく跳ねる。
放置されている陰茎が訴えてくる快楽のせいだ。
全身が、ぞくぞくと震える。
「…こうしてると」
胸を弄り回していた雪虎の手が、腹筋を辿るようにすぅと動いて、腹の方へ降りてきた。
「会長は、普通の人間ですよね」
不思議そうな雪虎の声を聞きながら、今度は秀の方がなんだか不思議な気分になった。
『普通の人間』。
月杜秀をそんな風に言えるのは、彼だけだろう。
秀の、胸から腹の輪郭を愉しむように撫でながら、雪虎は言葉を続けた。
「…月杜の人間が、祟りそのものって、本当ですか?」
「聞きたいこと、とは、ソレかね」
気を抜くと弾みそうになる息を抑え込みながら、秀は雪虎を見下ろす。
秀と目が合うなり。
雪虎は、淫蕩に微笑んだ。…おそらく。
秀も今、似た表情を浮かべているのだろう。
「―――――そう、だな…何から話せば、いいか」
顔へ伸びてきた雪虎の指先が、唇に触れてくるのに好きにさせながら、秀は尋ねた。
「トラは、知っているかね」
「なにを、ですか」
唇に、触れるか触れないか、の位置で、じっくりと味わうように、雪虎の指先が、唇の輪郭を辿る。
その感覚に、秀の肩が跳ねた。
この時まで、秀は知らなかった。
唇もまた、性感帯なのだと。
どういうわけだか、雪虎は、秀に触れている今の状況を、心底楽しんでいるようだ。
表情を見れば、分かる。
だから、秀は避けられない。
むしろもっと、好きにさせたくなる。
雪虎が与えるなら、痛みでも心地いいのだ。
眉根を寄せ、何かを堪える表情で、雪虎を見下ろし、秀は口を開いた。
「祖の鬼が、『そう』なった…祟りそのものとなった理由だ」
とたん、雪虎が浮かべた表情から、彼が誰からもその話を聞いていないことは知れた。
ぽかんとした表情で、何か言いたげに少し開いた雪虎の唇を、今すぐ舌ごと思い切り吸い上げたい衝動をぐっとこらえ、秀は続ける。
「祖の鬼は」
秀はさしたる表情の変化もなく告げた。
「伴侶を殺されたのだ」
声には、感情の起伏一つない。
当然だろう、かつて起きたこととはいえ、今を生きている人間には関係がなく、物語でも読み上げるようなものだ。
「他でもない」
だが、それが今なお現実に影響を及ぼしているものだと思えば、何か、薄ら寒いものがあった。
「守るべきこの地の人間に」
「…は?」
雪虎は、一瞬呆気にとられた。
その瞳に、すぐ、怒りに似た激情の光が閃く。
なぜ、そんな話になったのか。
ひねくれてはいるが、性根が真っ直ぐな雪虎には理解しがたいのだろう。
この地を飲み込もうとした祟りを、身代わりとして一身に引き受けた存在が、なぜ守った相手に殺されるのか。
あまりにも報われない。
理不尽だ。
雪虎の表情から感情を読み取ったか、同意するように秀は小さく頷いた。
「…詳細は記されていないよ。はっきりしているのは、そのために」
雪虎は、何も言わなかった。
ただ、無言で秀の頬を撫でる。
宥めるように。
慰めるように。
その掌の温かさに、つい、秀は自ら頬を摺り寄せた。
…雪虎は、避けたりはしなかった。
ただ、苦し気な表情になる。
秀は、静かに告げた。
「最愛の伴侶を失った鬼が―――――祟りそのものとなったことだね」
雪虎は考え込むように、眉間にしわを寄せる。
「ん? いや、待ってくれ」
雪虎は思わず、秀の頬を左右から、両手で包み込んだ。顔を覗き込む。
「鬼の伴侶が、身代わりに祟りを引き受けたから、その血を引き継ぐ月杜家に祟りの影響が残ってるんだろ?」
近い。
息がかかる距離だ。
雪虎は、あまり気にしていないようだが、秀には耐え難い誘惑だった。
「…実のところ、はじまりの災厄は」
堪えるために、せめて、と秀は目を伏せた。
「伴侶の女性がその死によって、ほとんどを消滅させた」
「…なんだよ、それ?」
雪虎は、唖然と呟く。
「そのひとは、自分を殺した奴らのために、犠牲になったってのか…?」
理解しがたい、とばかりに雪虎は怒りに声を震わせたが。
―――――おそらく。
(雪虎も、同じだ)
鬼の伴侶たる女がそうしたように、雪虎も、彼女と同じ立場なら似た行動を取る人間だ。
どれほど苦悩したとしても、結局、だれも見捨てられない。
…自分自身、以外は。
―――――だから、守らねばならない。
他はどうなろうと構わないが、雪虎だけは見捨てられない、秀のような存在が。
「なら今、月杜に残ってるのは」
途中で言葉を止め、雪虎は、秀の頬から手を離した。
その指先が、また悪戯気に胸元まで降りてくる。
片手で胸の飾りを弄びながら、もう一方の手が、臍まで下がった。
くっと軽く雪虎の指先が、臍に埋まり、秀は咄嗟に息を詰める。
その感覚が、直接ずんと伝わった性器が、また震えて大きくなった。
「…今、月杜に残っているのは」
ぞわぞわと全身を疼かせる感覚に、秀は蠢きそうになる腰を、必死に押しとどめる。
ただし、どこまで制御できているかは、わからない。
既に、息は隠すこともできず、弾み始めていた。
「のちの、災厄。鬼の…怨念だよ」
ともだちにシェアしよう!