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01(side翔瑚)
「──あの、特に用事ではなく、明日の映画のことなんだが……」
『あ~あれね。昨日スゲェ見たくなってさ、ハルと見に行っちゃった。だからキャンセルで』
「なっ! そ……っじゃ、じゃあ、食事だけでもいいから予定のイタリアンでも」
『アハッ! バカだなぁ、ショーゴ。明日の気分は明日にならねぇとわかんねーよ。とりあえず食うものは明日決めよ。じゃね』
「さき、咲待って、頼む待ってくれ会うだけでもっ」
ブツッ、ツーツーツー。
画面に映る、通話終了の文字。
仕事の昼休憩の合間に自販機の影でコソコソと連絡を取った結果が、この惨敗だ。
俺はまた、咲の言うみすぼらしい犬のような顔になっているだろう。
食事を食べに行く気にもならず、コーヒーを一杯買ってベンチに腰掛けた。他に人はいない。みんなランチに行ったのだろう。
──咲にはもう、一ヶ月会えていない。
明日はようやく年明けでバタついていた仕事が一段落し、早く帰れる日だったのだ。
だから、同僚に聞いた評判のイタリアンレストランで食事をしてから咲の見たいと言っていた映画のナイトショーを見ようと、約束を取りつけた。
そんな浮かれ気分は、ついさっき気まぐれの餌食になったわけだが。
背中を丸めて、ため息を吐く。
まぁ、見たいと言っていた、と言ってもラストシーンの主人公が刺されるシーンで、振りかぶった狂器をどこに刺されるか気になると言っていただけだ。
食事は、俺がついでにと称してどうにかこうにか誘っただけで。
セックスをするだけじゃなくて食事を共にすれば、咲と他愛のない話をできるから。
それが幸せ。
ただそれだけだった。
慣れている。
こういうことは、よくあることだ。
刹那的な咲にとっては、俺との約束もその友人との約束も他のセフレとの約束も、どれも優先度は同じ。
どれもこれも気が向いた時に付き合い向かなければ反故にする。
咲と約束するという行為は、意味をあまり持たない。
気分と思いつきで行動するからドタキャン率が高い上に、来てくれても予定通りには進まない。当日その瞬間に誘ったほうがおそらく確実性がある。
知っていたのに、それでも俺は明日を楽しみに、ガラにもなく浮かれ調子で働いていたのだ。
それが今、なくなった。
咲の言葉一つで、俺の気分はこうも目まぐるしく変化する。
予定と一緒に胸がポッカリだ。食事をどうするかは明日決めると言っていたが……望みは薄いだろう。希望は捨てよう。
温かいコーヒーを買ったのに、手元のコーヒーはぼんやりしていたせいで少し冷めてしまっていた。
それを一口飲んで、覇気のなくなった背中を丸めて何度目かのため息を吐く。
こうやって、俺という生き物を気にも止めずに生きる咲を感じると、いつも気落ちしてしまい余計なことを考えてしまうのだ。
咲にとっての俺は〝いつものように暇つぶしにひっかけた男がいつまで経っても離れていかない。変なやつだ〟という具合で。
だからどうということはなく、離れていくまではどんな時もいつも同じような態度で接してくれる。
離れていかない俺が悪いんだ。
自業自得。優柔不断。責任転嫁。
そんな俺でも、咲はいつでも受け入れてくれる。自然体でありのまま。
文句はあまり言えない。
咲は俺に咲と同じことをされても、嫌じゃないから。もし嫌だと思ったならそう伝えて行動もするだろう。
咲は、愛情や恋情以外は抱きしめるのだ。
例えひねた酔っ払いが世界中の全てが憎いと醜く吐き出そうが「いんじゃね?」と口元を緩ませる。
世間の鼻つまみものすら抱きしめる。
誰彼構わず、咲は許容した。
他者を羨み罵詈雑言を放つ口も、被害妄想に囚われた脳も、顔をしかめられる醜態は全て許容して「なら堕落しよーぜ」と笑う。
容姿の美醜も関係ない。
家柄や能力も関係ない。
自分の気分がなによりの物差し。
誰もが顔を逸らす醜悪な容貌の女性がいたとして、咲は心の底から分け隔てない笑顔で跪いて彼女の手の甲に口付けられる。
そしていつも通りの笑顔のまま、手を繋ぐことを厭うこともなく彼女を気ままに連れ回しては、デートだと喉を鳴らす。
そんな咲なのだから、許容できない咲の行動があっても、そのために動かない自分が悪いと自覚があった。
咲はたった一つ以外、俺の全てを笑って「バカだなぁ」と受け入れてくれるのに──俺はワガママだから。
「……信じて、……愛してくれ」
咲が唯一受け入れられないことだけが、俺は受け入れられないのだ。
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