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28(side翔瑚)
本当はもう少し一緒にいたいが……俺にできることももうないからな。
今日はもう帰ろう。
「その、起きているのはよくない。眠るといい。俺は邪魔しないうちに、帰る……」
急に訪ねてきてすまなかった、と謝罪を告げて離れようとする。
が、咲は潜っていた布団からガサリと手を出し、ピタッ、と空中で止めた。
なんだ? と思ったのもつかの間、その手はそのまま元通り布団の中に消えていく。触れずに伸びた奇妙な手。
「ふぅん。なんで?」
子どもじみたあどけない疑問だ。
熱のせいであるのはわかっているが、赤らんだ頬でコテンと首を傾げられると、ついついたじろいでしまう。
わざとだろうか。
たぶん無自覚だろう。なんとなくだが。
「……し、仕事帰りに寄ったから、俺もそろそろ帰らねば……」
「なんで? あぁ、うちのシャワー使えよ。お腹減った? 出前取る?」
「う、でも着替えがスーツしかないし、このままずるずる長居すると終電を逃す、かもしれん……」
「だからなんで? 服なんか俺の好きなの着れば。背丈あんま変わんねぇじゃん。あ、そのへんにサイフ落ちてっからあげる。タクシーで帰れば?」
そんな「ね?」なんてへんにゃりした笑顔で言われましてもな……。
緩い微笑みと寸止めされたいじらしい仕草のコンボをキメられると、俺はどんどん身体が重くなっていった。
最早足は鉛のようだ。
後ろ髪は引かれるどころか一本釣り寸前である。
確かに泊まったことは何度もあるしこうして引き止められて逆らえたためしはないが、今日はセックス中に漏れたわけでもなく、素面のくせに泣いて縋りつき、恥ずかしいことを散々言ったわけで。
できればリセットしたいので、一度帰って一人になりたい気持ちもある。
それに咲は病人だ。
にも関わらず普段通りの生活をしようとするものだから、俺がいたらとんでもないことをしようと言いかねない。
気分で行動しているから、確実にないとは言いきれないのだ。
「その、お、俺は帰……」
俺は勘弁してくれ! という必死の形相で二の句を告ごうとする。
するとベッドの中から俺を上目遣いに見つめる咲に、不機嫌そうな、でも少ししょげた表情で、とどめを刺された。
「ショーゴ、なんで帰んの……?」
「…………」
そっと膝を折り、ベッドサイドに座る。
風邪が伝染ったのか顔が熱い。
今すぐブッ倒れそうだ。全く動けそうにない。インフルエンザかもしれない。
うぐぐと唸り声を漏らして抗おうとしたが、最後には結局、息を吐く。
「うひひ。俺、ドア嫌いでさ。ショーゴ、横で寝てよ」
「~〜っ、う……あぁ……眠るまでだぞ……」
皺にならないようジャケットを脱いでネクタイを緩め、のろのろとベッドに上がる。
俺のためにドア側のスペースを半分空けた咲は、上機嫌に戻ったのかいつもより幼い笑顔をゆるーんと晒していた。
本当にズルい男だ。
いつもは容赦なく突き放して突き放して、縋りついたって足蹴にして笑うような人なのに、そうやって言外に「もう少し側にいてくれ」だなんて。
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