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02(side翔瑚)

 咲が好きだ。  本当に本当に大好きだ。  今の俺があるのは、咲に恋したからだ。  ならば今の俺の構成成分の大半が咲で相違ないだろう。……わかっている。恋は盲目でいられるほど短い片想いじゃない。  俺は自分も人も扱いが雑な咲が、絶対にハマってはいけない崩壊主義の悪魔だとちゃんと理解しているのだ。  思いつきで酷いことをされるなんてザラで、当人は酷いと思っていない。  拒否権を与えているのだから嫌なら反撃すればいいと思っている。  ちょっかいを出した女の子は無自覚に甘い言葉で弄ぶし、セフレの扱いは本当にオモチャと同じだし、俺の気持ちなんて少しだってわかってもらえないし、関係も気持ちも場も空気も気まぐれに壊したがる好奇心と暇つぶしで生きるクズ。  間違いなく、普通に考えれば好きになる要素はない。愛し続ける要素も。  それでもたまに、優しいんだ。  俺が仕事で失敗した日。  普段通りにしていたのに、咲は駐車場で助手席から俺の髪を引っ張った。  髪は抜けたし驚いて肝が冷えたが、俺の頭は咲の膝の上に乗る。  膝枕というものだ。  硬直する俺の耳をなでながら、咲は喉を鳴らして笑った。 『バカだなぁ、ショーゴは』  人が落ち込んでいる時に多くの人が思いつくだろう一般的な対処法はまるでわからないのに、人の感情の変化には酷く過敏な男。  俺が沈んでいても浮上していても、咲は変わらず俺をバカにする。  バカだなぁ、と、咲に言われるのが。  俺はとても、好きだった。 『そんだけグルグル回してもなんも思い浮かばないようなタラレバ妄想、いつまで続けてんの? つまんねぇ暇つぶし』 『っ……』 『ショーゴ。人はお前の思い通りにゃ動かんよ。他人も俺も、慰めてなんかあげない。負け犬同士がキズを舐め合えばいいのに、いつだって舐められ待ちが地面に転がって世界一の不幸ヅラしてんだ』  ケラケラと笑って身軽な声で、世間の痛ましい患部ばかりつつく咲。  自分が自分で手一杯で人に心を砕けないように他の人もそうだ。不貞腐れや諦めではなくただの事実。自分がしていないことを求めるのは、正しくバカだろう。  嫌な部分を見抜かれた。  咲の言葉に、世間が素知らぬ顔をしている気がする。俺だって世間の一人だ。  惨めな部分を掘り出されて泣きそうになり、黙って硬い太ももに頬を寄せる。  だって、バカな俺じゃあつまらないと、見向きされないかもしれないから。 『どうせならさぁ……ふんぞり返って上等じゃんって、笑って中指立てろよ』 『愉快な負け犬なら俺が笑ってあげる』  けれど咲は俺の耳を指で弄びながら、負け犬であることを許容した。  惨めで卑屈なままでいい。  ただ愉快な負け犬。  おもしろい負け方をしろと。  でもだってどうせと世界を恨むめんどうな負け犬はオーソドックスでつまらないから、傲慢にふんぞり返って、堂々と大敗するバカのほうが笑えるだろうと。  慰めも、励ましも、叱責もない。  俺が一日引きずって自分が世界一役立たずに思えたヘドロ思考を、咲はつまらないか面白いかだけで判断する。理屈なく。  笑ってくれる。 『はーぁ……俺、独り寝だとあんま寝れてねーからさぁ、寝る。寝てる間、ショーゴの好きにしてな?』  その日の俺は、俺に膝を貸したままシートを傾けて眠ってしまった咲の膝にくっついて、硬い腹筋に顔を埋めながらメソメソと泣いた。  優しくはない。むしろ痛いほど厳しい。本当に慰めなんてない。  なのにいつもこうして、咲は簡単に俺の汚くて情けない部分を見抜いてしまう。見抜いた上で受け入れてしまう。  誰にでもこうで、いつでも変わらない咲だからこその特殊効果。  どんなに惨めで醜い姿を晒しても咲は心底平然としてくれる。誰に蔑まれ誰に疎まれても、咲の態度は変わらないという確信があった。  どんな俺でも、全て受け入れてくれる。  そういう男だから。  ただ一つ、咲に対する愛情以外は。  それを口にした途端、罵倒と嘲笑の対象になり、それからもうそんなこと言わせないようにかそれとも試しているのか、咲とは真逆の俺にはわからないが、思い知らされるように酷いことをされる。  絶対に信じない。  笑い話にして受け入れない。小馬鹿にして詰る。  話すらさせてもらえないことに耐えきれず逃げ出すと、それじゃバイバイとあっさり目を切られるのだ。  だからきっと人と距離を詰めることがうまい咲の周りにあまり特定の人がいないのは、そういうこと。  隣にいるのに、遠い。  寂しくなってネガティブな思考を振り切り、咲のほうへ顔を向ける。 「……咲、好きだ。愛してる」  ──咲のボーダーラインの内側に入りたい。  いつも否定されるのに同じことを懲りずに言うのは、そういう願いがあるからだ。

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