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10(side翔瑚)

 言葉を失った俺は、金魚のようにパクパクと唇を開閉させる。  だってこれは酷い。あんまりだ。  咲は俺の顔が熟れたトマトのように赤くなっていることをアルコールの責任だとでも勘違いしているのか?  ──確かに思ったことを口に出せばいいと言ったが、そこまで全て取捨選択せずに出さなくてもいいぞ……っ!  恋人だと認識して好きだと言って言うことも聞いて、やることがこれ。  息吹咲野はどこまでも俺の理解の範疇をスキップで飛び越える。 「ショーゴがそれでイクほど感じるって俺は知ってるけど、お前は人に見られると恥ずかしくて泣いちゃうから、しない。大人しく酒を飲むだけの俺は、ちゃんとデートを満喫してんね?」 「お、俺はそんなに泣き虫じゃ」 「──さっきちゃぁ〜ん! 言葉責め中のとこお邪魔しま~」  薄暗い店内の話し声やBGMの中で語られる優しさアピールを身が焦がれる気持ちで聞いていると、知らない男の声が割り込んだ。  灰になりそうな俺を助ける天の声だ。  振り向くと、そこにはコンマ一秒動揺するようなド派手な男がいた。  ひとまず、間違いなく男である。  背丈は平均。ネオンピンクのハイヒールがかさ増ししている。  黒光りするレザー素材のボンデージは胸元から背中が大きく開いたセクシーすぎる衣装だったが、不思議とよく似合っている。  鶏の鶏冠のように盛られた髪が濃厚ピンクだからかもしれない。  刈り上げた両サイドには流れ星のソリコミが入っていた。  とりあえず俺の人生では絶対にしない髪型とコスチュームだと言っておこう。 「アハッ、ケコは相変わらず鳥頭の鳥目だなー。俺言葉責めなんかしてねーじゃん? むしろ思ったことを口に出すってルールに従ってたとこ。従順な彼ピなの」 「あらやだ。じゃあ思ったまま素直なアンタの思考が根っからイジメっ子なのね」 「うふふ。知らんわ。鶏冠引っこ抜いてい?」 「イ゛ッ」  ケコ、と呼ばれたその男は、親しげに話しながら挨拶のように思いっきり髪を引っ張られて濁った悲鳴をあげた。  見ていた俺はギョッと焦る。  知り合いじゃないのか? じゃなかったとしてもいきなり人の髪を容赦なく引っ張っちゃダメだろう……! 「さ、咲っ」  慌てて腰を抱いている咲の胸を叩くと、咲はあっさり手を離してケコを解放した。  解放されたケコの目には涙が光っていたが気にもせず表情も変えない咲に、俺は一人でハラハラバクバク。  いやだって絶対痛いからな。というか過去では痛かったからな。  基本的になにごとも容赦しない咲のことだから頭皮ごと剥ぐ勢いで引っ張ったに決まっている。 「咲、人の髪をむしったらよくない……」 「ありゃ、んなルールも追加すんの? しゃあねぇな。ショーゴはむしるの嫌いなわけね。リョーカイ」 「いや俺が好きか嫌いかじゃなくてされた人の頭皮が、ああうぅ……もうそれでいい。俺が嫌だからダメでいい。だから人の髪はむしらないでくれ……」 「ん~? ん。ふふふ」  ケコが傷つくからしちゃダメということが伝わっていない咲に、俺は深いため息を吐いてガックリと脱力した。  首を傾げて笑って誤魔化す咲はやっぱりわかっていないようだが、俺の体を抱き寄せてちゅ、と耳たぶにキスをした。  ……それで全部まあいいか、と言い聞かせずに許してしまう俺も共犯か。  咲はずっと咲のままだ。  俺と付き合ったことで咲は俺に優しくなったけれど、俺以外へは変わらない。  恋人ヒイキされて喜ぶ気持ちもあるが、やはり本音は哀しくもあった。  優しくするようになっただけ進歩しているし、そりゃあ自分に優しくしてくれるのならそれで文句はないのだがな。特別扱いはむしろ嬉しくて他人はどうでもいいとすら思える程度に俺は恋に生きる男だ。  でも俺は咲を愛しているから、感情や常識を知って咲の世界が優しくなればいいのに、とそちらを願ってしまう。  恋人にしてもらえたから余裕がある。  自分の夢は叶ったので、ちっぽけな優越感より咲がよりよくなることを優先できる。  とはいえ、いくらそう願っても現実は暖簾に腕押し。  眉を下げて鶏冠がハゲてやしないかとケコを伺うと、ケコは頭を抱えてモダモダと悶えていた。そらそうだ。髪が抜けていたからな。咲はどうも力が強いんだ。 「あの、連れがすみません。大丈夫ですか?」 「うひ~……っあ、大丈夫大丈夫! アタシ咲ちゃんの突飛な好奇心には慣れてるのよね。むしろよき!」 「よ、よき?」 「そ! ほら咲ちゃんって天然モノの無自覚真性サディストでしょ? 本人一切悪気なしの容赦なしの根っからイジメっ子。やってることはマイルドなのにヤリ方がこういろいろ欠落してるって言うか……っ! 要するにサービス無用ご主人様無用とにかく想像の外からエグられたい! っていうアタシ含めたここのM男のドツボなのよねぇ〜。的確に使い捨ててくれるのよぉ」  ポッ、と頬を染めてモジモジとくねりながら熱弁するケコ。  ハイヒールにボンテージとサディストじみた格好をしたケコだが、どうやらなかなかのマゾヒストだったらしい。

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