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13(side翔瑚)

「俺はもう、ここを……出る」 「ショーゴ」  頭を冷やそう。  そう考えた俺は、咲が呼びかける声を無視して店の出口に一人早足で向かった。  ガラン、とドアベルが鳴る。  ギィバタンと閉まるドア。  店を出なければ、感情に侵されて咲を手酷く問い詰めてしまいそうだったのだ。  なにを言っているんだと、わけがわからないと、どうしてそうなるんだと自分でもどう答えてほしいのかわからない稚拙な疑問で癇癪を起こしそうだった。  冷たい冬の風に火照った脳を冷やされ、吐いた息が白く濁った。  カン、カン、と螺旋階段を一歩ずつ降りながら、さっきの出来事が意味することを紐解く。  咲。咲は俺の恋人だ。  誰の告白にも頷かなかった咲が俺の告白に頷いた時は、まさに夢心地だった。  だって俺と同じ大きさとは言わずとも、咲は俺を好きだと思ったから付き合ってくれたのだろう? そういうものじゃないか。  咲は俺を好きだと言った。  今までの咲の態度もそれを確信できるような特別な態度だった。  優しくなった。俺の気持ちを優先するようになった。不器用だけど、多少ズレているけれど、俺を気遣うようになった。  俺はその理由を〝愛〟だと思ったのだ。  けれど、その純白の思いにたった一つのシミができた。不安というシミだ。  嫉妬しない? そういう人はいる。  独占欲がない? そういう人もいるだろう。  ──では、自分の恋人が他人と淫らな行為をする様を許可する時、あんなにも無感情な瞳で笑える人間は? 「っ……!?」  凍えた螺旋階段を降りきった先で、カツン、と足を止めた。  いつの間にか背後に迫っていた男の腕が、俺の体を強く抱きしめたからだ。 「バカだなぁ、ショーゴ」 「さ、き……」  俺の好きな咲の声。  俺をバカにする、愛しい声。  通行人には見えにくいビルの影で、俺は自分を抱きしめる腕と声に、泣き出しそうに潤んでいた瞳からこらえきれずに一粒を零した。  あぁ、咲。  咲の腕だ。声だ。体温だ。  咲、咲、咲。咲はここにいてくれる。  咲は勝手に飛び出した俺を、すぐに追いかけてくれたのか。  そう思うと溶け落ちそうな熱で胸が歓喜した。心臓の鼓動がうるさい。全身が咲に抱かれて嬉しいと泣いている。  咲が触れると、俺は涙をポロポロと零していても体温を上げてしまうのだ。 「泣き虫。どうして、泣く?」  俺が一粒、二粒と我慢ならずに頬を濡らしても咲の声はいつも通りの響きを持っていて、一度離れた温かな体が正面にまわり、濡れた頬を白く骨ばった両手が包む。  さっきと同じ瞳。  無垢だが濁ったその目が俺を一心に見つめ、涙の理由を探ろうとしている。 「咲が……好きだから……」  俺はその手に自分の両手を添え、トロトロと涙を伝わせながら震えてままならない唇で想いを語った。 「好きだと泣くの? ショーゴ、変なの」 「ン、ッ」 「なぁ、変なとこもっと見せて。俺に見せて、お前の顔。変な顔」 「そんなに目、擦ったら取れる……」 「取れねぇよ。取れたらハメてやる。だから見せて。俺を好きだって鳴くショーゴの変な顔も、声も、涙も、全部見せろ。そんで全部、俺にちょうだい」  咲の言葉は少しおかしくて、おかしいほどに食い入るように俺を見ている。  どこか必死で、目元を擦る指が痛い。  けれど咲を愛する俺の姿に彼がこうも興味を持つとは思わなかったから、俺は抵抗せずされるがままに顔を明け渡す。  ほんの少し前は、咲は俺にこれっぽっちの執着心もないのか? と寂しさで逃げ出したのに、今の咲は本当に珍しく真剣に俺の姿を欲しがっていた。  咲がなにかをこうも欲しがる姿を見たのは初めてかもしれない。  咲の中に、初めて見た欲望。 「泣くな、もったいない」  そう言って俺の涙を丁寧に舐め取り、涙腺にチュ、と吸いつく咲に、俺はそんなに欲しいなら全てを譲っても構わないと思った。  ちょうだい、と。  そうオネダリする咲に、俺の全てを贈って喜ばせたいと思った。

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