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32(side翔瑚)

 タン、とキーボードを叩き終え、パソコンをシャットダウンした。  ポケットからスマホを取り出して画面をつける。咲からのメッセージはない。ついしょげかえってしまう。 「会いたいな……」  静まり返ったオフィスの中に、俺の呟きが恋しげに響いた。  だって咲を想うだけで、俺はキュウと心臓が搾られる。  あの薄い笑い方で「ショーゴ、好き」と低めの声が耳朶を愛撫すると、心の琴線が震えてたまらない。  咲は俺に会いたいと思ってくれているだろうか。  思ってくれていれば嬉しい。  あっさりとダイジョーブなんて言ったのは本心じゃなくて、本当は残念だと思ってくれているなら「俺もだ」と抱きついてしまう。  そうしたら笑って抱き締め返してほしい。二人並んでレストランに入って、クリスマスディナーを雑談に花を咲かせながら終える。  咲と話をするのは楽しかった。  咲と俺とじゃ価値観や感性がてんで違うから、俺はいつも新鮮な気分を貰っている。  困ってしまったり驚いてしまうことは多いが、それでも話をしていたい。  そのあとはどれが美味しかったかと言い合ってクラブラウンジに上がり、ゆっくりとした時間を過ごすのだ。  今日ばかりはグラスをかたむけてアルコールに浸っても構わなかった。  俺は酔うと記憶がなくなるタイプじゃないので、余すところなく記憶できるだろう。  上質な演奏に耳をすませて口を閉じていれば人目を忍んだソファーに身を委ね、隣の咲に触れても許されたかもしれない。  いつもより少しだけ大胆に。  少女のようだと笑われる俺を変えてみようと、バレることを怖がらず咲の肩に頬を預けて〝愛している〟と睦む夢を見た。  愚かしいことを醜いと揶揄しない咲のことだから、大胆な俺もきっと受け入れてくれる。 「ふふ……」  自然と笑みが零れた。  それから頬が赤くなって、手にしたスマホの画面をつつく。  ──アルコールの勢いで甘えて、腕を絡めて、酒気帯びの吐息で名前を呼び、咲を求めているのだとわかるように内ももをなでる。  ベッドを求めて部屋に入れば、二人きりの世界だ。日々の仕事の疲れが吹き飛ぶ。  オネダリをしよう。  たくさん好きだと言ってもらって、頭をなでてもらう。  明日のことを話しながら寄り添って眠ろう。  それがもう叶わない。  大人というものは、夢見がちな少女のままではいられない。  ガタン、と立ち上がってコートを着る。  荷物を持って、足早に歩き始めた。  ──だから、メッセージを送ったのだ。 『ほんの少しでいい。会えないか?』 『今から行くわ』  三十路のいい歳をした男である俺だが、エレベーターを待つ時間を惜しんで、三段飛ばしに階段を駆け下りる。  カバンとともに掴む紙袋には、何日も前に購入しておいたクリスマスプレゼント。 「ははっ」  あわてんぼうのサンタクロースを思い出して、バカみたいに笑った。

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