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「アイツらには……お父さんになってほしくねぇなー……」  どう頑張ればいいのだろうか。  カチ、とドライヤーのスイッチを切って、綿菓子みたいな髪を恨む。  言うこと聞けよ。そのひと跳ねがウザったいって殺されるかもしんないのにさ。  そうして部屋を出ようとした時。  不意に脱衣場の物置からガタンッ、と控えめな物音が聞こえた。  ピタ、と足を止めて、首を傾げる。  ネズミがいるのかもしれない。それは困るね。駆除しなきゃ。  ネズミがいるような場所に住む俺じゃダメだ言われると引っ越さなければならないので、俺は物置の取っ手をガラリと引いた。 「っ……」 「……んん?」  ネズミなんてどこにもいない。  いたのはきれいな幻覚だ。  狭い物置の中に身をかがめて膝を抱える幻覚の名前は──キョースケ。  自然、口角がゆるりと上がった。  生多今日助は、俺の知る中で最も優しい小鳥の名前なんだよ。  短く黒い髪に浅黒い肌。少しくすんだ? けどきれいだぜ。お前はきれい。タレ気味の目も澄んだ瞳の色も、きれいなきれいなあのキョースケそのもの。  右耳に光るシルバーに見覚えがあったから、俺はその場にしゃがみこんだ。 「俺のピアス、ずっと着けててくれてたの? ……お人好しだね。サンタクロース」  メリークリスマス。  声に出すと、自分の左耳が重くなる。  世界を遮断する呆れた俺の耳を優しさで飾ったサンタクロースは、食らいついて離れない置き土産を、外さなかったらしい。  ス、と手を伸ばす。  無防備な首筋に触れる。  目を見開いたまま石のように動かないキョースケが、ピク、と身を震わせる。  指先に触れる脈がトクトクと鼓動していて、ひと安心した。  よかった、生きてんね。オマエが一番野垂れ死にしてそうだったから。  俺がゆるゆるといつも通りの薄い笑顔で笑いかけると、キョースケはくしゃりと表情をひしゃげさせて、お世辞にも上手とは言えない笑みを浮かべる。  そして首筋に触れていた俺の手に自分の手を重ね、無音で頬を擦り寄せた。  静寂に、神聖に。  俺の手のひらは、キョースケの心で、シトシトと濡れていった。 「ありゃ……」  また好きな子を泣かせてしまった。  妙な胸のざわつきを覚える。触れただけで泣かせてしまう自分を、ゴミクズだと痛感するざわつきだ。優しくは、うまくできない。  顔には出ないけれど焦ってしまい、俺は「もう触んないから、泣くなよ」と言いながら手を引こうとする。  けれどキョースケは俺の手を離さず、フルフルと首を横に振った。  溺れそうな瞳がゆっくりとまぶたを開き、朝日のような視線が差し込む。  なんて、そのくらい、お前なんでもかんでもきれいなんだもん。 「あのね、なんでここにいんの」 「はは……咲。あのな、本当なら、信じられないんだぜ……?」 「なにが? むつかしい。たぶん俺って読解力バカでさ。他はどうでもいいけど、キョースケの言葉は理解してぇのに」 「うん……それ」 「どれ?」 「俺がお前の特別枠なわけ、ないんだよ。俺はお前になにもしていないんだから。俺の行動は全部金のためだって、お前も笑って言い切ってただろ?」 「あぁ……なるほど」 「俺はたぶん、一番咲にわかりやすい対価を、離れていかない理由として与えてた。〝お金〟って名前の理由。咲が理解しやすい対価。……俺にとっては浅ましくて無機質に感じるその理由が、お前にとっては俺を呼びつけるためになんの臆面もなく使える、少しだけ優しい理由だったんだよな」 「うん」 「そんなの、気づかなかった。俺はお前の考え方がわからなくて、聞こうともしなかったから拒絶されてると思ってた。自分を金ヅルだって言うお前に、俺の価値は値がつくかどうかだって言われてるみたいで、凄く凄く辛かったんだ」 「うん」 「だけどお前にとって俺がいつの間にか、どうしても不幸にしてしまうから忘れてほしいって……壊れてしまったとしても離れることを選ぶくらい、大切なもののひとつになってたこと……」 「うん」 「全部聞いてたって……普通は(・・・)、純粋な愛情を持ち続けることは難しいんだよ」 「うん」 「人間はみんな不信者だから。咲を理解しようとするより先に、どうしても自分のモノサシで『まさか本気で無自覚だったって? それが今まで好き放題したあとで人が変わったように愛に生きるのか?』って、疑ってしまうものなんだよ」 「うん」 「咲、人は誰しも、他人の心なんてわからないんだぜ。お前はただ、その中で一際……仲間が少ない仲間ハズレなだけなんだ」 「うん」 「世界はお前を仲間ハズレにしたけど、お前は世界を仲間ハズレにした。お父さんに恋をしていた咲は、いつだって他になにも見えていなかっただろ? 正しく〝恋は盲目〟だ。生まれつき全てを支配されていたから、それ以外に価値を見つけようともしない、できない。だからほったらかされて、宙ぶらりんで、お前はずっと透明だった。お前はそんなふうにしか恋ができない子どもだった」 「うん」 「俺は、お前のお父さんの代わりにはなれないよ。なりたくもない。わからないからって臆病風吹かせて大衆のデータから決まりきった対応をする言いなりの愛玩人形なんて要らない。理想の恋人? まっぴらごめんだ」 「うん」 「咲」 「うん。…………ちゃんと、わかるよ」

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