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19(side今日助)
──金曜日。
休日でも勉学に励む俺──生多今日助が時間の経過に気がついたのは、人の出入りが少なくなった夕暮れのことだ。
遅い時間になっても、夏場は夕焼けが居残っている。
明り取りの大きなガラス窓が設置されているおかげで、店内は美しいオレンジと赤のコントラストに照らされていた。
室温は快適。天井に設置されたシーリングファンが冷気をかき混ぜ、暑気を感じることもない。
──ここは俺の恋人、息吹咲野が働いているカフェである。
花の金曜日を担当している俺は、金曜日に咲のシフトが入っている場合、ここで課題や自主勉強をこなしてあがりを待つのがおなじみになりつつあった。
それを差し置いても、居心地のいい店内は気に入ってんだぜ。
落ち着いた木製の柱や天井、テーブルや内装に、装飾の少ない壁。
周囲の話し声も控えめな音楽も心地よくてのんびりと心が凪ぐ。
金銭的な都合でそう多く来らんないのがネックだけどさ。
駅前のオシャレな自然派カフェ。
通りすがりによく見ていたが、いつも人がいる有名店だ。
無添加にこだわりマスターがバリスタと本格派な割に値段が手頃で通いやすいところが人気らしい。
地域雑誌を立ち読みしたところ、材料は契約農家から直接買い付けてコストダウンしているのだとか。
まぁ相場より安いと言っても、やっぱりカフェ飯だからなぁ。
オーガニック食材を使ったフード類や野菜を美味しく食べられると評判のデザート、焼き菓子類なんかは値段が気になって、貧乏性の俺にはとても手が出ない。どうしてもこう、スーパーの値段がチラついてさ。
もう無駄遣いをする彼氏はいないが、染みついた性分は消えないもの。
忙しいことには変わりないのでなかなかアルバイトもしていられず、節約したいという心理もある。
一つ試験に受かってもまた別の試験があり、インターンもあった。
病院や薬局など、あちこちで実務経験を積みながら学校での更なる試験も受ける日々。落ちたらボーナスステージ。専門学生は辛いぜ。
それでも咲が働いている時は、なるべくここで待つ。
本人に知られたら恥ずかしいだろう。せっかく自分の日なんだから、なるべくそばにいたくて、なんて。
ま、朝から六時間も居座って勉強してたし……もう予習も復習も課題も終わっちゃってるんだけどな。
「勉強オッケーって許可貰ってるとはいえ、流石にキモイよなぁ」
隅っこの一人席で心持ち赤くなった頬を指先でこすり、すっかり冷めたミルクコーヒーを飲む。
フード類に比べてずいぶん安価に設定されているドリンクメニューから、いつも決まったコレを頼んでいた。
甘いものは嫌いじゃないが、甘すぎるものは苦手。
かといって苦いのもそれほど量が欲しくない。
なので砂糖を入れずにミルクをたっぷりで淹れてもらったミルクコーヒーが、俺の〝いつもの〟。三百五十円なり。
半分ほど飲み残してカップを置く。
きりのいいところまで終わらせたから、手持無沙汰だ。
でも勉強終わったのに帰んないって迷惑客だよな? うーん、テーブル混んできたら外で待とう。
あたりを見回すと咲はまだあがりの時間じゃないみたいで、カウンターの中で接客をしていた。
そういえば帰宅ラッシュの時間帯だ。コーヒーを買って帰る人だろうけど、にしたって女性が多い気がする。
電車を待つ勤め人たちが作ったテイクアウト待ちの列のうち、何人が咲目当てのリピーターなのやら。
「…………」
カップに少しだけ残ったミルクコーヒーを見つめる。
咲はお客さんと軽率に話す。
これを飲み干しておかわりを買いに行けば、俺も話せると思う。
「……。……いやいや。ダメだろ、うん。あと少しであがりだしな」
三百五十円で咲と会話できると思うと、財布のひもが恐ろしいくらいたやすく緩みそうになった。
ぷるぷると頭を左右に振って下心しかない思いつきを消す。
いやでもほんと、咲はモテる。
もうなんか変なフェロモン出てんじゃねーかって疑うぜ。
もちろん恋愛感情だけじゃないけど、しれっと話しかけるからサクッと知り合って馴染む人タラシだ。
そうすると、恋人の俺は本気でなにもかもを無視して頼む度胸さえあれば今すぐ咲を呼べるのでこうして我慢できるわけで。
そうじゃない人は『買い物ついでにあの店員に声かけるか』って気分で立ち寄ってしまうわけで。
そりゃあ、うっかり財布の紐を投げ捨てたくもなるだろう。
それほど接客モードの咲は悪魔的だ。一応咲は俺の恋人だぞ? 妬く。
そもそも今日だけじゃない。
いつだって咲は本人にその気なく人間を引っ掛けて愉快に会話してじゃバイバイってサヨナラするから、結局記憶には残っちゃったり……!
「……ふー……」
よし、こうなりゃとことんだ。
俺は今暇を持て余している。
だからしっかりめっきり説明をする。あまりにも(俺にとって)恐ろしいとある店員の悪いくせの説明を。
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