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(あぁ……うぅ……本当なら昨日、咲とナイトプールに行って……少しお酒を飲んで、まったりと過ごす予定だったのに……) 「俺は昨日、終電がなくて、タクシーで帰って、ソファーで寝落ちした……朝にシャワーを浴びて……買い置きの十秒メシをすすりながらガタンゴトンと……くぅ……っ」  予定していた夢と現実のギャップに引きずられ、体にかかる重力は倍増だ。辛い。  ──ああ、咲に会いたいなぁ。  そんなことを考えながら、粛々と帰宅のために足を進めていた時── 「ショーウーゴー」 「っ!?」  ──グッ、と背後から不意に抱き寄せられ、全身を硬直させた。  思いっきり身が跳ねる。ショックをどうにか奮い立たせていた仕事スイッチが切れた今、完全に油断していた。心臓が口から出そうだ。  翔瑚はなんの身構えもなかった体を抱き寄せる腕とその声に、ギギギとブリキ人形のように振り向く。 「あ、えっ」 「野良犬みてぇにトボトボして、どしたの」 「さ、咲……っ」  トクン、と驚嘆だけではない胸の高鳴り。  案の定、そこにいたのは、愛しの恋人である咲野だった。 「仕事帰りか? 翔瑚。お疲れ様だな~」 「今日助」  その隣には親しみやすい笑顔を浮かべる七つ年下の男、今日助もいた。  クセの強い咲野の恋人たちの中で、最も優しい男だ。  翔瑚は心の中で、ひそかに今日助を母親担当と仮定していた。  力関係だけで言うと、自分は恐らく、次男だ。  無関心だがそつのないエリートな理久は父親だろう。その父との関係は良好。  しかし長男の春木は〝チャーハンの恨み〟というものから、覚えはないが翔瑚を目の敵にしていた。  末っ子の蛇月とは仲がいい。そして咲野は、家族みんなに愛される飼い猫。  その飼い猫様は今日助と手を繋ぎながら、翔瑚の肩に回していた手を滑らせ、脇腹を気まぐれになでている。 「ぅひっ」 「説明は」 「ぐっ、いや、き、昨日咲と会えなかったから、寂しがってただけだ、っな、なにも問題はない」 「あーね。俺も寂しかったぜ。うふふ」  シャツの上からなでていた手がボタンの隙間をまさぐり始めたので、慌てて質問に答えた。  寂しかった、と咲野の口から聞くと、体温が上がって頬が桃色に色づく。  咲野は翔瑚の耳元で「オマエのクリスマスプレゼントのグラスで、ボトル一本空けちゃってサ」と囁き、香水の香りを嗅いだ。くすぐったくて、耳が震える。  そんな翔瑚に、今日助がキョトンと首を傾げた。 「昨日、会えなかったのか?」 「そ。オシゴトで、俺の知らない誰かしらがミスって、尻ぬぐいダッシュ」 「そっか……それじゃ、翔瑚も一緒にご飯を食べようぜ」 「んっ?」  そしてお母さん、じゃなくて今日助はそのまま、笑顔で柔らかな提案をする。おかげで翔瑚は目を丸くした。 「それはダメだ。咲と二人きりだぞ? 今日助の時間を俺が浸食したら、曜日を割り振った意味がない。俺に気を遣わなくたって、大丈夫だ。申し出は嬉しいけれどな」  笑顔を返して、ちゃんと断る。  今日助だって翔瑚と同じように今日を楽しみにしていたはずだ。  それを運悪く自分の番がダメだったからと言って割って入ると、今日助の二人きりがなくなってしまう。  人の時間を奪うほど厚かましくない。  分を弁えて遠慮すると、今日助は屈託なく笑い、こっそりと翔瑚の耳元へ唇を寄せ、小さな声で言った。

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