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指輪の話

『指輪の話』 「……やっぱりやめないか?」 躊躇うような声だった。 それでも僕の神経を逆撫でするには充分な言葉だった。 「何ですか、それ。貴方から言ったんですよ?」 「まあ、そうなんだが……」 気まずそうに逸らされる視線が更に僕を苛立たせていく。 「――分かりました!もういいです」 並んで座っていたソファーから勢いよく立ち上がる。 「ハル?一体何処に……」 「今日の予定はキャンセルになったようなので、僕は自室で本でも読んでます。邪魔しないでください!」 腕を掴み掛けていた手を振り払い、僕は自室へと閉じ籠る。 もちろん本なんて読む気分じゃなくて、ベッドへ突っ伏すように倒れ込んだ。 胸がムカムカとする。 ……出会って八年、付き合って五年。 今日は僕らの五年目の記念日だ。 そんな区切りの日を目前に、昨日彼は言ったのだ。 「一緒に指輪を買いに行かないか?」と。 結婚という誓約で君を縛ることは今は難しいけれどせめて形だけでも、と彼は言った。 嬉しくて、擽ったくて、でも恥ずかしくて……僕は崩れそうになる表情を必死に抑えながら「まぁ、いいですよ」と可愛げなく応えた。 その後はあまりにも彼が破顔して過ごしていたから、「何なんですか、その顔は」と指摘すると、「ああ、すまない。嬉しくて、ついな……」なんて言って頬を綻ばせていた。 正直、僕だって嬉しくて楽しみにしていたんだ。 だけど素直じゃない僕は何でもないような顔をして、あまつさえ彼に「だらしない顔になっていますよ」と注意したりして。 そりゃアイツみたいに態度には出せないけど……夜はドキドキして眠れなかったし、こっそりスマホでデザインをサーチしてみたり。僕だって同じぐらい楽しみにしていたのに。 だと言うのにさっきの台詞だ。 まさに買いに行こうと家を出る直前だった。 あー、くそ……思い出しただけでもイライラする。 昨日の今日でやめるだなんて、何考えてんだよ。 やめるぐらいなら期待なんかさせるな。 「……馬鹿野郎」 ポツリと呟いた言葉は響かず枕に吸収されていく。 溜め息の次は欠伸が出た。 ……昨日眠れなかったから眠い。 どうせ起きててもイライラするだけだし、このまま寝てしまおう。 襲い来る睡魔を受け入れると、僕の意識はあっという間に微睡みへと沈んでいった。 それからどのぐらい意識を手放していたのかは分からない。 「――ハル」 ――声が聞こえる。 「――ハル、おいで」 ――大好きな声だ。優しくて安心する。呼ばれると胸が鳴る。 「――ハル、愛してるよ」 ――いつでも受け入れてくれる広い腕。温かい体温。 「……僕も、愛してます」 ああ、きっと夢だ。これは夢。 だってこんなにも僕は素直になれる。 本当はいつだって愛を告げたい。 もっと素直に、与えられる分を返したい。 「ハル、愛してる。誰よりも」 「僕だって……。ねぇ、どうしてあんなこと言ったんですか?僕だって楽しみにしていたのに……。貴方が縛ってくれる証を身に付けたかったのに……。こんなに貴方が好きなのに、どうして分かってくれないんですか?」 抱き締められた腕の中、懇願するように縋った。 そうしたら温かい掌が僕の頬を包み「ごめんね……」と言葉が落ちてきた。 それはやたらハッキリと聞こえて、僕は目の前の顔を見上げた。 「……ハル?起きた?」 「え…………」 ボーッと見下ろしてくる顔を見つめていたら、段々と意識が覚醒してくる。 夢ではなく現実に僕の身体はベッドに沈みながら抱き締められていた。 「ごめんね?泣いていたから起こしてしまった」 言われ、拭った目元は確かに濡れている。 「俺が泣かせてしまったんだね」 申し訳なさそうに顔を歪め、優しく頭を撫でてくれる。 「……別に貴方のせいで泣いた訳じゃ…………」 「言い訳をしてもいいかな?」 頷いた僕にありがとうと呟くと彼は続けて口を開いた。 「一人で舞い上がってしまったんじゃないかと思ったんだ。二人で指輪なんて買いに行ったら否応なしにそういう目で見られるだろう?君はプライドが高い方だし、嫌がるんじゃないかと思ってね。かと言ってプレゼントだと俺が買ってきても、きっと君は受け取らない。そうだろう?」 確かにそうだ。 僕は恋人であるが女扱いをされたいわけではない。 立派な男だ。 「俺も君を女扱いする気はない。もちろん大切にはしたいけどね。だから、その……君が嫌々ついてきて買うぐらいなら止めてしまおうかと思ったんだ」 ごめん、と眉尻を下げるから僕は頬に添えられた彼の手を掴んだ。 「……貴方、馬鹿ですか。周りからどう見られるかなんて貴方と付き合った時、とっくに覚悟決めてるんですよ。今更何だって言うんですか。僕は貴方と付き合っていることを一度だって恥じたことはありません」 「……………………」 「この先、貴方以外の人と結ばれてやる気もないんです。だから、さっさとこの左手に貴方のモノだって証を着けさせろ」 「ハル…………ふっ、男らしいな、俺の奥さんは」 「当然です。そこが魅力でしょう?」 「ああ、ハル愛してるよ」 愛を囁く唇が口付けを落としてくる。 「…………僕も」 「ん?もう一回」 「………聞こえていたでしょう」 「ちゃんとハルの言葉で聞きたい。夢の中の俺だけ狡いだろう?」 「なっ………!?」 もしかして寝言でも言ってしまってたのか…? 「ハル、愛してる。だから、聞かせて?」 「……………僕も愛してます、ヒロ」 「ありがとう、幸せだ。…君の左手に指輪をはめたい。今からでも付き合ってもらえるかな?」 「……いいですよ。その代わり貴方にも着けさせて下さいね」 「ああ、もちろんだ」 手に光る小さな輪は、僕と貴方を結ぶ小さな甘い枷。 【end】

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