4 / 57
運命との出会い④
「ご迷惑もおかけしましたし、先程追っ手とか言っていましたよね、誰かに追われているんじゃないですか?」
青年はまた髪をがしがしと掻き回し、そんな青年の様子を窺って少年は困ったようにこちらを見やった。
「追っ手というか、なんかそれこそ今ナダールさんが言ったみたいな人達なのかもしれないですね、道々何度か襲われたりしたんです。でもグノーは強いので大丈夫ですよ」
少年が発した名前『グノー』それが青年の名前のようだ。だが言っている内容は物騒極まりない。
「それ全然大丈夫じゃないですよ。どこに行かれるのですか?私、お送りします」
「いいよ、別に。それにαが一緒じゃこっちの方が落ち着かねぇ」
あぁ、やっぱり少年はΩで間違いないのだな、とナダールはそう思った。
αの匂いが強くて、すっかり匂いがかき消されてしまっているが、それでも微かに匂うΩの薫りにはナダールも気付いていた。
「私、何もしませんよ」
「率先して何もしなくてもヒートに当てられたらお前みたいな大男、俺だってそう簡単に止められない。下手したらお前殺して止めるはめになる俺の身にもなれ」
「殺すって、また物騒な」
「Ωはそうでもしないと自分の身が守れないんだ、分かれよ」
「グノー、ごめんね」
申し訳なさそうに謝る少年に、青年は慌てる。
「アジェに言ってんじゃねぇよ、こういう体質が面倒くさいって言ってるだけで、アジェは悪くない。いっそαなんか世界から居なくなればいいんだ」
少年の名は『アジェ』というのかとナダールは心の中に二人の名前を刻み込む。
「俺達は今からメルクードに行くんだ。あんたは?」
「私達も今日この辺を見回ったら夕方にはメルクードに戻ります」
ふぅん、と青年は気のない返事をして、少年の手を引いた。
「それじゃあ、また会うこともあるかもな。あんたデルクマンって言ったな。騎士団長のギマール・デルクマンとは親戚かなんかか?」
「え? 父を知っているのですか?」
言葉に二人は驚いた様子でナダールを見やった。
「あんた騎士団長の息子かよ。俺達今から行こうとしてんの、あんたの家だ」
「え?」
今度はナダールが驚く番だ。
「うちですか? あなた達父の知り合いなんですか?」
「知り合い、というか親戚です。僕の名前はアジェ・ド・カルネ。僕の母がナダールさんのお父さんの妹なんですよ」
聞いた事がある、父の妹は自分が生まれた頃に他国に嫁いだのだ。確か隣国ファルスの田舎領主の所だったと記憶している。
メリア王国とは仲の悪いランティス王国だが、それ以外の国とは比較的良好な関係を築いている。もちろん他国との交流もあり、メリア王国とは反対隣のファルス王国とは非常に仲が良いのだ。
「あなた達ファルスから来たんですか?」
「はい、ちょっと僕達ギマール伯父さんに会いに来ました」
アジェが人の好い笑みでにっこり笑うので、可愛いなと心の中でナダールは心をときめかす。
「なんだ、そういうことなら。連れてってもらうのもやぶさかじゃないな、いろんな手間も省けるし」
「手間?」
「んんと、僕、今自分がアジェだっていう証明みたいな物何も持っていないんですよ。仮にも騎士団長様だし、会ってくれなかったら困るなぁって思ってたんで、ナダールさんが連れて行ってくれるならとても助かります」
「あぁ、そういう事ですか」
でも、それにしても自分の従兄弟が王子にそっくりというのはどういう事なのだろう?
「そういえば、あんたさっき私達って言ったよな? 騎士団の人、他にもいんの?」
「あぁ! そうでした。私まだ仕事の途中で!」
「そうなんですね、じゃあ仕事の邪魔をしちゃいけないので、僕たち適当に時間潰して待ってます」
アジェはにっこり笑う。やっぱり可愛い。そんなアジェの様子に、グノーは「仕方ないな」とため息を吐いた。
グノーとアジェの二人には先に街道を進んでもらい、件の町に向かっていた同僚と合流して一通り捜査を終えてから、ナダールは二人と合流する事にした。
仕事を終え同僚達も一緒にメルクードへと向かう道すがら、やはり同僚もアジェは王子に似ているとナダールと同じ感想をもらした。
アジェは困ったように苦笑する。
「そんなに似てますか?」
「似てる似てる。実は双子の兄弟とかだったり?」
それは同僚の冗談半分の軽口だったが、その時ナダールはアジェの薫りがざわりと揺れたのに気が付いた。そんな事ある訳ないじゃないですかぁ、とアジェは笑っていたがその心の揺れは手に取るように分かった。
「おい」
グノーがナダールを見上げる。グノーは自身の赤い髪を隠すようにフードを目深に被っていたので彼の瞳は見えなかったが、それは「何も言うな」という意思表示だという事も何故か分かった。
同僚達と別れ二人を家へと案内する。聞きたい事はたくさんあった。だが、そのどれもがこんな道端でするような話ではないのだという事は理解していた。
「ただいま戻りました」
家に帰り着くと、小さな弟妹が「兄ちゃんおかえり」と転げるように纏わり付いてきて、ナダールはその一人一人にただいまを言ってその頭を撫でた。
弟妹達は来客に浮かれ、客人に興味津々の様子なのだが、Ωである一番末の妹だけはグノーが怖いようで近付こうとはせず、ナダールの背後に廻って二人の様子を伺う。そんな妹を抱き上げ「彼が怖いですか?」と問うてみた。
「うん……なんか怖い匂いがする。でも、いい匂いもするしよく分からない」
自分と同じ反応の妹に、彼がよく分からないのは自分だけじゃないのだなとナダールは安堵した。
アジェが従兄弟である事は間違いないようで、母とアジェは父の妹であるアジェの母親の話で盛り上がっている。しかし、その様子を眺めているグノーの表情はまるで読めない。フードこそ外しているが、その長い前髪は彼の感情を完全に隠していた。
「なに?」
自分を見つめる視線に気が付いたのか、グノーがこちらを見やる。妹は怯えたように私の腕から逃げ出して母の元へ駆けて行ってしまった。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「イヤだ」
グノーの返答はにべもない。ついでに会話も続かない。
「私、あなたを怒らせるような事しましたか? もし、気に障るようなことをしたなら謝ります、ごめんなさい」
言葉にグノーが驚いたような顔をした……ような気がした。やはりその表情は見て取れないのだが、なんとなく分かるのがとても不思議だ。彼は戸惑った様子で、まぁひとつだけなら……とぼそりと呟いた。
ひとつだけと言ってはみたものの、聞きたい事はいくつもあって、さて何を聞こうとナダールは考える。
「なんだよ、聞きたい事があるならさっさと言え」
「……あの、あなたは、もしかしてΩなのでしょうか?」
「ちげーよ、俺はβだ。Ωの護衛に役に立たない奴付けてどうすんだよ、お前馬鹿か」
いっそ潔いほどの罵りの言葉に、ナダールは思わず笑ってしまう。
「ですが、あなたから凄くはっきりとしたαの匂いがするので、もしかして番持ちのΩかと思ったんですけど、違いますか?」
グノーはだんまりをきめこんだ。本当にひとつしか答えてくれないつもりか……
それに、確かにあの時自分は複数の匂いを感じ取ったのだ、アジェはΩで間違いないと思う、だがグノーの性がどうにもはっきりしないのだ。
じっと黙って彼を見つめていたら、沈黙に耐えかねたようにグノーがひとつ溜息をつき、己の髪を掻き回した。
「視線うぜぇ、こっち見んな」
「見てるのも駄目なんですか?」
「俺が擦り減る。くっそ、だからαは嫌いなんだよ」
ぶつぶつと呟いて、グノーは諦めたように自分もアジェもΩで間違いないとその性を認めた。
「誰にも言うんじゃねぇぞ。ただでさえΩは偏見が強くて立場が弱いんだ、お前みたいな奴じゃなきゃ誤魔化せたのに、なんなんだよお前。そんな駄々漏れのフェロモン垂れ流しやがって、胸焼けするわ」
「そんなの初めて言われましたよ」
ナダールは戸惑う。そんなに自分は匂うのだろうか、実のところ他者の薫りには敏感でも、自分の匂いはよく分からないのだ、今まで会ったαの人達にもそんな事を言われた事はなかったのだが……
「匂うよ、めっちゃ離れてても匂ってきた。ブラックも大概だと思ったけど、あいつの次くらいに駄々漏れだ」
「ブラックさんって誰ですか?」
「この匂いの主」
あぁ、と納得する。確かに、グノーからは溢れんばかりのαの匂いがする、そういう人物なのだと言われてしまったら納得せざるをえない。
「その人はあなたの番なんですか?」
「ちげぇーよ、やめろし。あんな奴、死んでもごめんだ」
「嫌いなんですか?」
その彼の匂いを身体中に纏わり付かせているのに、グノーの言葉は辛辣だ。
「正直世話にはなってる、あいつのこの匂いがなかったら俺は今頃生きてなかったかもしれないしな。でも、どうにも面倒くさい。あいつに関わると碌な事ない」
「どんな人なんです?」
「自分を中心に世界が廻ってると思ってそうな奴」
心底嫌そうに、グノーはそう吐き捨てた。
「俺、あんたみたいな腰の低いαなんて初めてみたよ。αはどいつもこいつも傲慢で嫌な奴ばっかり、他人を振り回す奴がほとんどなのに」
初対面時の自分に対するあからさまな威嚇行動はその為だったかとナダールは苦笑した。確かに、そんなαに囲まれていたらαに懐疑的になってしまうのも仕方がない。
「私の傍に居てくれたら、私があなたを守りますよ?」
それは無意識に、言葉が口をついて出た。驚いたのだろう彼がばっと顔を上げ、こちらを見上げる。
「なに言ってんだ?」
「え? 何って、言葉通りの意味ですが……」
自分は何かおかしな事を言っただろうか? 保護されていない、番のいないΩだったら守るのはαの役目だ。それは妹を守るのと同じように自分に課せられた使命だとそう思っただけなのに、彼の動揺は彼自身のフェロモンさえ揺らした。
あ、これ好きな匂いだ。
「馬鹿じゃねぇの、守るとか軽々しく言ってんじゃねぇよ! お前だって番持ちじゃねぇんだから、加害者側じゃねぇか!! Ωってのは自分の身は自分で守るしかないんだよ! 例え、それで周りに不幸を振り撒いたとしてもな!」
「え、なんでそんなに怒るんですか」
「やっぱりお前は自分勝手なただのαだよ! 他の奴と違うと思った俺が馬鹿だった」
「え? ちょっと、え? 待ってください、なんでそんなに怒るのか分かりません」
怒らせてしまった。何がそんなに気に障ったのだろう、彼は毛を逆立てた猫のように視線は逸らさずナダールから距離をとる。
「俺やアジェには近寄んな! これはお前の為でもあるんだからな、死にたくなかったら俺に触んじゃねぇ」
「グノー、どうしたの?」
グノーの大きな声に、アジェが慌てたように駆けてくる。
「どうしたの? 何かあった?」
「なんでもない」
グノーはアジェからふいっと視線を逸らした。
「グノー、黙ってたら分からないよ、僕に教えて」
アジェの表情は優しいが、グノーはそのアジェの言葉には逆らえないようで、おずおずと視線をアジェへと戻す。
「本当になんでもないから、お前は気にするな」
「気にするよ、気にするに決まってるだろ。僕達親友だって言ったよね? グノーが嫌な思いしたら僕だって辛いんだよ、嫌なことも楽しいことも一緒だよって約束したでしょ?」
アジェは表情の見えないそのグノーの顔を覗き込むようにして彼の頬に手を伸ばした。歳はずいぶん離れているように感じていたのだが、まるでアジェはグノーの母親のようで、ナダールは見てはいけない物を見ているような気分にさせられた。
「ここは嫌だ、向こうで話そう」
「うん、分かった。ナダールさん、ここまで連れてきてくれてありがとうございます、本当に助かりました」
アジェは笑顔でナダールに頭を下げると、グノーの手を引いて行ってしまった。
今のはなんだったのだろう、二人はΩ同士だ。番になど絶対なれない二人なのに、そこには両親の間にあるような甘やかな空気が流れているようなそんな気がした。
それにしても鼓動が早い、これは一体なんなんだ。
「ただいま」
タイミングよく父の帰宅の声が聞こえる。
この鼓動をどうしていいか分からず、ナダールは小さな弟妹のように転げるように父の元へ駆けて行った。
ともだちにシェアしよう!