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運命は廻る②
家に帰り着くとグノーは一人客間に引き籠もってしまい、アジェは困ったようにナダールの前に佇んでいた。
「グノーは自分がΩである事を憎んでいるのでしょうか」
「憎いとは違うんじゃないかな、そこはもう受け入れているみたいだけど、Ωの世間一般の扱いがどうにも許せない所があるみたいで……」
「Ωの扱い……」
「特に僕達みたいな男性Ωの扱いってあんまり良くないんですよ。女性Ωは一般的にやる事はβの人と変わらないです、多少色気は振り撒いても受け入れられやすい、だけど男性Ωは異端です、βの人達には理解も出来ない。だって男が子供を生むんですよ?常識的に考えてありえないって思いますよね」
言われてしまえばそうかもしれない。自分の周りも男性αと女性Ωの組み合わせがほとんどで、稀に女性αと女性Ωの組み合わせも見かけるが、男性αと男性Ωの組み合わせは見た事がない。
「僕は領主の息子として育てられたので、ある程度分かっている人達も僕を無碍に扱ったりはしませんでしたけど、やっぱり影で色々言われているのは分かっていました。だから僕は自分にあった番相手が居るならさっさと番になってその相手に領主の座を渡せばいいとそう思っていたんです」
「それでは、元々その君の相手、エディ君は領主になるはずだったのですか?」
「僕はそう思っていたんですけどね、エディはそれは嫌だったみたいで自分は従者のままで充分だってそう言ってました。自分が領主様の実の子供だと分かった後もそれは変わらなくて、そんなのおかしいって最後の方はずっと喧嘩ばっかりしてました」
「想い合う気持ちは同じなのにすれ違ってしまっている感じですね」
そうかも、とアジェは笑った。
「僕はエディが変な目で見られるのは嫌なんです。エディは格好良くて僕のヒーローなんです、それなのに僕が隣にいると彼まで一緒に悪く言われてしまう、それが本当に嫌だった。僕が女性Ωだったらもっと話は簡単だったのにって何度も思いましたよ。女性として暮らしても別に構わない、だけど僕は顔が売れすぎていて、今更あの小さな町で誤魔化すこともできなくて……」
『Ω』その性はそれだけでも生き辛いというのに、男性Ωの生き辛さは更にその上をいくのだと初めて知った。
「グノーの事情がどうだったのかは僕も知りません。だけど、これだけ大事にされていた僕ですらこうなんですから、あんまり家庭環境のよくなさそうなグノーはもっと大変な思いをしてきたんじゃないかってそう思います。グノー、食事もあまり摂らないんですけど、夜もあんまり寝られないみたいで、時々酷くうなされて飛び起きて、いつも一人で泣いてるんです。僕、何も出来ないけど、せめて一緒に居る事くらいならできるかなってそう思っているんです。それくらいしか出来る事がないだけなんですけどね」
アジェの愛情は友愛というよりは憐憫に近いのかもしれない。二人でお互いの傷口を舐め合っている、だがそうする事でしか繋がれなかった二人の関係もなんとなく分かるような気がした。
僕が話したことは言わないで下さいね、とアジェは少し眉を落としてそう言った。
「グノーはきっと知られたくない、弱味なんて見られたくないんです。特にナダールさんはαだから余計に。グノーは死にたがってる、僕はグノーに死んで欲しくなんてないのに」
やはりそうなのか、とそう思った。
苛烈な彼の感情はまさしく生き急いでいるとしか表現できない。死ぬ為に生きている、彼の生き方はそういう生き方だ。
「自分で死ぬのは怖くて出来ない。だけどいつか自分より強い人が現れたら自分を殺してもらうんだって、だからすぐに喧嘩を売るし、売られた喧嘩も買う。グノーは強くて、相手に負ける事なんてないんだけど、いつでも自分を殺してくれる人を待ってるんだ」
何故彼はそんな生き方を選んでしまうのだろう。確かに生き辛いのは分かる、だが死んでしまったら元も子もないではないか。
「分かりました。私はあなた方の護衛です、あなたは勿論、グノーの事も私が全力でお守りします」
おそらく彼は嫌がるだろうが、そんな事はどうでもいい。自分が守りたいと思ったのだ、そこは誰にも、彼にも譲る気はなかった。
アジェは瞳を赤くして「ありがとうございます」と頭を下げた。
翌日、グノーは心の整理がついたのか普段通りにアジェの隣に立っていた。父はアジェの話が真実なのか調べているようで、その晩は帰ってこなかった。
「おはようございます。今日はどこへ行きましょうか?」
「ん~昨日みたいな事があると少し怖くなってしまいますよね。行きたい所はたくさんあるんですけど」
アジェは少し困ったような表情でそう言った。
「あんな輩が常にいるとは思わないで下さい、昨日はたまたま運が悪かっただけで、観光くらい平気ですよ」
「アジェはちゃんと俺が守るから、お前は好きな事してればいいよ」
グノーはそう言ってまたアジェに擦り寄っていった。
「そういえばグノー、昨日の身のこなし素晴らしかったですね。何か武術をやっているのですか?」
「あ?」
ナダールの言葉にグノーがこちらを見やる。
「別に、自分の身を守るために覚えただけだ。剣を振るうのは嫌いじゃない、剣は俺を裏切らない」
「すべて自己流?」
「ん~まぁ、多少人に習ったりもしたけど、ほとんどは……」
「素晴らしいですね!」
ナダールの言葉にグノーはたじろいだ様に後ずさった。
「褒めても何も出ないぞ」
「別にそんな事は期待していません。単純に素晴らしいと思ったのでそう言っただけです。私、実を言うとあまり戦闘は得意ではなくて、いえ、人並みにはちゃんと戦えますよ、護衛任務だとて手を抜くつもりは一切ありませんが、なんて言うんですかね、やはり人に剣を向けるのにどうしても躊躇してしまうというか、ぶっちゃけあまり好きではないというか、どうにも人と争うのが好きではないんですよね。なので、昨日みたいな場面ではどうしても一歩出遅れてしまって……その点あなたの動きは無駄も隙もなくて本当に素晴らしいとそう思ったのですよ!!」
一気に畳み掛けるようにそう言うと、グノーは更に困惑した様子で「そうか」と一言言ってアジェの後ろに隠れられる訳もないのに隠れてしまう。
「ナダールさんもそう思います!? 僕も常々グノーは凄いって思ってたんです! 格好いいですよね! 僕もあんな風に戦えるようになりたい!」
アジェにまでそんな事を言われ、ますますグノーはうろたえた様子で挙動不審に「あ」とか「う」とか妙な声を発している。これでいて照れているのだろうか。
「もし良かったら、少し手合わせ願えませんか?」
ナダールの言葉にグノーは顔を上げる。
「なに? 俺と戦いたいの?」
彼の口元がにぃっと弧を描いたのが分かる。喜んでいるのか、自嘲の笑みなのかはよく分からなかったが、感触的には悪くない。彼はきっと剣が好きなのだ。
「はい、もし良ければ」
「やるなら、手加減しねぇぞ?」
「望む所です」
我が家の庭は四方を建物に囲まれる形になっていて、もともと騎士の家系であるデルクマン家にふさわしく、そこは小さな闘技場のような場所になっていた。
そこには練習用に使えとばかりに何本も剣が置いてあったり、試し切り用だろうか、藁人形なども転がっていた。
「これ好きに使っていいの?」
「どうぞ、その為に置いてあります」
グノーの空気があからさまにぱぁっと華やいだ。ナダールの読み通り彼は剣技や武術、戦うこと全般が大好きなのだろう。
子供の頃から慣れ親しんだその稽古場は自分にとってあまり楽しい場所ではなかったのだが、グノーが楽しそうなのでひとまずはよしとする。
「好きな剣を選んでください、必要なら防具などもありますよ」
「いらね。そんなの重いばっかりで役に立たねぇもん」
グノーはそう言っていくつかの剣を手に取った。
持っては戻し、振っては頷いて一本の剣を選び出す。
「これに決めた!」
そう言った彼の声が弾んでいて、彼を見るまでもなく楽しげな様子が分かる。少し気分が浮上したようで、ナダールもほっとする。
アジェもそれは同じだったようで「僕そっちで見てるね」とにこにこと端に寄った。
剣を振りながらグノーはナダールへと相対する。一つ礼をして剣を構える、ナダールが様子を見ていると、グノーは思い切り踏み込んで横殴りに斬り込んできた。
速い!
ナダールはかろうじてそれをかわして体勢を整えた。だが、完全に体勢が整いきる前にくるりと回転して勢いをつけたグノーの剣がナダールの剣を捕らえてからめとった。剣はするりと手から奪われ、からんと小気味良い音を立てて地に落ちる。
「え?」
何が起こったのかよく分からなかった、なにせ動きが速すぎる。アジェは凄い凄いと笑顔で拍手を贈っていた。
「え? 待って下さい、今のなんですか?」
「何って、なに?」
「私、何されたかまるで分からなかったんですけど……」
「そんなのお前の動きが遅いからだろ」
剣を肩に担いでグノーは呆れたようにそう言った。
「え? それだけ?」
「まぁ、俺あんまり体重も無いしさ、力比べじゃやっぱり不利じゃん? で、スピード突き詰めてったらこうなった」
だから体重増やすと動き鈍くなるから嫌なんだよ、とグノーは続けた。
「だからと言って食べないのはもっての外ですからね!」
「お前のその食に対する情熱はなんなんだよ……」
「むしろあなたの食への執着のなさは異常です。人間の三大欲求舐めないで下さい」
「今そういう話してた訳じゃないだろ?」
昨晩グノーは引き籠もったまま夕食に顔を出すことはなかった。そして、それにも関わらず、朝食もたいして食べてはいないのだ、ナダールからしてみたら由々しき事態だ。
「確かにあなたのそのスピードは素晴らしいです。ですが、倒れたら元も子もないですからね。それに筋肉は健全な食生活から作られるのです、あなたのその腕のどこに筋肉があるって言うんですか」
「ム・カ・つ・く! しょうがねぇだろ! 元々筋肉付きにくいんだよ! 好きでこんな身体に生まれたわけじゃねぇ!! 俺だって普通に出来るなら、その辺にいるような普通の男に生まれたかったよ! 何もしなくても、普通に生活できてる坊ちゃん育ちが口出すな!」
彼の怒りの琴線に触れてしまったようで、ナダールはまたやってしまった……と肩を落とした。
嫌われている事は分かっている。それでも普通の友人くらいにはなれないものだろうかと思っているのに、自分は何かにつけ彼を怒らせてしまう。
「すみません、軽率な発言でした」
「お前のそういう所もムカつくんだよ! 謝ればなんでも許されると思うなよ。人のトラウマやらデリケートな部分ごりごり削ってきやがって、本当ムカつく! いっそ潔いくらいに見下してくれればこっちだって対処できるのに中途半端に優しくすんな!!」
え? と彼の方を見やると彼はまたそっぽを向いている。アジェはそんな彼をにこにこ見守っている。
あれ? 怒ってるわけじゃない?
「グノーは心配してくれるのは嬉しいんだもんね。素直じゃない」
「なっ! そんな事ねぇし! こんな奴嫌いだし」
あぁ、こっちのライフが削られるのでやめてください、人に嫌われるの慣れてないんです。
「あぁ、もう! とりあえずもう一戦! これで終わりだなんて言わねぇだろ?」
「え? そんな事は言いませんよ。私なんかで相手になるならいくらでも」
「それは楽しみ。もっと俺を楽しませてくれよ」
彼の口元がまた弧を描く。
あぁ、さして怒っていた訳ではなかったのか。口が悪いので、どうにも怒っているように感じてしまうが、その辺の機微はまだアジェの方がよく分かっている。彼が笑っているという事は、きっとまだ大丈夫だ。
「では、もう一戦お願いします」
再び二人は剣を交える。それはあと一戦あと一戦とグノーが飽きるまで続けられ、その日は一日それに費やされてしまった。
だが、余程満足したのかその日のグノーは上機嫌で、そんな彼の姿を眺めてはナダールは瞳を細めた。
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