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運命は廻る③
あの外出から数日、稽古場をえらく気に入ったグノーは一人でだったり、またはナダールを誘って躍るように剣を振り回していた。アジェはそんな二人の姿をにこにこと眺めている。そこへ最近では騎士団入りたてのナダールの二番目の弟も加わり賑やかなものだ。
「マルク、お前は少し無駄な動きが多すぎる」
ナダールはそう苦言を呈しながら稽古に付き合ってやっているのだが、弟はあまり稽古に熱心ではない。
アジェと同い年の弟マルクは最近もっぱら年上の彼女との逢瀬で忙しい。今日は彼女に予定があった為、仕方なく稽古をしているとそんな感じだ。
マルクはβだ。もちろん家族にαもΩもいるのでその辺の事は分かっているが、弟はアジェやグノーがΩである事にも気付いてはいないようだった。
「一兄は彼女とか作んないの? 次兄もそうだけど、仕事ばっかでつまんなくね?」
「お前は最近たるみ過ぎだ、彼女もいいがもう少し騎士団員としての自覚を持ってだな……」
畳み掛けるように小言を漏らすも、弟はどこ吹く風で聞く耳を持たない。アジェはそんな私達を見てまたくすくす笑っている。
「ナダールさん、すごく『お兄ちゃん』って感じ」
「まぁ、一応長男ですからね」
「なぁなぁ、アジェは郷に彼女とか居ないの?」
弟の不躾な質問にアジェは困ったような笑みを浮かべる。
「マルク、そういうプライベートな話はそう軽々しく聞くものじゃない」
「え~これくらい普通だろ? そんな堅いこと言ってるから一兄はいつまでたっても彼女の一人もできないんだよ」
「私のことは放っておいてくれ……」
「ふふふ、可笑しい。マルクは本当に彼女さんの事が大好きなんだね。どんな人?」
「え? 聞きたい? 聞きたい? 仕方ないなぁ~」
アジェは綺麗に会話の流れを変えていく、こういうコミュニケーションが彼は本当に上手いと思う。言いたくない事は綺麗に受け流し、笑顔で相手に不快を与えない会話を紡いでいく。
喧嘩っ早いグノーと上手くやっていけているのはアジェのこの気質が大いに発揮された結果にもみえた。彼はどんな退屈な会話でも、それは楽しそうにうんうんと聞いてくれる、それは恐らく悩み相談でも同じだろう、無駄な言葉は発せず相手の欲しい言葉を探っていくのがとても上手い。
自分も見習わなければ、とナダールは思う。
「なぁナダール、今日ちょっと買い物付き合ってくんねぇ?」
グノーが稽古の手を休めてそう言ってくる。
「何か御入用ですか?」
「うん、そろそろ薬の予備が欲しい。有るんだよな? バース用の薬屋」
「ええ、有りますよ。でも薬はまだ有るんじゃなかったですか?」
「ブラックに貰ったのはヒートの緩和剤だ。今欲しいのは普段の匂いを押さえる方の抑制剤。こっちは割と安価で出回ってるからランティスにもあると思うんだけど?」
妹はまだ幼くフェロモンの発散などはしていない、そんな薬もあるのだと初めて知った。自分もΩに関しては知らないことばかりなのだな、と改めて思う。
「そういった薬があるのかはよく分かりませんが、薬屋にはご案内できますよ」
「じゃあ頼む」
「アジェ君も一緒に行きますか?」
「え? どこへ?」
マルクと盛り上がっていたアジェは話を聞いていなかったのか首を傾げる。そんなアジェを離そうとしないマルクにアジェは少し苦笑して自分はここでマルクと一緒に居るから行ってきていいよと二人に告げた
他愛もない会話をしながら二人は大通りを歩いていく。今日のグノーは機嫌がいい、時々塞ぎがちな姿も見かけるが今日は会話も弾んでいるような気がしてほっとする。
商店の並ぶ大通りの途中、賑やかな店構えの薬屋が一軒、ナダールはその正面ではなく脇にある小路へと入っていった。
「ん? ここじゃないのか?」
「あぁ、表は普通の薬屋なので、バース専門の薬は裏で商っているんですよ。中には性別を知られたくない人達もいるのでしょうね」
αは人に尊敬されこそすれ、蔑まれる事などないが、Ωは違う。多分それはΩ種の人間への配慮なのだろうと思われた。
いかにも裏口と言った感じの木戸を叩くと、中から「どうぞ」と声がする。ナダールが勝手知ったる様子でその扉を開けると、中はいたって普通の薬屋だ。
「いらっしゃい。あれ? 珍しい、何買いに来たの?」
店の中にいた店員はそう気さくに声を掛けてくる。丸い眼鏡にひょろりとした身長の青年のその姿にナダールは驚いた。
「カイル、ここに居るなんて珍しいですね」
「ん~? ちょっと野暮用で帰ってきたら親父に捕まって店番中。ナダールこそこっちの店に来るなんて珍しいんじゃない?」
カイルと呼ばれた青年はそう言ってナダールを見上げた。
髪の色はナダールと同じ黄金色だ。ここランティスでは金髪はさして珍しくもない、だが彼のその髪は少しクセが強いのかふわふわとうねっていて、それをひとつに括っているのだが纏まりきらず彼の印象を華やかにさせていた。
彼は栗色の瞳を細めて丸眼鏡の向こう側で猫のように笑う。
「今日はお客さんを連れて来ました、Ω用の抑制剤ってありますか?」
「Ω用? 妹ちゃん用じゃなくて? え? もしかして恋人?」
俄然興味が湧いたという様子でカイルはナダールにからかうような笑みを見せ、そしてその後ろに隠れるように立つグノーを見やった。
「恋人ではありませんよ、期待に添えなくて申し訳ないです」
「なんだ違うのか、残念」
それでも彼の瞳は丸眼鏡の向こうでにこにこと笑っている。にこにこと言うよりはにやにやかもしれないが、そこはあえて無視を決め込む。
「彼は幼なじみなんですが普段は王宮で働いているんですよ。頭は良いんですが、少々変わり者で……」
「ナダール聞こえてるよ」
カイルはナダールの言葉を聞きとがめて、だが笑みは絶やさずグノーに向き直る。
「こんにちは、お客さん。僕の名前はカイル・リングス、ここ『リングス薬局』の跡取りさ。とは言っても僕はどちらかと言うと研究家肌で、商売よりも薬の研究をしたい方でね、正直商売はやりたくないのが本音だよ」
「ちなみにマルクの彼女のお兄さんでもあります」
「ナディアとマルクが結婚したら晴れて親戚だな。その時にはぜひ騎士団の力で僕に研究室を設けてくれたら嬉しいんだけどね」
無茶言わないで下さいよ……とナダールは溜息を吐く。
「それでΩの薬が欲しいって言うのは君かい? 誰用? 服用者の年齢、あと身長、体重を教えてくれる?」
「あん? そんなの今まで聞かれたことなかったぞ?」
「薬を舐めちゃいけないよ、子供に大人用の薬を飲ませちゃ駄目なように、薬には適量って物が有るんだ、過剰摂取すれば副作用だって出やすいし、効果が薄れる場合だってある、そこの所は大事だからちゃんと覚えておいて!」
「ちっ、面倒くさいな」
グノーが舌打ちするのをナダールは困ったように見やる。
「少し面倒かもしれませんが、自分の身体の為には大事なことですよ。こういう物は毒にも薬にもなることが多いですからね」
ナダールの言葉にグノーはひとつ溜息を落とした。
「年齢はたぶん二十三、身長体重は知らね、測ったことねぇもん。今、見て判断してくれ。アジェの分も用意してやりたかったんだけど、アジェも連れてこなきゃ駄目だったかな」
「あれ? これお兄さん用? 君Ωなの? αの匂いぷんぷんさせてるからてっきりαなのかと思った」
「この匂いはお守りの匂いですよ、一種の匂い付けですね」
「へぇ、凄いね。直接匂い付けされてる人はたくさん居るけど、お守り? そんなの初めて聞いた」
「私も初めて見ましたよ。でもこのお守りの人だからできる技であって、普通のαじゃこんなお守り作れないと思いますけどね」
「間違いない」
カイルは興味深げに笑う。
「カイルはβなんですがバース性のフェロモンが分かるんです。なので研究者としても優秀でこういった抑制剤の開発も手がけてくれているんですよ」
ナダールはグノーに説明する。そう、彼はβなのだ。最初にこの店に来てなんの薫りもしない彼にα性を当てられた時には驚いたものだ。だが、彼はその特技を生かしてバース性の薬の研究開発に努めてくれる貴重な存在だった。
カイルは「それちょっと興味あるなぁ~」とグノーの顔を覗き込もうとしたが、無視されて苦笑っていた。
「それにしても男性Ωって珍しいね、僕会うのはじめてかも」
「カイルでもそうなんですか? やはり珍しいんですね」
「なぁ、そんな話どうでもいいから、薬!」
苛立ったようにグノーは怒鳴る。珍しいものを見たとでも言うようなカイルの言動に少し腹を立てているのかもしれない。
「あぁ、ごめんごめん。フェロモンの抑制剤だよね、今準備する」
「あ、そうだ、カイルこれなんですけど」
言ってナダールは懐からハンカチを取り出した。それはグノーに貰ったヒートの緩和剤だ。
「コレ何? 何の薬?」
「Ωのヒートの緩和剤だそうですよ。この店には置いてないですよね?」
「ヒートの緩和剤? そんなの有るんだ? いいね、どこで手に入れたの?」
「出所ははっきりしないんですが、よく効くらしいので今後の研究に役立てばと思って。妹の発情期が始まる前にこの薬が手に入るようになればと思ったのですけど、分析ってできますか?」
「うん、できると思うよ。っていうか、させて! これはいい薬だ!!」
研究大好きなカイルは満面の笑みでそれを受け取る。今にも小躍りし始めそうな勢いだ。
「もう、どうでもいいけど薬! 早くして!!」
「はいよ、ただいま!」
カイルは奥に一度引っ込むと手に袋を抱えて戻ってきた。
「どのくらいいるの? 使用期限もあるからあんまりたくさんは処方できないよ」
「じゃあ半年分くらい、いける?」
「半年かぁ。せめて三ヶ月分かな、ヒートの周期に合わせた方が薬の効きはいいんだ。最後のヒートはいつ?」
「一ヶ月くらい前」
「じゃあ、これだけ。またヒートが終わったら来て、そしたら次の渡すから」
「今までそんな事言われたことなかったぞ?」
「うちは安心安全がモットーのリングス薬局だからね、お客様の身体に配慮した量しか処方しないのもお客様を思えばこそ。特にΩは薬が合わないと、ただでさえ短命なのに更に命を削りかねない、それは安心安全が売りのうちの店にはそぐわないからね」
グノーがまたちっと舌打ちをしたのが微かに聞こえた。
「あとこれ、ナダールにあげる」
言ってカイルはナダールに小さな袋をくれた。
「なんですかこれ? 私、今日は何も頼んでないですよね?」
「いい薬くれたから、お礼だよ」
「え……でも、なんの薬です?」
カイルは耳を貸して、とナダールの耳元にそっと口を寄せる。
「Ω用の避妊薬、もしヒート起こしたΩ相手にヤっちゃっても、七十二時間以内にこれ飲ませれば妊娠しないからお守り代わりに、あ・げ・る」
「ちょ?! はぁ!? いりませんよそんなの!! 私そんな事しませんから!」
まぁまぁ、と笑ってカイルは返そうとするその袋をナダールに押し付けた。
彼は笑って手を振る、全く何を考えているのかまるで分からない。ナダールは昔からこの幼なじみには少々思う所があるのだ。
薬の実験体にされたのも一度や二度では済まないし、それが同意の上でならまだしも、いつも事後承諾で散々な目に合わされてきているナダールはその薬が胡散臭くて仕方がなかった。
「それなんだったんだ?」
「なんでもないですよ……」
グノーに尋ねられるも、素直に言えるわけもなく、ナダールは言葉を濁した。
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