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運命は廻る⑤
その晩、父が久しぶりに自宅に帰ってきた。ここの所、アジェの事やエリオット王子の誕生パーティの警護の準備で大忙しの父ギマールは疲労困憊という表情だ。
「おかえりなさい、大丈夫ですか?」
「あぁ、ナダールか。大丈夫だ、それよりもお前達の方は何事もなかったか?」
父は疲れたように目頭を揉む。
「こちらはまったく。毎日二人とも呑気に過していますよ」
「なら良かった。実を言うとな、国王陛下と話が付いた。アジェは彼の言う通りエリオット王子の双子の弟で間違いないそうだ。ただ、今しばらくはまだ彼を陛下に会わせる事はできない」
「何故ですか? 国王陛下は自分の子供に会いたくはないのですか?」
問い詰めるようにナダールが言うと父はひとつ溜息を落とす。
「どうやら城の内部に王家の人間の命を狙っている輩がいるらしい」
「え?」
「私もアジェの身元を調べる上で逆に疑われて散々な目に遭った」
「騎士団長である父さんがですか? そんな事ってあるんですか? 仮にも騎士団のトップじゃないですか、それを疑うなんて……」
そんなまさかと疑いの言葉を向けるナダールに父は声を落とす。
「それくらい内部に間者が潜んでいるという事だよ。陛下も今は誰を信じていいのか分からないと零していた。アジェはこちらで大事に保護している事を伝えたら、無事な事をとても喜んでいた。どうやら彼の言っていた事件以来、彼の消息を陛下は掴めていなかったようでな、安心したとそう安堵しておられたよ」
「ならすぐにでも面会すればいいのに」
「そう簡単にいかないのはお前も分かっているだろう? 今は目の前の仕事の方が大事だ。王子の誕生パーティにはファルスからも客人が来る。粗相があっては困るのだよ、国の恥部を客人に晒すわけにはいくまい?」
城の中で間者が闊歩しているなど信じられないが、それが事実だとしたらそんな事を他国に知られるのは確かにまずい。ファルスはメリアと違い同盟国だが、それでもランティス王家は内部でよく分からない陰謀が起ころうとしている内政不安な国と思われるのは得策ではない。
「すでに伝わっていると思うが、当日はお前にも客人警護にあたってもらう。何事もなければいいのだがな」
ギマールは疲れたようにそう言った。父には騎士団長として他にも考えなければならない事がいくらでもあるのだろう。ナダールはこれ以上父を煩わせる訳にはいかないな、と父の書斎を後にした。
父の書斎を出て中庭を通りかかると、月光の下グノーがまた踊るように剣を振るっていた。ナダールはそれを魅入られたように無言で見やる。
彼のその姿は美しい、動きのひとつひとつに無駄がなく軽やかだ。剣の稽古のはずなのに、それはまるで剣舞を舞うようで、ナダールはそれにいつも見惚れてしまうのだ。
「っ、はぁ~」
ひとつ息を吐く彼の姿に我に返る。今日の彼はいつもと違ってフードで髪を隠していない、もう日も暮れているし、彼の赤髪を知らぬ者もいない家の中だ、警戒もしていないのだろうその姿は普段と違ってとても無防備に思えた。
「もうその辺でやめておいたら如何ですか?」
そう声を掛けると驚いたように彼はこちらを見やった。
「なんだよ、居るなら居るって言えよな」
彼は顎に流れた汗を拭う。
「気付きませんでしたか? 私の匂いは分かりやすいのでしょう?」
「この家の中じゃどこもかしこもお前の匂いが充満してて、どこに居るかなんて逆に分かんねぇよ。四六時中付き纏われてるみたいで胸糞悪い」
「酷い言い草ですね」
ナダールは庭に下りてグノーに近付く。彼はなんだよ? と威嚇はしたが逃げはしなかった。
「これ、前髪長すぎやしませんか? ちゃんと見えているのですか?」
おもむろに前髪を一房すくって持ち上げる。いつも彼の表情を隠してしまうその髪が、正直邪魔で仕方ないだろうにとナダールは思っていたのだ。
突然の行動に驚いたのか、彼は動かない。初めてその瞳を覗き込んで、彼の瞳が髪と同じ燃えるような紅色なのだと知る。
彼の顔がかっと赤く染まるのが分かった、だがその瞬間、ナダールの手は振り払われていた。
「触んな!!」
ふわりと甘い薫りが鼻をくすぐる。汗とフェロモンが入り混じった彼だけの匂いだ。ナダールは瞬時に理解する、この匂いだ、やはり間違っていなかった。
「どうして? あなたも分かっているはずでしょう?」
グノーは距離をとるように後ろに跳び退った。
「俺は何も知らねぇよ。お前が何を言ってるのか分からない」
その言葉は分かっていると肯定しているようなものなのに、彼は頑なに首を振る。
匂いはどんどん強くなっていく、間違えようもなく甘いΩの薫り。それは彼の持つお守りの匂いすらも覆い尽くす勢いでどんどんと強く濃くなっていく。
ナダールは一歩踏み出して彼のその腕を掴んだ。
「何故ですか? 分からない訳がない。この匂いはこんなにも私を誘惑するのに、何故あなたはそれを否定するのですか?」
「離せ」
「嫌です。私は分からない。あなたは私の『運命』だ、なのにあなたはどうしてそれを認めようとしないのですか?」
「運命なんてものは存在しない。お前のそれはΩの匂いに誘発されて血迷ってるだけだ、離せ」
「離しません」
その腕を離してはいけないと本能が訴えてきている。言う事を聞く気がないと悟ったのか、彼は力ずくでその腕を離そうとするのだが、こっちは現役の騎士団員だ、そう易々と離してやるつもりもない。
「この馬鹿力!!」
「あなたも認めてしまえば楽になれますよ」
いつもは抑えているフェロモンを降り注ぐように彼に浴びせると、彼がくぐもった悲鳴をあげて弱々しく抵抗を見せた。
「お前達のそういう所が嫌いなんだよ!!」
他のαと同じに並べられるなど心外も甚だしい、あなたは私の唯一なのに自分は誰と重ね合わせられているのだろう。胃の奥がちりっと焼けるような熱さに、腕の力を強めた。
「嫌だ、やめてくれ……怖い」
「怖がることなど何もしませんよ、あなたが嫌なら抱くこともしない。私はただあなたに認めて欲しいだけです。私をあなたの『運命』だと認めてください」
それでも彼は頑なに首を横に振る。汗なのか涙なのか分からない雫が月光に反射してはらはらと散るのが分かる。
「何故ですか?! 私には分からない、どうしてそんなに私たちの関係を否定するのですか?! まだ始まってもいないのに否定するのは何故ですか!!」
「言う……言うから……離して」
お願い、ともう完全に涙声になってしまった彼の声に我に返って手を離した。思いの外強く握りすぎていたのだろう、彼の手首には月明かりでも分かるほどに痣が浮かび上がっていて、ナダールは己の行いに眉をしかめた。
余裕がなさ過ぎる、これでは怖がらせてしまうのも無理はない。
「すみません、強く握りすぎました」
彼は黙ってその痣を撫でる。その手首は驚くほどに細くて目を奪われた。
沈黙が落ちる、辺りは自分の匂いと彼の匂いが入り混じって甘酸っぱいような良い匂いが覆い尽くしている。
「ナダール、俺はお前の番にはなれない」
「何故なのか、理由を教えてください」
見て、と彼は自分の身体を覆う少し大きめのシャツに手をかけると、その首元を引いた。
いつも隠されている細い首元には黒いシンプルなチョーカー。だが、それは月光に照らされ光輝いて見えるので、何か宝石でも埋め込まれているのかもしれない。
Ωは行為の最中にαに項を噛まれてしまうと否が応にも番にされてしまう、それはΩには拒否する権利もなく、番を持たないΩが自衛の為にこうして項を隠すのはとても一般的な事だった。
「チョーカー、ですね」
「これ、外せないんだ」
彼の言葉にナダールはそれをもう一度見やる。それは本当に非常にシンプルな物で、簡単に取り外し出来そうな外観をしているのだが、それができないとグノーは力なく首を振った。
「見せていただいてもいいですか?」
グノーは素直に頷いてその首元を晒す。それはとても蟲惑的で、すぐにでも項に噛み付いてしまいたい衝動に駆られるが、そのチョーカーがそれを阻む。
ぱっと見た感じは布で出来ているのかと思われたそのチョーカーは、触ると少し硬質で何か金属が織り込まれていることはすぐに分かった。
「これ、外す鍵はあるんですよね?」
「ある、けど俺は持ってない」
ナダールのその質問に彼は小さく首を振った。現在そのチョーカーを外す術を彼は持っていないとそう言った。
「これは首輪なんだ。俺が誰とも番えないように着けられてる」
「それは一体誰に?」
言いたくないのか、彼は口を閉ざす。
「私を『運命』と認めないのはこのチョーカーのせいですか?」
「番になれないなら『運命』なんて有っても無くても同じだろ」
「私は番になる為だけにあなたを求めている訳ではありません」
「番にならない『運命』ってなんなんだよ。Ωは子を産んでなんぼだろ、番にならなきゃ男性Ωは子供も生めない。役立たずなんだよ、家畜以下だ」
「番にならなくても子供は生めますよ?」
ナダールの言葉にグノーは「え?」と驚いたように顔を上げた。
「私も調べたんです、男性Ωは珍しいですし護衛にあたるからには自分も含め、あなた方に危害を加えてはいけませんからね。男性Ωも女性Ω同様αと性交してしまえば妊娠します。ただ男性Ωは女性Ωに比べて妊娠しにくいのは事実みたいです」
「そんな……嘘だ。じゃあ、なんで? なんで俺には子供が出来ないんだ?」
「αと性交をした事があるのですか?」
「あるさ、それも馬鹿みたいに五年間、監禁されていたぶられ続けた。それでも子供ができないのは番になってないからだって、あいつはそう……」
「あいつ?」
はっとしたようにグノーは顔を伏せた。
「聞かせてはくれませんか? あなたの過去を私は知りたい」
グノーは力なく首を振る。
「思い出したくなんか、ねぇんだよ。それよりも、お前の匂いが強すぎてくらくらする、どうにかしろ」
「なんでしょうね、さっきから抑えようとしてるんですけど抑えられないのです。あなたも同じでしょう?」
ぐっとグノーは言葉に詰まった。
「身体が熱くてたまらないんだよ、ヒートの時期はまだ先なはずなのに、どうにもなんねぇ。お前のせいだ」
「私の?」
「お前が無闇に俺に近付くから!!」
「こんなに良い匂いさせてる人に近付くなって言う方が酷な話でしょう?」
「そこは理性で抑えろよ!」
「抑えた結果が今ですよ! 極力気にしない方向で頑張っていたんですけど箍が外れてしまったみたいです」
二人は無言で見つめ合う。そして唇が重なるのにそう時間はかからなかった。
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