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運命との旅立ち⑤

 ナダールは客室塔へと向かっていた。自分の警護予定の要人はファルスからの使者だった。王子の誕生日会だ、他国にも招待状はばら撒かれ、それに応じた使者が次々と城に到着していた。 「本日は我がランティス王国にお越しいただき誠にありがとうございます。私、お二人の警護を務めさせていただくナダール・デルクマンと申します。御用の折にはなんなりとお申し付けください」  頭をさげた先、佇むのはファルスからの使者。一人は人形のように整った顔立ちの無表情な青年、もう一人は自分と同じ金の髪を揺らす少年というには大人びてはいるが、青年というにはまだ幼さの残る男がこちらを睨むように見ていた。 「ありがとうございます。私はファルス国王陛下の代理で参りましたクロード・マイラーと申します。こちらは配下のエドワード。短い期間ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」  無表情な青年は無表情なままそう自己紹介をする。あまりにも無表情な上、顔の造作が整い過ぎていてまるで人形が立って歩いているような錯覚すら覚えるくらいにクロードは本当に凄みのある美形だった。  一方エドワードと呼ばれた配下の少年はずっとこちらを睨んだままうんともすんとも言わない。  だがナダールは彼の匂いに覚えがあった。彼らは二人ともαだったが、エドワードと呼ばれた少年の匂いはつい最近嗅いだ事のある匂いだ。自分の物に手を出すな! と威嚇するそれは、アジェの守りのαの匂い。 「もしかして、あなたエディ君ですか?」  失礼などと考える前に口が滑った。  あ? と少年は更にこちらを睨みつける。 「確かに私は親しい者にはエディと呼ばれていますが、あなたが何故それを?」 「いえ、違っていたら申し訳ないのですけど、もしかしてあなたカルネ領主様のご子息ではないですか?」 「それは……まぁ、今はカルネを名乗っている。エドワード・R・カルネ、それがどうかしましたか?」 「あぁ、ではやはりあなたがアジェ君の……」 「あんたアジェを知っているのか!!」 「はい、今彼は我が家にいますよ」  何の気もなしに言ったナダールの言葉にエディが怒りを露に詰め寄ってきて胸倉を掴まれた。 「アジェに手を出したのか!?」 「は? え? ちょ……誤解です!! 私は何も……」 「エディおやめなさい!」  クロードの一喝に少年の動きが止まった。クロードはつかつかとこちらに歩み寄り、ナダールを掴んだエディのその腕を捻り上げる。 「部下が大変失礼を致しました。きっちり躾けておくのでここは穏便にお願いいたします」 「え? はい、それはいいのですけど……」  アジェの『運命』であろう「エディ」君はどうにもアジェから聞いていたイメージと違いすぎて驚いた。アジェから聞いている彼のイメージはもっと穏やかな貴公子然とした印象だったのだが、実際の彼はずいぶんと気が短そうだ。 「ところで、何故アジェ様はあなたの家にいらっしゃるのですか?」  クロードは暴れるエドワード少年の手を放すとこちらに向き直る。 「ええと、彼は私の従兄弟なんです。私の父はギマール・デルクマン、カルネ領主様の奥様がその妹で私の叔母になります」 「あぁ、なるほど。ではあなたはエディの従兄弟でもあるという事ですね。エディ、非礼を詫びてちゃんとご挨拶なさい」  クロードはエドワードに向き直るが、彼は拗ねたようにそっぽを向いてしまった。クロードは彼を配下の者と言っていたが、それはどうにも上司に対する態度には見えず、この二人は一体どういう関係なのだろうかと首を傾げた。 「重ね重ね申し訳ございません。どうにも彼は気が立っていて……もしよろしければもう少しアジェ様のことをお聞きしたいのですが、よろしいですか?」  構いませんよとナダールは頷く。 「今彼はあなたの家に居るという事ですが、お一人ですか?」 「いえ、グノーが一緒にいますよ。今日は家で留守番をして貰っていますが、事情は聞いているので常には私が護衛についています」 「あぁ、事情も知っているのですね。でしたら話は早い、できれば彼をこのままファルスに連れ帰りたいのですが、それは可能ですか?」 「それはアジェ君が帰りたいと言えば全く問題はありませんが、彼、帰る気はないような事言っていましたよ?」  エドワード少年がこちらを向いて「なんで!?」と叫ぶ。 「それは私に言われてましても、彼にも色々思うところがあるようだ、としか」  アジェはこの目の前の少年、アジェの『運命』から逃げてきたと言っていた。だが、彼はそれに対して全く納得はしていないようだった。  その時、風に乗ってふわりと甘い匂いが薫った。グノーの物とは違って儚げな甘さの薫りに胸がざわついた。Ωがいる。その薫りにエドワード少年が反応した。 「アジェだ!!」  ばっと彼が窓に駆け寄り辺りを見回す。客室塔は庭に面している、自分達がいるのは三階で一番景色のよく見える部屋だった。 「この匂い、アジェ君ですか? これヒートを起こしているのでは……」 「くそっ!」  言った言葉と同時にエドワード少年は窓枠を飛び越え、宙を舞っていた。 「え? は!?」  ここは三階だ、そんな所から飛び降りたら怪我で済むわけがない。慌てて窓に駆け寄って下を見ると彼は華麗に着地を決めて駆け出す所だった。 「信じられない」 「本当に重ね重ね申し訳ない……捕まえてきます」  クロードは無表情の中に哀愁を漂わせ踵を返した。 自分達は常人だ、こんな所から飛び降りて彼を追いかける事なんてできやしない、普通に階段を駆け下りて彼の後を追う。  庭に下りるとどこからか人の声がした。大勢の人間が叫ぶ声、何かがあったのだとすぐに分かった。  通りがかった侍女に声をかけるとどうやら侵入者があったようだと眉をひそめて言われた。エドワード少年はあの薫りをアジェだと言った。ならば侵入者はアジェに間違いない。  なんて事を……と溜息が漏れる。しかもこのタイミングでヒートなど起こしてしまえばどうなってしまうか分からない。 「恐らくこっちですね」  クロードも甘い匂いを辿っているのか、庭の奥へと目を向ける。 「ちなみにクロードさんは番の方はいらっしゃるんですか?」 「残念な事にまだおりません」 「抑制剤、いりますか?」 「助かります」  薬を嚥下し二人は匂いを辿る。王宮の庭は広い、更にはいざという時には逃げ道にもなるため、造園の配置は複雑に迷路のような造りになっていてなかなか彼等を見付ける事ができない。  その時またふわりと匂いが薫る。もしかしてとは思っていたのだ、アジェがいるのなら、恐らく彼も居るのだろうなぁ、と。悪い予感は得てして当たりやすい。  自分がグノーの匂いを嗅ぎ分けられない訳がない。 「クロードさん、こっちです」  アジェの匂いより『運命』であるグノーの匂いの方が自分にははっきりと感じられる。垣根を無理やり越えて、飛び出すと、果たしてそこには少女の手を引きこちらに駆けてくるグノーの姿が見えた。 「俺の変わりに死んでくれない?」  グノーがアジェを見付けた時、室内に居たのはアジェ一人ではなかった。アジェはナディアのふりをして城に入り、マルクと共にカイルの元へ、そしてそこからカイルの手引きで王子と会う予定だった。  アジェが居たのはカイルの王宮内に用意された私室だ。会わせてあげると簡単に言われはしたが、それでもそんなに簡単に会えるとはアジェもグノーも思ってはいなかった。  元々その私室が面会場所になる可能性が高かったので、グノーは言われた通りのその場所へ乗り込んだ訳だが、そこで聞こえてきたのが上記のセリフだ。  声はカイルの物ではなかった。室内にはアジェとその声の主以外の気配は感じない。そしてその声はアジェの声によく似ていた。 「な……んで?」 「一度は捨てられて殺されてるはずだった命だろ? 今生きてるんだったら、そのくらいの役に立ってもいいと思わない?」  アジェが言葉も出せず立ち竦んでいるのが分かる。 一緒に居るのはおそらくエリオット王子。 「こんなに似てるんだもん、誰も気付かない。王家の役に立てると思えば安いものだろ? 弟は兄の言う事をきくものだ、そうだろ?」  声の主が楽しげに、アジェに近付いていく気配がする。  あぁ、αのこれは威圧する為の…… 「……っざけんな!」  グノーは室内に飛び込み、アジェの前に立ち塞がった。 「あぁ、なんか匂うと思ったら、誰? そんなαの匂い撒き散らかして、侵入者にしては大胆だね」 「お前に名乗るような名はねぇよ」  エリオット王子の容姿は本当にアジェとそっくりだった。背格好はもちろん、髪の色、瞳の色もそっくり同じ。ただ、アジェはいつもニコニコと笑顔で人好きがするのに対して、彼は傲慢を絵に描いたような不遜な表情をしている。造りが似ていてもまるで別人なのは一目瞭然だった。 「一対二じゃ分が悪いかな」  彼はそれでも不遜な表情を崩さない。アジェが背後で怯えているのが伝わってくる。 「アジェ行こう、もうここに用はないな?」  アジェはそれでも信じていた、親は自分を捨てたくて捨てた訳ではないのだと。  エリオット王子もずっと似ていると言われ続け、会ってみれば歓迎はされずとも、存在くらいは認めてくれるのではないかとそう旅の道すがらグノーに話してくれていたのだ。  だが、今目の前にいる王子は、アジェの双子の兄は彼に死んでくれとそう言った。 『兄は弟の言う事をきくものだ』  先に生まれたから何だというのだ、兄はそんなに偉いのか? 弟には生きる資格すらないとそう言いたいのか!? 「グノー……どうしよう身体熱い」  背後のアジェからか細い声が聞こえた。バース性のフェロモンは感情に左右されやすい、αが怒れば強大に広がり他者を威圧するし、Ωが危機に瀕すればαを誘惑して身を守ろうとする。 「こんな時に……」  ある程度その辺は慣れてしまえばコントロールもできるようになるが、アジェは元々フェロモンのコントロールが得意ではない。自分で感知もほとんどできないし、逆に言えば他者のフェロモンには左右されにくいのだが、心の動揺に身体が勝手に反応してしまったのだろう。 「行こう」  グノーはアジェの手を引いた。 「侵入者が何を言ってるのかな? 帰すわけないだろ?」  王子は酷薄に微笑んだ。アジェの笑みとはとても似ても似つかない。 「お前みたいなガキに何ができる?」 「分かってないなぁ、ここ城の中だよ? 俺のホーム、君はアウェー」  おもむろに王子は叫ぶ「不審者がいるよ!! 誰か来て!」  ちっと舌打ちして、部屋を見渡す。おそらく扉の向こうはもう駄目だ、何人もの足音が聞こえてきてる。 「さぁ、どうする?」  王子は余裕の笑みを浮かべている。グノーはアジェを抱えて窓から外へ飛び出した。

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