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運命との旅立ち⑥

 たくさんの人の声が聞こえる。あっちだ、こっちだと叫ぶ声を避けるように駆け抜ける。やはり王宮というべきかあちこちからαの匂いがする。 「グノーごめん、どうしよう……どんどん身体熱くなってく」  甘い匂いが辺りを漂い始める。ヤバイ、これは本格的にヒートがきてる。 「これ飲んで」  薬は自分の物だがそれをアジェに押し付けた。  容量用法? 知ったことか。このままではヤバイ。アジェがなんとか薬を飲み下すのを確認して、またその手を取って駆け出した。たくさんのαの匂い、あっちからもこっちからも、どっちに行けばいい?  その時、感じたひとつの薫りにそちらを目がけて駆け出した。どうにかなるかはもう賭けでしかなかったが、グノーはその方向にナダールがいると確信していた。 「見付けた!!」  ナダールが見付けたのはグノー、自分はアジェを探していたはずでこれは良いのか悪いのか。というか、その娘さん誰ですか?! なんで手を引っ張って一緒に走ってるんですか?! 浮気ですか?! 浮気は許しませんよ!! 「あれが噂のアジェ様ですか?」  ひとり心の中が大騒ぎなナダールの脇から冷静な声が問うてくる。クロードはこんな時でも冷静だ。 「いえ、違います。ひとりはアジェ君の連れなんですけど、もう一人の女の子の方は……」  言いかけた時、別の方角から金色の光が飛び出してきた。 「アジェ!!」  叫びに駆けていた二人が立ち竦んだ。あれはエディ君……という事は、あの娘さんアジェ君なんでしょうか? 頭の処理能力がついていかずに思考停止してしまう。  また唐突に甘い薫りがふわっと広がり、はっと我に返る。  これはヤバイ、これは駄目ですよ、こんな所でヒートを起こされたら……そんな事を考えていると、グノーが手を引いていた少女がグノーの手をふりほどいて一直線に彼の胸に飛び込んで行くのが見てとれた。  それはスローモーションのようだったが実際には一瞬の出来事で、抱き止めた彼はそのまま少女の項に噛み付いて、再び唐突に甘い薫りは霧散した。 「え? 治……まった?」  それは人が番になる瞬間だった。本来ならばそれは性交の最中に行われる儀式のはずなのだが、そんな常識は知った事かと彼らは言っているようで、その光景から目が逸らせなかった。 「やはり、あれはアジェ様だったようですね。私、アジェ様は少年だとお伺いしていたのですが……」 「いえ、アジェ君は確かに男の子ですよ」 「私の見間違いでなければ、アジェ様が着ているのは侍女の制服のようですが?」 「それは、間違いないのですけどね」  クロードの声があまりにも冷静なので、自分も段々と頭が冷えてくる。警備の声が叫ぶのも段々と近付いて来ているのが分かって、この状況があまりよろしくないのも理解した。 「アジェ!」  グノーの声にはっとして、彼の方を見やれば彼は今にも消えてしまいそうな風体で、泣いているのか腕で顔をぐいっと拭った。 「これ、やる!」  言ってグノーは何かを彼に放り投げ、アジェは慌てたようにそれを受け取った。 「エディ! アジェは返したからな! 二度と離すなよっ!!」 「離しませんよ、言われなくても!」  そのエドワードの言葉に満足したようにひとつ頷くと彼は踵を返して駆け出した。それは来た方向へと一直線に、警備兵に突っ込んでいったのだ。 「ちょっと、グノー!!」  慌てて彼の後を追いかける。彼は挑発するように警備兵を嘲笑いながらその間をすり抜けていく。その動きは見事としか言いようがなく、翻弄されるがまま、城内は大混乱になっていった。  誰もその時一人の少年がファルスの使者に保護された事など気付きもしなかったのだから、それは彼の目論見どおりだったのだと思う。  そして彼は大暴れのまま城を飛び出し、ついでに街も飛び出していったのだ…… 「で、お前は何時まで俺についてくるつもりだ?」  その言葉はメルクードを離れてから一昼夜が経った頃だった。グノーはただ黙々と歩いていた。一刻も早くメルクードを離れなければとそう思ったのだ、自分が姿をくらませば追っ手は自分を追うだろう。少しでもアジェに対する追っ手の目が減るのならそれでいいと思って、闇雲に道を急いだ。 「何時まで、と言われましても、私あなたの護衛ですから」  ナダールはへらりと笑う。 「必要ない、っていうか今更護衛とか意味もないだろ! さっさと帰れ!!」 「嫌です」 「なんでだよ!」 「帰るのならあなたも一緒に、ですよ」  ナダールは笑みを返すのだが、グノーはそれに苛立ったように髪を掻き回す。 「帰れる訳ないだろ、馬鹿か。お前も見てたろ、どんだけ暴れまわって出てきたと思ってんだよ」 「大丈夫ですよ、その髪切りましょう。絶対ばれませんよ」 「それはお断りだ」  言い切って歩き出すと、やはり彼も付いてくる。 「お前、このままじゃ帰れなくなるぞ」 「何故ですか?」 「何故もくそもあるか、城に不審者、手引きしたのは誰だ? って話になった時、明らかに不自然に消えた騎士団員がいたら怪しまれるに決まってるだろうが!」 「あぁ、それは確かに」 「今ならまだ帰れる。不審者を追いかけたけど、まかれたとか言っておけば誤魔化せる」 「そんな簡単にいきますかね?」 「いくかどうかは分からねぇが、一緒にいるより幾分かマシ……」  その言葉にナダールはまたへらりと笑う。 「私のこと心配してくれてるんですか?」 「んなっ、別に心配とかじゃねぇよ! お前の家族には世話にもなったし、迷惑かけたくないだけだ!」 「照れなくてもいいんですよ?」  ふふふ、とナダールは含み笑う。 「お前のそういう所、嫌い」 「え、そんな……」  彼の考えている事がまるで分からない。自分はナダールの言う事をきかず城に不法侵入をした挙句、問題を起こして今こうして逃げている。説教をされて、連れ戻そうとするのが本来の彼の役目だろうに、ナダールはにこにことグノーの後を付いてくるのだ。まるで意味が分からない。 「グノーはどこに行く気なんですか?」 「別に、決めてない。あ……でも、お守りなくしたからな、一度ブラックの所……ってブラックそう言えばルーンにいねぇじゃん、どこにいるか分かんねぇ」  はたと気付いて途方に暮れる。お守りは匂いを辿られない為に逃亡途中に捨ててしまった。あれが無いとΩだとばれる可能性が格段に上がるのにと、ひとつ溜息を落とす。 「別に私がいるんですから、いらなくないですか?」 「本気で付いてくるつもりか?」 「それは、もちろん」  ナダールはこの状況にそぐわない満面の笑みだ。 「今までの経歴とか全部棒に振ることになるんだぞ?」 「最初からたいした経歴なんてないんで大丈夫ですよ」 「お前が大好きな食事もまともに出来なくなるかもしれないぞ、そもそも金が無い」 「そこは自分でやりくりするんで、気にしないで下さい」 「俺は面倒くさいぞ?」 「ふふ、知ってます」 「お前は本当に物好きだな」 「自分に素直なだけですよ」  のらりくらりと返事をかわされグノーは呆れる。  アジェがエディの腕に飛び込んだ瞬間、もうこの世は終わったと思った。結局自分の手には何も残らないのだと、何も掴めないまま、また一人で生きていくのだとそう思ったのに何故だかアジェの変わりににこにこと大きな番犬が付いて来た。 「分かった、でも一緒に旅をするからにはある程度のルールは必要だ」 「ルール、ですか?」 「俺はお前と恋人にも、番にも、なる気はない」 「え? そうなんですか?」  心底驚いたという顔をしているが、俺は最初からそう言っていたはずなんだがな。 「そうなんだよ、お前がもしその気でいるなら話はここまで、ここでお別れ」 「それは嫌です」  即答の応えに笑ってしまう。 「だったら無闇に俺に触るな。フェロモンでどうにかしようとか問題外だからな、そんな素振り一度でも見せたら速攻で関係解消だから」 「恋人でも番でもないなら一体なんの関係が解消されるのでしょう?」 「旅の連れ認定解消?」 「関係が希薄すぎて泣きそうです、せめて友人とか言ってください」 「友人……友人かぁ。俺さぁ、アジェに会うまで友達って一人もいなかったんだ」  なんだよ、そのやっぱり心底驚いたって顔。 「だから、友達がどんなモノか俺には分からない。お前はそれを俺に教えてくれる?」 「私でよければいくらでも」  彼はまたへにゃりと笑った。  悔しいけど、その顔好きなんだよ……絶対言わないけどな。 「じゃあ、よろしくな、相棒」 「いいですねソレ。ふふ、よろしくお願いします」  こうしてちぐはぐな二人の旅は始まった。だが、これはまだ、この後に起こる事件の幕開けに過ぎない事をこの時のグノーもナダールもまるで知るよしもなかった。  

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