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運命の交錯⑥
大方の話は纏まりナダールはひとつ溜息を吐く。
ファルスから来た二人の話を聞いていたら、何故か国をひとつ潰す話になっていました……なんて、そんな馬鹿な話あっていいものかと思わなくもないのだが、何故だか自分の最愛がそれは楽しそうに計画を練っていくので、とりあえず静観する事にしてみた。
無茶な計画を立てるようならその都度止めよう、と思っているのだが、思いのほか自分達の周りには優秀な人材が集まっていたとみえて、話はとんとん拍子に進んでいる。
「ナダール、この地図もう何枚か欲しいんだけど準備できる?」
部屋に資料や地図を広げてグノーは戦略を練っていく。部屋の隅で娘がぐずって泣けば慌てたように駆けて行くのだが、子育てと戦闘戦略が頭の中でどう処理されているのかその動きにはよどみがない。
育てる事と壊す事、相反する作業が同時進行で進められていくのはどうにも不思議な感覚だ。正気に戻って以降のグノーは本当に元気で、逆に少し不安になるくらいだった。
「ナダールさん、少し剣の稽古に付き合ってもらえますか?」
自分の従兄弟であるエディは剣を肩に担いでやってくる。
彼も謀略の計画に参加する事もあるのだが、彼が計画するよりグノーやクロードが考えた案の方がより緻密で実効性が高い物が多く、そちらの方からは早々に外されてしまった。
ついでに言うなら自分はそういった戦闘に関しての謀にはまったく精通しておらず、最初から戦力外通告を出されている。
エディと剣を交えること数度、彼の剣は多少の荒っぽさはあるが相当の手だれであることが分かる。はっきり言って自分ではたちうちできない程度に彼は強い。それでもなんとか彼の相手が出来ているのは、グノーの妊娠発覚以前に彼に散々しごかれていたからに他ならない。
スピード重視のグノーの剣技と、力技で押し切るタイプのエディではそれぞれタイプが異なるので、グノーの技を応用していけば自分にも多少の勝機があった。だが、それでも負けてしまう事がほとんどで自分の腕の悪さに悲しくなる。
グノーを守ると言いながら、これでは本当に守られるばかりで情けない。こんな事では男がすたると最近は以前に比べて剣の稽古を増やしていた。
そんなナダールを見て、エディは自分もとやってくるのだ。
そんな所に「それでは……」とクロードもやってきて、淡々と自分とエディを打ち負かしていくので本当に上には上がいるものだなぁ、と遠くを眺めてしまう。
グノーはそんな自分達を笑って見ている。
時々参戦してはクロードと互角の戦いを見せるので、ファルスの騎士団長と同等の強さというのはどうなのだろう……と考えてしまう。
元々Ωというのはαやβより劣っていると言われる事が多いのだが、グノーはその型に当て嵌まらない、むしろαである自分より優れた所が幾らもあって、定説などあてにならないものだなと思う。
グノーとクロードは何故だか仲がいい。幼い頃に会っていたという共通の思い出があるせいか打ち解けるのも早かった。
自分は散々にグノーに拒まれた過去があるので、それはなんだか少し心が妬ける。
その人、あなたが散々嫌っていたαですからね! と口から出かけるのだが、それが醜い嫉妬だと分かっているのでそこはぐっと堪えている。
彼には番ができたそうだし、人となりを見ていても真面目で誠実なのは見て取れるのでグノーとどうこうなる事はないと信じているが、それでも妬ける心は抑えきれず彼等が二人でいると無意識で寄って行ってしまう。器の小さい男だと思われていそうでとても心配だ。
そしてその四人の所に最近ちょこちょこ顔を出すのがルークとこの村で主にメリアの担当をしているという、やはり長老の孫であるカズイという名の青年だった。歳はナダールより幾つか上で、やはり彼もαだったのだが、番持ちの新婚さんだったのでなんとなく胸を撫で下ろした。
どうにも現在自分達の周りはαばかりで心配で仕方がない。
ルークをのぞき、それぞれ皆パートナーがいるのは分かっているのだが、現状番契約の出来ていないグノーの身が心配で仕方ないのだ。
「最近ちゃんと抑制剤飲みだしたから大丈夫」
とグノーは言い張るが、自分の近くにいる時の彼からはいつも甘い良い匂いがして、衝動的に「閉じ込めてしまいたい」と思うことが何度もあった。だがそれは彼の望む所ではないのも分かっているので、これもまたぐっと堪えるのだ。
「ルイは今日も可愛いなぁ」
そんな事を言いながら娘に頬ずりするグノー自身も可愛らしい。
夜泣きでぐずる娘にも嫌な顔ひとつせず付き合っている彼は本当に凄いと思う。
彼に言わせれば『泣いてる顔も可愛い』だそうだが、自分の睡眠がちゃんと取れているのかそちらの方が心配になる。
『妊娠中に寝だめしたから』と彼は言うが、実際問題そんな事できる訳もないのだから、また不眠にでもなっているのではないかと心配になる。やたらと元気だから余計にだ。
「私にも子守はできるのですから、少し横になってください。あなた昨夜もあまり寝てないでしょう?」
「ん? そんな事ないない。ちゃんと寝てるから心配すんな」
弧を描く口元、元気な口調、妊娠中と何も変わらないように見える、だが正気に戻ってからの彼にはどこか違和を感じている。ちゃんと食事もしているし、させているが元のように太る気配もない。
授乳中は食べても栄養がそちらにいってしまう事を考えれば不思議ではないのだが、もう少し血色が良くなってもいいと思うのだ。だが、触れる彼の顔色はくすんでいて肌はいつも冷えている。どうにも違和感を拭えない。
娘を取り上げ、彼の頭を片手で抱えるように抱きしめた。
「何か焦っているでしょう?」
「な……ちょ、離せ」
「抑制剤飲んでたって分かりますよ、あなたのフェロモンは感情の起伏が激しいですからね、何か隠し事してるでしょ?」
「隠し事なんて……」
本気で戸惑っている様子の彼に首を傾げる。
「それではあなた自身も気付いていないのですね」
「何が? もう、ホント離せ」
「嫌です。あなたは私達と今から昼寝です。問答無用」
「え? は? ちょっと、俺そんな時間ないってば!」
「小一時間くらい昼寝をするくらいの時間はあります、行きますよ」
抵抗する彼を無理やり引き摺るようにして部屋に連れ込みベッドに放り込む。その腕に娘を抱かせて更に自分も二人を抱え込むように抱き込めば、戸惑いながらもどこか安心した様子を見せるので、あぁこれで正解だ、と胸を撫で下ろした。
頭を撫でるようにして子守唄のひとつも唄ってやれば、そのうち二人揃って寝入ってしまうのでその寝顔を見て安心する。
彼は一体何を焦っているのだろう? 確かにアジェがメリアに連れて行かれてから既に数ヶ月が経過している。だがメリア担当のカズイからの情報によればアジェは比較的友好的に扱われていて、急いでどうこうなるほど切羽詰った様子ではない。
それでも彼がここまで何かを思い詰めているのだとしたらそれは恐らく兄であるメリア王の存在なのではないかと想像できる。まるで駄々っ子のような王様だ。自分の手に入らない物はないと思っている絶対王者。グノーは彼に怯えている?
グノーは国を潰すと言い切った。それはメリア王を殺すという事に他ならない。自分を支配し続けた独裁者、それから逃げ出したグノーはまだ彼に立ち向かった事は一度もないのだろう。
娘の為に自分はそれをしなければいけない、そう思っているだろう彼の心は手に取るように分かる。逃げるのならそれでもいいと言っているのに、彼は立ち向かう事を選択した。
彼らしいといえばとても彼らしい選択だが、こんなにグノーがグノー自身を追い込んでしまうのなら、そこは自分が目を光らせておかないとどんな行動に出るか分かったものではない。
眠る我が子と愛しい人、自分には一体何ができる? 彼は傍に居るだけでいいとそう言ったが、それだけで一体自分に何の価値がある? 守るだなんて大口を叩いておきながら結局守られているのは自分の方か? そんな事で自分はいいのか?
答えは否だ。
戦闘は好きではない、美味しい物を食べて平和に暮らせればそれでいい、とそう思って生きてきた、そんな自分がこんな運命に巻き込まれるなど去年の自分は想像もしていなかった。
それでも今は腕の中に守る者ができた。
自分は強くならなければいけない。グノーがナダールのおかげで自分は変われたとそう言うのなら、自分も彼の為に変わる時が「今」なのだ。
二人そっくりな赤い髪、撫でれば指からさらさらと零れ落ちる柔らかい髪。守れるだろうか自分に。
国をひとつ敵に回して二人を守り切れるだろうか。そんな事を考えて首を振る。できるかどうかじゃない、やらなければいけない。これができるのは自分しかいないのだから迷っている場合ではない。
寝ぼけた彼の腕が何かを探すように彷徨った。その手を取って口付けると彼は幸せそうに笑顔を見せるので、もう迷いは捨てた。
もとより崖から飛び降りた時、弟の手を振り払った時、すでに心は決まっていたはずだ。
ナダールは起き上がり己の手を見つめ、握りしめた。自分にもやらなければいけない事はいくらもあると分かっていた。
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