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運命の前哨戦③
「私はセカンド様にお会いした事がございます。彼は世界などに興味は持っておられなかった、ただ望んでいたのは小さな幸せ。最愛の人とその子供に囲まれ、共に暮らせる普通の平凡な暮らしを夢見ていました。きっとそれは今も変わっていない」
「お前は?」
「クロード・マイラーと申します。今はサード様と共にこの活動に参加させていただいております」
「お前はあの子に、本物のグノーシスに会ったというのか?」
「ええ、お会いしました。可愛らしい娘さんを抱いて笑っていましたよ」
「娘?」
「産まれたばかりの娘さんです」
「あの子が、グノーシスが……産んだのか?」
「はい、そうですね。私はその時その場にいたので間違いないです」
メリア王は動揺を隠せない。周りにいる家臣達もどういう事だと不審な表情を隠さなかった。
「グノーシスはどこにいる! その子供は一体誰の子供だ!」
「セカンド様の本物の『運命』との間にできた子供ですよ。場所はお教えできません」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
王は再び肘掛に拳を叩きつけるようにして立ち上がる。
「私は彼の言葉を代弁したにすぎません。彼は世界を望んでなどいない、今ならまだ間に合います。そんな事よりもあなたにはもっとすべき事があるはずです」
「私には何もない! グノーシスがいなければ、私には何も……!」
「帰ろう、この人には何を言っても無駄だ」
クロードの隣で顔もあげられず、ただ跪いていたグノーは顔をあげる。数年ぶりに直視した兄の顔は面やつれてあの頃の面影もない。グノーを支配しようとする傍ら、それでも優しく笑っていた兄の姿はもうそこにはない。
何もかも変わってしまったのだ、自分が人を信じられなくなったように、彼もまた人の言葉に耳を傾けようとはしない。
自分にはナダールがいた、ただひたすらに無償の愛を注いでくれる相手ができた、けれど彼はそれすら拒絶して己の世界に閉じ籠もってしまっている。
「ただで帰れると思うな、三下が!」
ふいに微かな甘い匂いが辺りに漂う。レオン、クロードをはじめ、家臣の何人かがグノーを見やる。だが王はその薫りに気付いていない様子でグノーを睨んだ。
「やる事があるんだ、帰らせてもらう。行くぞ、二人とも」
グノーは二人を促すように踵を返した。彼が動けば甘い匂いは付いてくる、それに気が付いている者は何人もいるのに誰も言葉を発しない。
王が気付かないのにそんな事がある訳がない、何故なら王はセカンドを自分の『運命』だと公言しているのだ、『運命』が番相手の匂いに気が付かないなんてそんな事はありえない。
「何をぐずぐずしておる! その者達を捕縛せよ! お前達のいう、大事な民衆の前で三人とも縛り首にしてくれるわ!」
「出来るもんならやってみな、俺達はお前を見限った」
戸惑うように動けない家臣たち。
αである者はグノーがセカンドである事に気がついている、そしてβの者達は匂いを感じないまでも何か得体の知れない恐れのような物を彼に感じていた。
「さよならだ、レリック」
グノーはもう一度王の顔を見据える。その言葉に彼は一瞬の戸惑いを見せた。その名はグノーシスだけが呼ぶ事を許されたメリア王の名だ。
「待て! お前は……」
彼の叫びを最後まで聞くことはせず三人は駆け出した。こんな時の為に逃げる順路は頭に叩き込んである。
「やあっぱり、こうなるんですねぇ」
どこからか黒髪の男が現れて自分達と並走していた。
「うるさい、ルーク」
彼はへらへらと笑いながら余裕の笑みで走っている。そしてその手には謎の物体。
「試作品ができたから、持って来たよぉ」
「いいタイミングだな」
我に返ったのであろう家臣、警備兵達が自分達の後をわらわらと追いかけてくる。急を知らせる鐘も鳴り響き、城内は騒然とし始めた。
「では、いっきま~す!」
ルークが一つその謎の物体を背後に投げ捨てると、着地と共にそれは自走を始めて警備兵の足元を駆け抜けていく、何が来たのか分からない兵達は足元に気を取られ、団子になって慌てている所にその物体から白い気体がもくもくと湧き出した。
「なんだコレは!」
「っつ! 目が、身体も……」
兵士達は次々と顔を押さえて倒れていく。
「ひゃっは~、効果抜群!」
「おい、あれ死んでないだろうな?」
「大丈夫って言ってたよ、ちょっと麻痺したりするだけだって。それよりおいら達もあれ吸い込んだらやばいから、さっさと行こう」
ルークの誘導で三人が再び駆け出すと、先程ルークが投げたのと同じような物が別の場所でも稼動しているようで、あちこちで慌てたような声が響く。
「おい、試作品幾つ持ち込んだんだよ?」
「ん~? 一人一個ずつ」
という事は今この城にはムソンの人間が何人も忍び込んでるというわけか。戦力にならないと豪語する割には彼らは充分な戦力になる。
「あまり手の内を晒すのは感心しませんね」
「大丈夫、証拠は残らないよ。アレ最後に自爆するから」
クロードの言葉にルークが返すと、どこかでボンっと破裂音が響く。
「ちょ……俺そんな設計してない」
「あはは。ファルスの職人さん、ノリのいい人多くてさ、ただ設計図通り作るだけじゃつまらないって勝手に改造してんの。メリアからこっちに作り方ばれちゃったみたいに持ってかれたら技術盗まれちゃうだろ? だから自爆装置付き」
唖然とするグノーにルークはけらけらと笑う。あちこちから破裂音と悲鳴が聞こえる。
「おいアレ、本当に死人出てないんだろうな?」
「大丈夫だと思うけど、おいらが作ったわけじゃないからねぇ」
図面を引いたのは自分だが、こんな事は予想しておらず頭を抱える。
「まずは逃げるのが先決ですよ、反省は後回しです」
クロードに腕を引かれグノーは再び走り出す。メリア王との対決は、思っていたよりも派手に開始されてしまった。
城壁の外へと飛び出すと、そこには三頭の馬を引いたエディとナダールが待ち構えていて、三人はその馬に分乗して駆け出した。ルークは「最後まで見届けてちゃんと結果報告しますから」と手を振ってまたどこかへ消えてしまった。
ナダールの操る馬の背に揺られて、グノーは溜息を吐く。
「やはり何事もなく、という訳にはいきませんでしたね」
「あぁ、そうだな」
グノーの言葉は少ない。これは相当参っているな、とナダールはグノーの顔を盗み見た。
メリアの首都であるサッカスからある程度離れた場所まで馬で駆け抜け、もう大丈夫と思った所で背後を見やる。遠くに街は見えるが、喧騒までは聞こえてこない。
「大丈夫そうですね、追っ手の姿は見えません」
「全く冷や冷やしましたよ、グノーさん、なんであのタイミングでフェロモンなんか撒き散らしたんですか。あんなの正体ばらしているのと同じじゃないですか!」
レオンの抗議にグノーは街を見詰める。
「あいつは最後まで気付かなかった……」
ぽつりと呟かれた言葉でナダールは意味を理解する。先日グノーと交わした会話。メリア王がβである可能性。
「やはり王は……」
メリア王は会話の最中に何度も激昂していた。それでもフェロモンの揺れは感じず、威圧も興奮もフェロモンの動きから感じ取る事はできなかった。作り物めいたαのフェロモン、それが本当に作り物だとしたら?
「あいつに『運命』なんて分かるはずもなかったんだ。そんな物はまやかしでしかない、なんでそんな事をしたのか、なんでそんな事を言ったのか、俺には分からない。いや、それは……」
「あなたのせいではありませんからね!」
ナダールはグノーの腕を掴む。
「彼のしたことはすべて彼の責任です。あなたは何も悪くない。彼が選んで自分で進んできた道に、あなたが責任を感じる必要はありません!」
「うっ……は、それでも俺は……」
グノーは嗚咽を押し殺すように、顔を覆ってうずくまる。
何の話をしているのか分からないエディ、レオン、クロードの三人はそれでもグノーの様子が尋常ではないことを感じとる。
「俺さえ、生まれなければ……こんな事には、ならなかった……」
「馬鹿なことを」
「一体どういう事ですか? 話がよく分からないのですが……」
「すみません、事情は後で説明します。今は二人にして貰ってもいいですか?」
ナダールはうずくまり嗚咽を零すグノーを担ぎ上げ、その頭を撫でる。いつでも勝気で強気な彼がそんな風に人前で泣き出す事など考えてもいなかった三人は、戸惑った様子で顔を見合わせその場を離れた。
「グノー少し落ち着きましょう、何があったのか私に教えてください」
零れる嗚咽で言葉がうまく言葉にならないグノーは、それでもきれぎれに城であった事を話してくれた。メリア王は自分が王になったのはグノーが望んだからだと言い、ランティスを攻めるのでさえグノーが望んだからであるという事を言っていた事を聞き出す。
「あなたはそんな事、望んでいないじゃないですか。それは彼の勝手な妄想ですよ」
「俺、小さい頃言ったんだ。兄さまは格好いい王さまになれるって、あいつはそれをそのまま忠実に実行しようとしただけだって……」
「どこが格好いい王様ですか、あなたの言う事を忠実に実行したならもっといい王様になっているはずです。彼は自分の都合のいいようにすべての事実を捻じ曲げ、あなたに責任転嫁をしているにすぎません」
「でもそれをさせたのは俺なんだよ……」
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