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運命の前哨戦④
とめどなく涙が零れ落ちる。ナダールはグノーの兄が憎くて仕方がない。自分が起こした行動に責任を持つ事もせず、ただすべてをグノーに背負わせ周りを振り回す。
「あいつの娘も、偽のセカンドも、みんなみんな俺を憎んでる。きっとあいつの妻だって、あいつを取り巻くすべての人間が俺を憎んでるんだ」
「娘? 偽のセカンド? あなたは何を言っているのですか?」
「言われた、お前なんか嫌いだって、偽セカンドには首を絞められた。それくらい俺は憎まれてる」
そんな話は聞いてない! 一体彼はいつどこでそれらの人物に遭遇したというのか、そんな話、彼は一言も話してはくれなかった。
思わずグノーをきつく抱きしめる。
「なんで言ってくれなかったのですか! どうして私にあなたを守らせてはくれないのですか! どうしてあなたはすべてを一人で抱え込もうとするのですか!!」
「お前を、巻き込みたくない、から……」
言葉にぐっと唇を噛む。
「そんなのとっくに巻き込まれている、私はあなたに巻き込んで欲しくてここにいるのに、どうしてあなたは分かってくれない……!」
「お前には笑ってて欲しいんだ。最近お前難しい顔してる事、増えたよな……出会った頃のお前はもっと能天気に笑ってた、それを俺は……」
「私はあの崖をあなたと一緒に落ちた時に、一緒にあなたの闇に堕ちたのです。それはもう私達二人の運命だった、それはあなたが気にする事ではない」
言葉にグノーはまた顔を覆って泣き声をあげる。もう泣いて泣いてすべてを吐き出してしまえばいい。彼の闇は深すぎて、自分では底を見付ける事が難しいほどだが、それでも守ると決めたのだ。どこまでも一緒に堕ちると、もう決めている。
「あなたはそうやって一人でなんでも抱え込んできたのですね。もうそれは止めましょう、重たい物を一緒に背負えない人間に伴侶の資格はありません。あなたの背負った物を私にも一緒に背負わせてください」
「俺は、重い、ぞ」
「その重みが少しは体重に反映されるといいのですけどね」
「お前はまた……そんな軽い話じゃ、ないのに」
「私にとってはどちらも重要な案件ですよ」
グノーは腕で涙を拭う。
「これでレリックに、俺がここにいる事はばれた」
静かに相槌を打つと彼は自分の掌を見つめる。
「俺はあいつに最後の引導を渡さないといけない。あいつが今までの行動全部俺のせいだって言うなら、俺がそれを終わりにしないと」
「今度は私も付いて行きますからね。あなたを一人にするのはもう絶対嫌です」
「巻き込みたくなかったんだけどなぁ、ルイの為にも」
「ルイの為を思うなら、あなたも笑っていなければ意味がない」
グノーは身じろぎをしてナダールの腕から這い出る。
「もう終わりにするんだ。薄幕の向こう側から世界を見るのは、もうお仕舞い」
言ってグノーは携帯用の小刀を取り出す。何をする気かと見守っていたら、彼は自分の前髪を掴んで削ぎ落とした。
彼の表情を隠し続けてきた紅い髪が少しずつ束で落ちていく。
「あぁ、世界は明るいな」
「今更気がついたんですか?」
「お前に出会ってからずっと気付いてたよ」
何の躊躇もなく削ぎ落とした前髪はがたがたで酷く不恰好なのだが、瞳を腫らして笑う彼はとても美しかった。
「後でちゃんと整えますからね」と釘を刺すと「そんなのどうでもいい」と彼は頬を膨らませた。そんな表情もはっきり見えて、不思議な感じだ。
彼は猫のように目を細めて笑う。つり目がちなその瞳は勝気な性格の彼をよく表していて、ナダールも瞳を細めた。
少し離れた場所から二人を見守る三人は、一体どういう事なのかと首を傾げる。
「確かにメリア王はあの時、彼に気付いている様子はありませんでしたね」
クロードは思案顔でそう言った。
「私ですら『運命』は一目で分かったのですから、実際ファーストとグノーさんは運命ではなかったという事は間違いないです。そもそもナダールさんの存在自体がそれを証明している訳で、今更それにここまで動揺するのもおかしな話ですが」
「でも、ちょっと待てよ、あいつはフェロモンばら撒いたんだろ? だったら当然αの奴等はそれに気付く、メリア王はそれにすら気付かなかったのか?」
「どうなんでしょう。私の見ていた限りでは気付いた様子はありませんでしたが」
「それは私も同意ですね」
メリア王がβである可能性に彼等も薄々気付き始める。
「いや、でもβの王がいたって別に何の問題もないのでは?」
「しかし先王は唯一の自分の子である彼に英才教育を施していたと聞きましたよ。先王の彼への期待は絶大だった、それに応えきれなければ……」
「ファーストがおかしくなった原因ですか?」
「例えばαである自分の子がβで無能な子供であると気付いたら、先王は一体どうしたでしょうね」
三人は考え込む。
「ファーストに自身をαだと思い込ませた?」
「彼を見限って新たな子を作ろうとした、という可能性もありますね」
「なんにせよ、メリア王は追い詰められていた事に間違いはなさそうだな。だが、それがなんであいつの責任になる? あいつはむしろ被害者だろう?」
「彼は稀にみる強力なフェロモンの持ち主のようですので、自分がβである王まで惑わせたのではないかと考えたのかもしれませんね。被害妄想も甚だしいですが、実際彼の抑制されていないフェロモン量は相当なものなので、あながち間違っていない可能性もあります」
三人はまた二人を見やる。二人はまだ額をつき合わせて話し込んでいる。それは誰にも邪魔できない二人の世界で、三人はまた視線を逸らした。
「あの人はもっと強い人だと思っていました。突然やって来て、捲し立てるだけ捲し立てて好き勝手な事を言うので、そういう人なのだと思っていたのですけど、違うのですね」
「あいつは強くなんかない、アジェもそう言ってた。正直半信半疑だったけどあんな姿見せられちゃな、まったく調子が狂う」
エディは街を見やる。あの騒ぎの中、アジェは怯えてやしないかと不安になった。
「そういえば、城の中で姫に会いましたよ。大変お元気そうでした」
「まぁ、あいつはそういう奴だ。今頃何が起こったのかわくわくしながらこの騒ぎを眺めてるだろうよ」
「エドワードさんは姫とはお親しいのですか?」
「親しい、というか生まれた時から一緒にいるからな」
レオンは首を傾げる。彼女はファルスの姫だと言うのに、今目の前のこの男はその姫と生まれた時から一緒にいると言う。
「エディはルネーシャ姫の兄にあたります。そういえばお知らせなのですが、どうやらレオン様は姫の『運命』だったみたいですよ」
二人が二人共驚いたような表情で顔を見合わせた。
「え? 兄という事はエドワードさんはファルスの王子なのですか?」
「ルネの『運命』って本気か?! 振り回されるの目に見えてるぞ!」
会話が噛み合わない。
「俺はファルスの王子じゃない、たまたま王が養い親だっただけだ」
「振り回してしまいそうなのはこちらも一緒なので問題ありません」
更に会話が噛み合わない。
三人でわいわいと会話を続けていると、グノーとナダールの二人が三人の元へ手を繋いで戻ってくる。グノーの目元は赤く腫れていて痛々しいが、表情は清々しいものに変わっていた。
「また思い切りましたね」
「ん? あぁ、もう逃げ隠れしても仕方ないからな。ファーストにもばれちまっただろうし」
ざんばらのままの前髪で彼は笑う。今まで前髪で隠されていたその表情につい見惚れてしまう、それくらい彼の笑みには魔力があった。これに溢れんばかりのΩのフェロモンが乗れば、それは考えたくないほどの破壊力だと思われる。
踊り子姿の彼も妖艶だったが、素の彼もどこか人を惑わす。
「あまりじろじろ見ないでください。この人は私のです」
「それは分かってる」
グノーの顔を半分隠すように抱え込んだナダールに、呆れたようにエディは返した。
「母そっくりです。母をそのまま若くしたら、こんな感じでしょうね」
「俺ってホントに母親似だよな、もっと男らしく産んでくれたら良かったのに」
「性格が男らしいから十分だろ。そろそろ行くぞ、ここも追っ手が来るかもしれない、そういえばルイスさんは大丈夫なのか?」
「最近はこの民主化の賛同者が増えているので、何かあればその人達が伯父を守ってくれるはずですよ」
グノーはもう一度サッカスの街を見やる。次に兄に会う時は、彼を殺す時だ。心の奥深くで刺さる小さな棘、だがもうそれを取り除いている時間はない。
グノーは大きく深呼吸をする。天気は晴天、事を起こすのには絶好の日和だ。あのメリア王との再会から幾日かが経っていた、彼等はムソンの村へと戻りその幾日かを平穏に過していた。
「おはようございます、早いですね。ちゃんと寝られましたか?」
「きっちり寝かしつけてから寝た奴が何言ってんだか、おかげさまでぐっすりだ」
彼は目を細めて笑う。グノーの適当に切られてしまった前髪は長さが揃わず短くなってしまい額の半分は露出している。ついでに全く手入れのされていなかった後ろ髪も綺麗に切り揃えてずいぶん短くなったのだが、いかんせん顔立ちが女顔なのでどうにもボーイッシュな女性にしか見えない。
「今日ですべて終わりますね」
「あぁ、終わる。終わらせてみせる」
額を合わせて手を繋ぎ、瞳を閉じる。心は穏やかだ、どんなに辛い事があってもそれを分かち合える相手がいる、それが何よりも心強い。
今日の昼過ぎ、レオン率いる革命一派が城の前で抗議行動を行う。それは民衆を巻き込んで大きな暴動に発展するはずだ。だが、今日の本題はそれではない。暴動を止める為に城の兵士は城外に出払うだろう、その隙を突いて自分達は王を暗殺する。
「私はあなたを愛しています。それだけは誰にも譲れない私の気持ちです。それだけはきっちり心に留めておいてくださいね」
グノーは頷く。彼の愛には迷いがない、それが嬉しくもあり怖いのだ。きっとナダールはグノーの為ならなんでもしてくれる、今の彼なら自らの手を血に染める事すら厭わないはずだ。
ナダールは争いを嫌っていた、平和に呑気に暮らす事を誰よりも望んでいた、なのに自分は彼をこんな戦場に連れて来てしまった。
「全部終わりにするから、見てて」
最後の引導は自分が渡す。それが自分に課せられた使命なのだとそう思うから。
瞳を開ければ空のように碧い瞳がじっとこちらを優しく見つめていた。
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