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運命に花束を①
喧騒が聞こえる。嵐の前の静けさか、己の周りはその喧騒から離れて凪いでいる。高らかに叫ぶ声、そしてそれに応える民衆の叫び、この国の革命は始まった。
「行くぞ」
それだけ言って綱を登り城壁を越える。グノー、ナダール、エディにクロード、そして複数人のムソンの民。
城の中は騒然としている、それもそうだろう城の眼前で暴動は起きているのだ。慌てたように走る兵、逃げ出す侍女達、皆、右へ左へ駆け回り侵入者には気付く気配もない。
「作戦通り俺達は王の元へ行く、エディとクロードは人質を奪還次第速やかに離脱、レオンと合流して民衆に紛れ込め」
「本当に二人で大丈夫なのか?」
「そっちこそ二人で三人助け出すんだ、できるんだろうな?」
「ルネは数に入れなくていい、あいつは一人でも平気だ」
「それでも怪我でもされたらレオン様に怒られますよ。こっちに来たがる彼を止めるのにどれだけ苦労したと思っているのですか」
クロードの言葉にエディは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。実際彼を止めるのは大変だったのだ。エディとクロードはお互い自分の番を助けに行くのに、レオンだけが蚊帳の外だ。
自分もルネーシャを助けに行くと吠えるレオンに、お前にはもっと大事な仕事があるからと、無理やり民衆の先導の方へ回したので、ルネーシャに怪我でもあったらレオンがどれだけ怒り狂うか分からない。
喧騒はますます大きくなっていく、お互い頷くようにして人質奪還部隊と王暗殺部隊は二手に別れた。城内の見取り図は把握している、この先だ、この先にレリックはいる。
先日訪れた謁見室は通り過ぎ、更に奥の執務室へと駆けて行く。
さすがに王付きの警備兵は持ち場を離れてはおらず、グノーは何か長い筒のような物を投げ込んだ。
あっという間に辺りは白い煙に包まれて、その煙が晴れた時にはその場にいた者はすべて昏倒していた。
「さすが、これも効き目抜群だな」
それは発炎筒に人の身体を麻痺させる作用のある薬を混ぜ込んだもので、もちろん作ったのはカイルだった。
グノーが依頼した薬の他にも彼は幾つも使えそうな薬を提案してきて、こういう場所では使えるが世間一般的には物騒な代物であるそれを見ては、ナダールはたびたび溜息を零した。
そんな中でも襲い掛かってくる兵士たち、返り血を浴びて服が血に染まる、ナダールもそれは同様でグノーは薄暗い愉悦を感じる。
彼には争って欲しくないと思う反面、自分と同じ所まで堕ちてきて欲しいという仄暗い感情がグノーの中にはあったのだ。それはあまり気付きたくない感情であったが、もうどちらにしても後戻りはできない。
「騒がしい! 何事か……うわっ」
再び現れた家臣をまた一人斬り捨てる。
あぁ、紅い、紅いなぁ……
乱暴に執務室の扉を開ける。そこにはやはり何人かの家臣がいて、驚いたようにこちらを見やった。ある者は腰が引けてあわあわと逃げ出し、ある者は果敢にもこちらに剣を向ける。
「邪魔。退いてくれるかな、あんた達に用はない」
「お前は……何故」
気付く者は気付いている、だって自分の容姿は母親そっくりなのだ。先王の王妃の顔を見知っている者であれば、それが二番目の王子セカンドである事はすぐに分かったはずだ。
グノーは家臣の一人を蹴り倒しその脇に剣を突き刺す。
「レリック、どこ?」
「何故あなたがこんな事を!」
「答えは簡潔に、あいつはどこだ!」
襟首を掴んで凄めば、その男は執務室奥の扉を示す。そこは恐らく資料室、そんな所に逃げ込んでやがったか、と家臣の襟首を離せば彼はほうほうの体で逃げて行った。
資料室の方へ顎をしゃくるとナダールもそれに頷く。執務室から動く人の気配は消えていた。半数は逃げ、半数はその辺に転がって呻いている者、絶命している者、様々だ。
そこは鍵がかかるようで、ノブを回しても開くことがない。何度かがちゃがちゃとノブを回してからそのノブを剣で叩き壊し蹴り開けた。昔ブラックから教わった侵入方法がこんな所で役に立つ、本当にとんだ王様だ。でもメリアの王よりよっぽどマシだ。
扉を開け室内を見渡せば、家臣の何人かが部屋の隅で震えていた。そして、その中で悠然と微笑む男が一人。
「見付けた……」
「グノーシス、おかえり。ようやく私の元へ帰って来てくれたのだな」
彼は優しい笑顔で腕を広げる。それを止めようと彼の体に縋り付く家臣を煩わしいとばかりにレリックは睨み付けた。
「お前達は何をしている、ようやく私のグノーシスが帰って来たというのに、何故私の邪魔をする」
「陛下! セカンド様は帰って来たのではありません。セカンド様は……」
家臣の言葉を最後まで聞こうとはせず、男はその腕を振り払った。
「さぁ、おいでグノーシス。お前の部屋はそのままにしてある。私の愛しい運命」
「俺はあんたの運命なんかじゃねぇよ。それはあんたも気付いているはずだ、あんたはあの時俺に気付かなかった。そんなの運命なんかでありえない」
「あの時? お前は何を言っている?」
彼は微笑む。その笑顔は優しかった頃の彼の笑顔そのままで、グノーの心は揺れた。
「この人はあなたの運命ではない、私の唯一の『運命の番』です。もう、彼を縛るのは止めてください」
「お前はなんだ?」
メリア王は胡乱な瞳をナダールへと投げかける。笑みは消え、何か汚らわしい物を見るような瞳で彼はナダールを見据えた。
「名乗るほどの者ではありませんが、名はナダール・デルクマン。私はもうこの人を手離す気はありません、いい加減あなたも気付くべきだ、グノーはあなたの物ではない」
「ナダール・デルクマン……グノーシスと一緒に行方が知れないと報告のあったランティスの騎士団長の息子か」
「ご存知でしたか、なら話は早い。もう彼の手を離してください、グノーはもうこの先未来永劫あなたの物になる事はない」
「何を言っている、グノーシスはずっと私の物だ、それは過去も未来も変わる事はない」
「俺は俺だ! 誰の物にもならない! 俺は自分で選んだ、運命なんかじゃなく自分で選んでこいつの隣を選択した、あんたはもう用済みだ!」
言ってグノーはメリア王へと剣を向ける。だが王は身動ぎひとつする事はなく、ただ優しい瞳でグノーを見詰める。
「あんたはなんでそんな目で俺を見る!? 俺はあんたの運命なんかじゃないのに、なんでそこまで俺に拘る!」
「お前は確かに私にとっては私の『運命』だったよ。お前にとって私がそうではないとしてもな」
「何を……」
レリックはくるりと二人から背を向け窓の外を見やった。
どこかで人の叫ぶ声が聞こえる。恐らくエディやクロードがすでに行動を開始しているはずだ、人質は無事に奪還できただろうか。
「お前だけだ、私がΩ性である人間を判別できたのはお前だけだった」
やはりグノーの示した仮説は間違っていなかったのかとナダールは唇を噛む。
「それはあんたがβだから……」
「そうだな、その通りだ。だが当時、お前が生まれた頃私はαとして育てられていた。他人より優れていると言われているα、王にとってそれは必須条件であると父は考えていたようで、私がお前のΩ性に気付いた事で父は期待をしてしまったのだ。父の期待は重かった、バース性の分化、稀にあるというβからαへの分化を期待してしまったのだろうな。自身もβであったのに、私がαになる事などありえないと知っていながら、な」
「え?」
先王の事はほとんど覚えていない。それこそ目の端にすら入れて貰っていなかったと思われるほどに彼の興味は自分には向かなかった。だがそれだからこそ先王がαだったかと問われてしまえば、分からないと答えるしかグノーにはできなかった。
「父は恐れていたのだよ、お前が稀にみるほど強力なΩだという事を。自分の子供ではないと薄々分かってもいたし、自分の性がαではない事が露見する事も恐れていた。お前が強力なΩである事を父は報告を受けて知っていた、Ωとの間に子をもうければαやΩの子供を授かる可能性は上がる、父はそれを期待して母を娶ったのに、母は私をαとして産んではくれなかった、そして不倫相手との間に生まれたお前はあり得ないほどに強かった。それでもまだお前が生まれた時、父がお前達を放っておいた理由が分かるかい?」
「理由?」
そんな事に理由があるのか? でも確かに先王がグノーを自分の子ではないと確信していたのなら、その時点で不倫相手を見付けて殺す事くらいできたはずだ。
「そう、理由。それでも父はね、母の事を愛していたのだよ」
愛? 愛だって? 二人の間に愛などあったというのか?
「母が自分を愛さず不倫相手の子を産むのなら、それならそれでも良いと父は考えていた。どうしても許せなかったのは、その不倫相手が母を連れ去ってしまおうとしたから、ただそれだけだった。父は知らなかったのだよ、運命の番が片割れを亡くせばどうなってしまうのかを。不倫は火遊び、また別の男を探せばいい、だが自分の元から離れるのは許せない。不倫相手を殺したのはそんな理由だったのに、結果的に母は父を恨み、呪い、おかしくなって出て行ってしまった」
レリックはグノーを見やる。
「父はお前が憎かった、母を連れ去ってしまった不倫相手の子であるお前が。でも、それ以上に母にそっくりなお前を父は手元に置きたがった。強力なΩであるお前は、所詮自分とは親子関係にはない、父は自分の子をお前に産ませようとしていたのだよ」
「な……まさか……」
「強力なΩであるなら、今度こそαの子が生まれるかもしれない、父はそう信じてお前が育つのを待っていた」
「男性Ωはβの子は産めない……」
「その通りだな、それは嫌というほど思い知ったよ。Ωは孕む性、男性Ωは少ない、文献も少なくて出来るかどうかはやってみないと分からなかった。私は嫌だったのだよ、お前が父に抱かれるのはな。だから奪われる前に奪ってやった」
目の前にいる男は仄暗く笑む。
「父は悔しがったよ、一度ならず二度までも最愛の女を奪われたのだからな。だから父はお前にそのチョーカーを付けた、完全に私に奪われてしまう前にと保険をかけたのだ。最初に項を噛んでしまえば良かったのにな、βである自分にはその発想も本能もなかったのだ。その後はずっと父との攻防戦、私は子などどうでも良かったが、お前は子を欲しがった。項を噛んで番になれば子も生まれるかと父を蹴落とし鍵を手に入れた時にはお前は逃げた後だった」
レリックはグノーへと手を伸ばす。
「だが、お前は私の元に帰ってきた。鍵は奪ってここにある、今度こそお前に子を与えてやれる、だからグノーシス……」
首にかかる鍵を見せびらかすように男は見せ付けるのだが、グノーはそれに静かに首を振る。
「さっきも言った。男性Ωはβの子は産めない」
「私とお前は運命だと言っただろ、ちゃんと番になればきっと……」
「こいつとの間には番にならなくても娘が生まれた、あんたとは無理だ」
レリックの話は筋道だっているようでどこか破綻している。
分かっているのに、分かろうとしていない、そんな感覚がグノーの心に影を落とす。
「俺は子供なんか望んでいなかった、世界だって望んでない」
「お前は子供を欲しがったではないか、子供が出来ないならこの関係に意味はない、と私から離れようとした」
「あんたにはちゃんと妻も子もいたじゃないか、だったら俺はなんなんだ? 愛人? 愛妾? 弟としてあんたは俺を認めてはくれなかった、俺は自分の存在する意味が分からなかった、一生あんたに飼い殺されて生きるのなんて真っ平だ!」
「お前は私の唯一の愛する者だよ」
「あんたには他にも愛して守るものがあるだろ! 俺は見た、あんたが妻子と仲睦まじく歩いてるのを、そこに俺の居場所はなかった。どこにも、俺の居場所なんかなかった!!」
「何を言っているのだ、私はお前以外を愛した事など……」
「偽のセカンドはあんたに愛されて人生を狂わされた、あんたの娘だってお前の愛を求めて泣いている。あんたは無闇に愛をばら撒いて人を泣かせてばかりだ! 俺だってあんたに愛されたかった! 妻なんか娶らずに一緒に居てくれたらそれで良かった! 優しいあんたのままで傍に居てくれたら、あんたの傍から逃げたりしなかった……!」
あぁ、言ってしまった……認めたくなかった自分の本音。
涙が零れて止まらない。
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